物音一つ立たない夜の中に、怯えた男の呻き声だけが響き渡る。
それを一瞥し、【あのものたち】が忌々し気に呟く。
「うるさいニンゲンだな」
その言葉に、颯真はまずい、と判断した。
このままでは【あのものたち】がこの男を殺してしまう。
いや、それだけではない、颯真の視界の奥、【あのものたち】の背後には修理中の電磁バリアの発生装置がある。もし【あのものたち】がこちらを気にせずに背後を攻撃すればバリアの発生装置が再び破壊されるどころか修理班にまで被害が及んでしまう。
敵は今まで戦ったことがない、高度な戦闘を行う高位の【あのものたち】。勝ち筋は見えない。
しかし、ここで引きさがることができるほど状況は甘くなかった。
自分たちが退けば「バリア発生装置の修理」という任務は失敗に終わる。これがゲームならリトライができるが、現実ではそんなことは不可能。【あのものたち】の足元で震えている男も、バリア発生装置の修理班も殺されてしまう。
だめだ、退けない、退いてはいけない、と颯真は自分に言い聞かせた。
【あのものたち】が震える男を殺そうかとするように漆黒の刃を振り上げる。
させない、と颯真は地を蹴り、【あのものたち】に斬りかかった。
「無駄だ」
【あのものたち】が片方の刃で颯真の刀を受け止め、もう片方の刃を横薙ぎに振るう。
「っそ!」
咄嗟に後ろに跳び、颯真が悪態をつく。
【
左手で血の滲む腹部を押さえ、それでも颯真は右手で刀を構え、隙を見せないようにと立っていた。
「南!」
颯真が負傷した、と気付いた冬希が前に立つ。
「南、ここは撤退を——」
「駄目だ!」
冬希の提案を、颯真が即座に拒否する。
【あのものたち】の足元には一般市民がいる。【夜禁法】を破った上に颯真たちを攻撃した重罪人ではあるが、だからと言って見捨てるわけにはいかない。
それに、冬希は撤退を提案したが、それが本意ではないことも颯真には分かっていた。
冬希は知性を持った【あのものたち】に母親を殺されている。この個体が冬希が追い求めている仇かどうかは知らないが、それでも復讐すべき相手だと思っていることは分かっている。それを圧して撤退するなど、颯真にはできなかった。
もしかするとうすうす感づいていたのかもしれない。颯真が撤退に同意しても、冬希はこの場に残るつもりだった、と。
「あの人を助けないといけない! それに、冬希さんのことだから僕一人逃がして残るつもりじゃないの?」
「っ」
ずばり、颯真に言い当てられ、冬希が何も反論できなくなる。
「僕は大丈夫だから、今はあの人を守ることだけ考えて!」
傷から手を離し、颯真は両手で刀を構え直した。
視界に映る修理班からの連絡を確認する。
電磁バリア発生装置の修理は装置の交換が終わり、もうすぐ完了するとのこと。
それならバリアの発生まで耐えきれればいい。
バリアが発生する電磁波を【あのものたち】は嫌う。今、颯真たちが立っているのは本来ならバリアの「内側」に位置する場所。バリアの電磁波を避けるために、【あのものたち】は必ず撤退する。
耐えきれればこちらの勝ち。それに、【あのものたち】は自分から攻撃を仕掛けてこない。【ナイトウォッチ】を警戒しているのか、専守防衛のつもりなのか。それを踏まえて考えると、はじめに一人殺したのも【あのものたち】にとって不利な状況となるから殺した、とも解釈できる。
睨み合った状態で、じりじりと時間だけが経過していく。
「ふむ、睨み合っていればいずれバリアの修理が終わり、ワタシが撤退すると?」
挑発するように【あのものたち】が言う。
その言葉にじり、と冬希が動く。
「流石に、ワタシもバリアに巻き込まれるのは嫌なのでね——かといって、何もせず逃げるわけがない」
【あのものたち】が腕を、その手に握られた刃を振る。
