目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報
第47話「よるがきりさく」

 その光景は凄惨なものだった。

 胸にを突き立てられた男が宙に持ち上げられ、びくびくと痙攣している。

 漆黒の刃に赤黒い液体が伝わり、地面に落ちる。


 信じられない光景だった。

 【あのものたち】が、【あのものたち】を信奉する人間に危害を加えた。

 あの文様は【あのものたち】が自分たちを信奉する人間を見分け、危害を加えないために与えたものではなかったのか。

 「ひぃっ」ともう一人の男が腰を抜かし、その場に座り込むのが見える。


 どうして、という言葉が颯真の口から洩れた。

 それに、今目の前にいる【あのものたち】の異質さは何だ。

 見た目は他の一般的な個体と変わらないはずなのに、男を貫いた闇は爪ではなく、刃。


 明らかに人間が握る者と同等の形状の武器で、【あのものたち】は男の一人を殺していた。


「——全く、使えない奴だ」


 闇から、【あのものたち】から声が聞こえる。

 ごくり、と颯真の喉が鳴る。

 あの夜、【あのものたち】が高義たちを殺した光景を思い出し、胃のあたりから何かがこみ上げてくるような感触を覚えるが、それを飲み込み、目の前の【あのものたち】を見る。


 ゆらり、と【あのものたち】の姿が揺らめく。

 揺らめき、渦を巻き、【あのものたち】が明確に一つの生命体の姿を形作っていく。


「あ——」


 颯真の隣で、冬希がかすれた声を上げる。

 二人の目の前に立っているのは、明らかに姿をしていた。

 人間と同じ肌の色、髪の色、目の色、そして先程殺したばかりの男と同じ服を身に着けている。

 人間と同じ姿。それなのに、途轍もない悍ましさが颯真の背筋を這いあがる。


——あれは駄目だ。敵に回してはいけない。


 敵だとは分かっている。倒さなければいけない【あのものたち】だとは理解している。人間の姿をしているが、あれは【あのものたち】だ。惑わされてはいけない。

 倒さなければいけない、と分かっているのに身体が動かない。全身が、本能が逃げろと颯真に囁きかける。あれは危険だ、手を出せば殺される、と。


「ワタシたちに与するというからもう少し使えると思ったが、ニンゲンとは本当に愚かなものだな」


 そう言い、人間の姿となった【あのものたち】は口元を歪める。


「キミたちが【ナイトウォッチ】か。ワタシたちを殺すための集団、そして裏切り者が作り出した組織」


 【あのものたち】が腕を振り、手にしていた刃に刺さっていた男を投げ捨てる。


「まさかこんなにも早く【ナイトウォッチ】と遭遇するとは」


 ふむ、と【あのものたち】が刃を振り、血を払う。

 どうする、と颯真は冬希を見た。

 冬希はというと表情こそは変わりないように見えたが、激しい憎悪をそのうちに宿しているようだった。目の前の【あのものたち】を、その視線で射殺せそうな勢いで睨みつけている。


