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第49話「よるにつきたてる」

 ごぼり、と口から泡が零れ、上へと昇っていく。

 、と夢の中で颯真は呟く。

 水の中の夢。沈むでも、浮かぶでもなく、ただ水中に漂っているだけの、夢。


『——はきっと、我々の悲願を叶えてくれる』


 声が聞こえる。懐かしく、そして聞き慣れた声。


『いつか、来るべき時のために。いつか、希望が花開く時のために』


 言葉の意味は分からない。だが、その言葉は自分に向けられているものだ、と何故か感じる。

 漂う気泡の向こうに、人影が見える。

 ぼんやりとしてはっきりとは分からないが、それでも人影は、いくつかの人影はこちらを見ている、そう思う。


『——取り戻してくれ、——』


 肝心なところが聞き取れない。しかし、今ならおぼろげに分かる。

 取り戻してほしいのは、きっと夜だ。

 そう考えると、名前らしき呼びかけは僕のことなのだろうか、と颯真はぼんやりと思う。

 違うかもしれない。ただの自意識過剰かもしれない。

 それでも、水の向こうの人影はこちらに対して何かを期待している。

 その何かとは、一体。


◆◇◆  ◆◇◆


 颯真が目を開けると、そこは見慣れた宿舎の仮眠室だった。


「……」


 ベッドから身を起こし、額に手を当てる。

 時々見る夢。自分が水の中にいて、誰かに語りかけられる、夢。


 【ナイトウォッチ】に入隊する前から何度も見ていたその夢は、何を意味するのかは全く分からなかった。

 ただ、水の中にいる自分に誰かが何かを話しかけている、何故自分が水の中にいるのかも自分に何を求めているのかも全く分からないが何度も見ていた夢を、今夜も見た。


「期待、されてる……?」


 今までは一体何を言っているんだ、と思っていた夢だったが、【ナイトウォッチ】に入隊し、誠一から「可能性」や「希望」の話をされた今なら何となく分かる。

 夜を取り戻すための期待を寄せられているのだ、と理解できるが、それでも分からないことは多い。


 しかし、所詮は夢。何度も見ている、という点では気になるが、よくよく考えれば颯真が生まれてすぐにチップを埋め込まれているのだからもしかするとチップが見せる幻覚かもしれない。チップが魂に作用するものであるなら、この夢は魂、というよりも自分の深層意識を表現したものなのかもしれない。


 まあいいや、と颯真はベッドから降りた。

 今になってはある程度意味の分かる夢とはなったが、それでも夢は夢、気にすることもない。


 朝食のために食堂に向かい、そして颯真は同じく食堂に入る冬希の姿を見つけた。


 昨夜の任務、「電磁バリアの発生装置の修理が完了するまでの防衛」で、颯真と冬希は一体の【あのものたち】に出会った。

 それは今まで戦った個体と違い、明らかに高度な知性を持っている個体だった。


 圧倒的な力を持つ【あのものたち】を前に、颯真も冬希もほとんど有効打を与えることができなかった。人間と同じように武器を扱い、意図的に人間を選別する【あのものたち】——。

 その【あのものたち】を前に、冬希は一つの事実を明らかにした。

 それが、「冬希の母親は【あのものたち】に殺された」というもの。


 颯真としては完全に寝耳に水だった。冬希が【あのものたち】に対して並々ならぬ執着を持ち、時には自分以上に猪突猛進となることから、「それだけ【あのものたち】を滅ぼしたいんだ」という印象は持っていたが、母親が殺された、というのならその執着、いや、憎悪は理解できる。


 冬希は母親の仇を取りたいと思っている。少なくとも、昨夜の冬希の言葉からそれが伺い取れた。

 食堂に入る冬希の後を追い、颯真が朝食を受け取って冬希の向かいの席に着く。


「おはよう、冬希さん」

「あ、ああ、おはよう南」


 簡単に挨拶だけを交わし、それぞれ朝食を口に運ぶ。

 味噌汁と白米、そして卵焼きとサラダというシンプルなメニューではあるが、栄養バランスはしっかり考えられており、育ての親が長期旅行中であることを考慮すると【ナイトウォッチ】に入隊してよかった、と颯真はふと思った。