その刃から漆黒の斬撃波が発生し、二人を襲う。
「っ!」
左右に跳び、冬希と颯真が斬撃波を回避する。
「別にワタシは専守防衛とか考えていない。キミたちの実力を測っていただけ。勘違いしないでほしい」
まるで二人の考えを読んでいたかのような【あのものたち】の言葉。
ぎり、と颯真の奥歯が鳴る。
強い。このままでは勝てない。だが、ここで負ければ誰も救えない。
嫌だ、と颯真は呟いた。
ここで負けるわけにはいかない。自分一人が死ぬのは佐藤夫妻が悲しむかもしれないが、それ以上に冬希が、そして【あのものたち】の狂信者とはいえこれ以上一般市民が死ぬのを見るのは嫌だ。
冬希もこの人も死なせない、と颯真は痛みと出血に耐え、自分に誓う。
今の自分ではこの【あのものたち】を倒せないかもしれない。それでも、二人を守り切り、朝を迎える。
「僕は——負けない」
自分に言い聞かせるように、颯真が呟く。
その手に握る刀を包む黄金の光が強くなる。
「む——?」
もう一度斬撃波を放とうとした【あのものたち】が怪訝そうな顔をする。
「一体、何を——」
そう言いかけて、【あのものたち】は気付く。
颯真の奥底にあるものが
どういうことだ、と【あのものたち】が困惑する。
それによって動きが止まったのを、颯真は見逃さなかった。
何故動きが止まったのかは分からなかったが、今がチャンスだと本能が囁きかける。
それと同時に、颯真の中で「声」が響いた。
『恐れるな! あの程度に負けるお前じゃない!』
「うおおおおおおおぉぉぉぉっ!!」
声に背を押され、颯真が地を蹴った。
刀を握り締め、【あのものたち】に向けて駆ける。
その全身が、黄金色の光に包まれる。
「僕は! 負けない!!」
「その程度——!」
【あのものたち】が両手の刃で颯真の刀を受け止める。
しかし、強い黄金色の光に包まれた颯真の刀は【あのものたち】の漆黒の刃を易々と打ち砕いた。
「——ッ!?」
咄嗟に【あのものたち】が後ろに跳び退る。それにより、颯真の刀は【あのものたち】を捉えることができず、空振りに終わる。
跳び退った【あのものたち】がちら、と電磁バリアの発生装置を見る。
発生装置は修理が完了し、バリアを展開しつつあった。
「……時間だ」
【あのものたち】が忌々しげに呟く。
「今日のところはここで退くことにしよう。バリアを展開されればワタシも戻れなくなるのでね」
「逃げる気か!」
冬希が【あのものたち】に刀を向けるが、それを意に介せず【あのものたち】はその姿を揺らめかせる。
「なに、またすぐに会えるさ。特にそこの——」
颯真の顔を見て、ふむふむと声を上げる【あのものたち】。
「そうか、キミが裏切り者の——」
そう言い残し、【あのものたち】の身体が闇へと戻り、掻き消える。
「待て——!」
冬希が刀を構えるが、それを颯真が止める。
「深追いしないで!」
深追いしたところでいいことは何もない。
颯真の言葉に、冬希が動きを止める。
「く——」
悔しそうに、冬希が唸る。
「せっかく、仇を見つけたと思ったのに——」
悔しそうに唇を噛む冬希の隣に、颯真が歩み寄る。
「冬希さん」
颯真がそっと声をかける。
こんな時に、何を言っていいかは分からなかったが。それでも、声をかけずにはいられなかった。
「あいつが出てきた、ということは今後もきっと出てくるはず」
「……」
冬希が颯真の顔を見る。
「でも、私は——」
「冬希さん」
もう一度、颯真が冬希を呼ぶ。
「今は、あの人を逮捕するのが、先」
颯真が地面にうずくまる男を見る。
それを見て、冬希も落ち着きを取り戻し、手錠を取り出し男に歩み寄った。
「ち、近寄るな!」
男が近づく冬希を追い払おうとする。
「大丈夫です、僕たちはあなたに危害を加えたりしません」