「お前は——!」


 今にも斬りかかりそうな勢いで冬希が声を上げる。

 颯真もいつでも踏み込める体勢に入りながら【あのものたち】の様子を窺っていた。


 敵に隙を見せてはいけない。警鐘が頭の中で鳴り響くが、それを無視して颯真は【あのものたち】を睨みつける。

 しかし、【あのものたち】はそれに怯むことなく、平然と二人を見つめていた。


「ワタシが何者かって? 今までさんざん見てきただろう、キミたちが【あのものたち】と呼ぶ存在」

「【あのものたち】……」


 低く、颯真が呟く。

 今まで戦ってきたどの個体とも違う。何が違うか、具体的に知性の高さが違う。

 過去に戦ってきた【あのものたち】は知性はほとんどなく、本能的に人間を襲うか、知性があったとしても獣の群れのように多少連携してくる程度だった。


 だが、今目の前にいる個体は違う。人の姿になり、人の言葉を話している。

 こちらがまだ何も言えていないから会話が成立するのかは疑わしいが、それでもこちらの疑問を汲み取り、自己紹介をしたことから、恐らく会話は可能。


 ちら、と颯真は冬希を見た。

 「早まらないで」と、冬希に視線で訴える。

 もし会話が可能であるのなら、攻撃した時点でこちらが悪となる。

 まずは対話を、と颯真はゆっくりと口を開いた。


「……どうして、ここに来たのですか」


 何を質問すればいいのか、全く分からない。いくら人語を解するとはいえ相手は人間ではない。言ってしまえばエイリアンとの遭遇である。いや、エイリアンという言葉自体元々が「宇宙人」という意味ではない。「異邦人」や「見知らぬ人」という意味が元々のものだと考えると正しい意味での未知との遭遇となるだろう。そんな存在に、いきなり仲良く会話するといったコミュニケーション能力は颯真にはなかった。


「どうして、か」


 意外そうな顔で、目の前の【あのものたち】は首をかしげる。


「そうさな——。ワタシ個人の理由とすれば純粋にニンゲンに興味が湧いたからだ。元々ワタシたちはニンゲンを利用するつもりだったが、意外と抵抗してくるからどんなものかと暫く見ていたが——愚かなものだな」


 明らかに人間を見下したような【あのものたち】の言葉。

 きり、と隣の冬希の奥歯が鳴る音が聞こえる。

 落ち着いて、と颯真が冬希をなだめる。

 いつもなら逆になるはずなのに、今の颯真は何故か落ち着いていた。


 いや、その逆で、想定外のことに思考が停止してしまっているのかもしれない。

 悍ましさは全身を駆け巡っている。できることなら今すぐ逃げだしたいと思っている。


 それでも逃げずに踏みとどまっているのは、冬希を置いて逃げられない、という意志が残っているからだ。ここで冬希を見捨てて逃げれば、冬希は【あのものたち】に斬りかかり、返り討ちに遭うだろう。


 それにしてもこの【あのものたち】は何だ。

 【あのものたち】も上位のものであれば知性がある、とは知識で知っていた。だが、まさかここまで、人間と会話できるレベルで知性を持っていたとは。


 しかし、会話はできるが対話としては成立しない、そんな気がする。

 相手はこちらを下に見ている。「ニンゲンを利用する」と言っていることから、人類が【あのものたち】に対して有用な存在ではあるようだが、それなら何故人間を攻撃する。利用するのであるならば、生け捕りにし、「裏の世界」へ連れていくはずだ。


 そんな颯真の疑問も、【あのものたち】の次の言葉で吹き飛んでしまう。


「どうして抵抗する? ワタシたちに与すれば世界はもっと発展するだろうに」

「黙れ!」


 冬希が叫んだ。


「人間を利用する? 殺しておいて、何を言うんだ!」


 だが、冬希のその言葉に、【あのものたち】は低く嗤うだけ。


「ニンゲンの中でも下等なモノを利用するほどワタシたちも落ちぶれていないよ。ワタシはこれでも友好的にニンゲンと接しているのだよ? それを問答無用に攻撃してくるのはキミたちじゃないか」

「く——!」


 冬希が低く呻く。

 【あのものたち】からすればそういう認識なのか、と冬希の隣で颯真が考える。

 もしかして、という可能性が颯真の脳裏を過る。


——【あのものたち】は、対話を試みている——?


「ふざけるな!」


 冬希が叫ぶ。


「何が『友好的』だ! 母を、殺しておいて——!」

「え?」


 突然の冬希の言葉に、颯真は思わず声を上げた。

 冬希の母親が、殺された? 【あのものたち】に?