 味噌汁を啜りながら目の前の冬希を見ると、冬希も卵焼きをつつきながら何やら考え事にふけっているようだった。


「何考えてるの?」


 ふと、気になって、颯真は冬希に声をかけた。


「ん……別に……」


 気まずそうに呟き、白米をかき込む冬希に、もしかして、と考える。


「……昨日のこと?」


 そう、質問を追加すると冬希が観念したように箸を置いた。


「まぁ、あれを言ってしまった手前、気になるよな……。まあ、そういうこと」

「本当なの? お母さんが、って……」


 踏み込んではいけない。踏み込んでは冬希を傷つけてしまう。そう、分かっているのに颯真は踏み込んでしまった。

 冬希のことが知りたい、という気持ちはある。しかし、それ以上に冬希と【あのものたち】の因縁の深さが気になってしまった。


 勿論、話を聞くからには最後まで責任を持ちたい、という気持ちは颯真にはある。冬希が復讐するというのならそれを支え、添い遂げたいという覚悟も漠然とだがあった。できれば復讐は考えてもらいたくないが、それでももし因縁の敵が目の前に現れたというならその排除に協力したい。


 ああ、と冬希が頷く。


「母が、【黄昏教会】に連れ去られたんだ。私が【ナイトウォッチ】に入隊した直後だから、四月の話だ。私は助けに行ったが、間に合わなかった……」


 ぽつり、ぽつりと語る冬希。


「母の亡骸を前に、一体の【あのものたち】が現れて、『キミたちの本気がよく分かった』と言ったのは憶えている。魂技が使えるようになった私は、勿論挑んだが手も足も出なくて……。どうして生かされたのかは自分でも分からない。だけど、【黄昏教会】と【あのものたち】は……」


 机の上で、冬希が拳を握り締める。

 颯真も冬希の言葉に胸が締め付けられるような錯覚を覚えていた。


 【黄昏教会】は何の罪もない一般市民を生贄として【あのものたち】に捧げている。冬希の前に現れた【あのものたち】は知性を持っていた。

 勿論、「知性を持った」【あのものたち】が一体だけとは思えないから、昨夜会った個体とは別だろう、とは思う。


 しかし、何故だろう。胸騒ぎがするのは。


「【あのものたち】が姿を自在に変えられるのは分かっている。それでも、昨日あいつに会って、確信したんだ。あいつは、あいつこそがあの時母を殺した個体なんだ、と」


 感じた気配が同じだったんだ、と冬希が続ける。

 その言葉に、颯真はくらりと目眩を覚えた気がした。

 冬希が「同じ気配」と言うなら恐らくそれは事実だ。

 埋め込まれたチップは同一個体を認識することができる。戦って取りこぼした敵を追跡するのに、チップが記憶した、その個体特有の波長を利用するから颯真も分かっている。


 そもそも取りこぼし自体が滅多にないから同一個体を認識することはそうそうないが、それでも【ナイトウォッチ】に入隊したばかりの冬希が母親を殺害した【あのものたち】の気配を記憶し、そして昨夜再会した、と認識するのは不可能な話ではない。


「あいつは……。【あのものたち】の中でも積極的に人間と接触している……?」


 思わず、颯真が呟く。

 多分、と冬希も頷いた。


「あいつは人間を選別している。利用できるものと、利用できないものに。どのような意図で利用しようとしているかは分からないが、少なくとも私の目的は一つだ」

「あいつを、倒す」


 ああ、と冬希が頷く。


「次、あいつに出会ったら、私は必ずあいつを倒す」


 刺し違えてでも、あいつを止めなければいけない、と続ける冬希。

 その冬希に、颯真はううんと首を横に振った。


「冬希さん」

「なんだ、南」


 冬希の赤い目が颯真を捉える。


「冬希さんは一人じゃない」

「……え」

「僕も、手伝うから」


 真剣な眼差しで、颯真ははっきりと言い切った。


「冬希さん一人じゃ頼りないとかそういう話じゃない。だけど、一人より二人の方がきっと確実だ。だから、僕も手伝う」

「南——」


 やめろ、君まで巻き込まれる必要はない、と言おうとした冬希を颯真が遮る。


「これは僕が勝手に決めたことだから。冬希さんの敵なら、僕の、そして【ナイトウォッチ】の敵だ。だから、必ず倒す」


 迷いのない颯真の言葉。

 その言葉に気圧され、一瞬怯んだ冬希だったが、すぐに肩の力を抜いて頷いた。


「……そうだな」


 私一人が背負うものではない、と。

 そこに、颯真がいるのならそれほど心強いことはない、と冬希は内心そう思った。

 同時に思う。

 颯真をスカウトしてよかった、と。


「……南、ありがとう。必ず、倒そう」

「うん、だったらしっかり鍛えないとね」


 今はまだ太刀打ちできないかもしれない。それでも、いつか自分たちの刃が届くことを信じて。

 二人が考えることは同じだった。

 いつか、二人であの個体を倒すのだ、と。

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