先ほどは怒りに任せて殴ろうとしてしまいましたが、と言いつつ、颯真も男に歩み寄る。
「あなたがどうして【タソガレさま】を信じるのか、僕には分かりません。あなたが信じた【タソガレさま】はあなたを殺そうとしたじゃないですか。結局、あなたは利用されていただけなんですよ」
「何を——。【タソガレさま】が、そんな……。だが……確かに……」
男はまだ【あのものたち】を信じたいのだろう。しかし、襲われたという事実が、男を揺るがせている。
颯真は静かに言葉を続けた。
「僕は……僕たちは、みんながもう一度夜に出歩いて、夜を楽しめるようにしたいんです。そのために、戦っている。あなたの言う、【タソガレさま】と」
「……夜を、楽しむ……?」
信じられない、といった面持ちで男が颯真の言葉を繰り返す。
そうです、と颯真は頷いてみせた。
「空を見上げてください」
「空……?」
何をバカな、と言いつつも男が空を見上げる。
空を彩る満天の星と、淡く輝く月の光が男を照らす。
「——」
空を見上げた男の表情が変わる。
憎悪に満ちていた顔が、驚きへ変わり、そしてその目に光が宿る。
「……これが、夜空……」
颯真が小さく頷く。
「この夜空を取り戻したいんです。あなたの言う【タソガレさま】はあなたに何を与えると言っているんですか。それは、この夜空より尊いものなんですか」
「あ……」
男の喉が鳴る。
「俺は……政府が隠していることを【タソガレさま】が暴いてくれると言うからそれを信じた。だが——」
この夜空を、取り戻すために、と呟く男に颯真は再び頷いた。
「【夜禁法】で全てを隠している政府にも問題はあると思います。でも、【タソガレさま】に襲われた今なら分かるはずです。あれを野放しにしていたら、この国はめちゃくちゃになる。だから、今は皆さんに耐えてもらっているんです。いつか、必ず夜を取り戻すから」
「夜は……この星空は、また見れるのか?」
男の問いかけに、颯真は一瞬迷った。
【夜禁法】がある限り、ここで逮捕されたこの男はもしかするともう夜空を見上げることができないかもしれない。それでも、もし、夜を取り戻すことができたら——。
颯真が力強く頷く。
「僕たちが夜を取り戻した暁には、きっと」
「……分かった」
男はもう抵抗しなかった。
大人しく手錠をかけられ、冬希が要請した護送車に乗せられ、運ばれていく。
それを見送り、颯真はふぅ、と息を吐いた。
「……なんとか、なった」
「南、大丈夫か?」
重傷とまではいかないものの、颯真は傷を負っている。
冬希が心配して声をかけると、颯真は大丈夫、と笑った。
「大したことないよ。それに弘前さんのヒールですぐ治るし」
「それはそうだけど——」
それでも、心配なものは心配なのである。
そんな冬希に、颯真はもう一度「大丈夫」と声をかけた。
「それよりも、冬希さんは独りじゃない。仇を取るというなら、僕も力を貸すから」
「南——」
冬希の母親が【あのものたち】に殺されていたことは颯真にとってショックではあった。
だからこそ、冬希に寄り添いたい、冬希の力になりたい。
——だから、僕を信じて。
颯真の言葉に、冬希は小さく頷いた。
「……うん」
南が、そう言うなら、と小声で呟き、冬希は先ほどの【あのものたち】を思い出した。
目の前に現れた、人の姿を取ることができる、高度な知性を持った【あのものたち】。
その姿に、二人はこれからの戦いが激化していくことを予感した。
今までのように、ただ湧いて出る【あのものたち】を駆除するだけでは行かない。
だが同時に、二人はこの戦いがそう遠くないうちに終わるのではないかとも考えた。
【あのものたち】側もしびれを切らして幹部クラスが動き始めたのではないか、と。
負けられない、と颯真が呟く。
いつか、あの強力な【あのものたち】を倒し、夜を取り戻すんだ、と——。