 そうは思ったものの、何故か納得する。

 この【あのものたち】を見た瞬間から、冬希の、【あのものたち】に対する敵意は、憎悪は増幅していた。それはまるで、この個体を知っているかのように。


 冬希がこの個体を知っているか否かまでは分からない。だが、冬希は明らかにこの知性を持った【あのものたち】に反応している。

 恐らく、冬希はここまでの知性を持った【あのものたち】の存在を知っていたのだろう。いや、母親を殺したのが高度な知性を持った個体だったのか。


「母は【黄昏教会】に拉致され、生贄にされた! ごく普通の人間として、生きていただけなのに!」


 冬希の激昂は続く。


「何が【タソガレさま】だ! 何が『友好的』だ! 私は、お前たちを許さない!」

「! 冬希さ——!」


 咄嗟に、颯真は冬希に手を伸ばした。

 だがその手は空を切り、冬希は刀に光を纏わせ、【あのものたち】に突撃していた。


「はああああぁぁぁぁっ!!」


 最上段に振りかぶられた冬希の刀が【あのものたち】を捉える。


「ふん、」


 【あのものたち】は鼻で嗤い、手にしていた漆黒の刃を軽く掲げる。

 光を纏った刀と、闇を固化したような刃がぶつかり、火花を散らす。


「どけえええええええ!!」


 冬希が手首を捻り、刀を返す。

 それに応じるように【あのものたち】も刃を返し、受け止める。


「冬希さん!」


 これはまずい、と颯真も刀を手に、【あのものたち】に突撃した。

 冬希の反対側から、刀を振り下ろす。

 しかし、


「その程度か」


 颯真の刀は、【あのものたち】の反対側の手によって簡単に阻まれた。

 厳密には、手から出現した、新たな刀に。

 【あのものたち】の動きに、颯真と冬希が一度後ろに跳び退る。


「……なるほど」


 両手の刃に視線を投げ、【あのものたち】が呟く。


「ニンゲンも魂を利用することを覚えたというわけか」

「何を——」


 冬希が【あのものたち】を睨みつける。

 今まで、冬希は母親が殺されたということは一言も言っていなかった。あまりにも突然すぎる発言だが、冬希が【ナイトウォッチ】に入隊した理由としては十分に納得できる。

 母親を殺され、復讐を誓った。「力」があったから、【ナイトウォッチ】にスカウトされた。


 もし、颯真も育ての親である佐藤夫妻が【あのものたち】関連で殺されていたら同じことを考えていたに違いない。だから、復讐は駄目だと冬希を責める気もない。

 しかし、今、怒りに我を忘れている状態で戦ってはいけない。

 冬希の攻撃は大振りになっているし、颯真が横から斬りかからなければ反撃で傷を負っていたかもしれない。


 強い、と颯真は呟いた。

 ただ高い知性を持っているだけではない。その知性ゆえに適切に武器を作り出し、冷静に対処する。

 そんな冷静な【あのものたち】に冬希が勝てるはずがない。


「落ち着いて、冬希さん」


 もう一度斬りかかろうとする冬希を颯真が止める。


「相手をよく見て。怒りに任せて攻撃しても当たらない」

「——、」


 颯真に言われ、冬希の、刀を握る手に力が入る。


「それでも、私は——」

「冬希さん!」


 強い声で、颯真は冬希を呼んだ。

 いつになく力の入った颯真の声に、冬希がびくりと反応する。


「落ち着いて、冬希さん! 今の僕たちがしなければいけないことは、何? あの人を、守ることじゃないの?」


 颯真の言葉に、冬希は思わず【あのものたち】の足元を見た。

 その足元に、腰を抜かした男が蹲っている。

 電磁バリア発生装置の修復を妨害しようとし、颯真たちに止められた二人の男。


 そのうちの一人は【あのものたち】に殺されてしまったが、せめてもう一人は守り切らなければいけない。

 落ち着け、と冬希は自分に言い聞かせた。

 今は何をなすべきか、と。


 今の自分は【ナイトウォッチ】だ。【あのものたち】に対する私怨で戦ってはいけない。

 大きく息を吐き、冬希は小さく頷いた。


「すまない、南。自分を見失ってた」

「大丈夫。今は、あいつを何とかすることを考えよう」


 冬希が落ち着きを取り戻したことを確認し、颯真も力強く頷いてみせた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?