目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報
第42話「よるにひそむなぞ」

 週末のある日。

 宿舎となっている誠一の家の食堂で朝食を済ませた颯真と冬希は、午前中が自由時間であることを利用して自主的にトレーニングを行っていた。


 誰もいないジムで、隣り合ったランニングマシンでひたすら足を動かしている。

 同時に、口も。


「……南、」


 今までの実戦の振り返りや学校のことなど、他愛もないことを話していた冬希が改まって颯真を呼ぶ。


「どうしたの?」


 颯真が走りながら、ちら、と冬希に視線を投げる。

 冬希と同じトレーニングメニューでトレーニングするのはもう当たり前の日常だった。二人とも使う武器が刀ということで武術系のトレーニングも同じ、それなら体力トレーニングも合わせれば実力を並べられる、と学校以外では共に行動することが当たり前となっていた。


 周りから見れば仲睦まじいカップルという認識になるこの二人だが、肝心の当事者は互いのことをただの同僚としか見ていない。


 こうやってトレーニング中に雑談をするのも【ナイトウォッチ】で戦う上でちゃんと意思疎通ができないと危険に晒される、という思いがあるからだ。そして、正式にバディ登録はしていないものの、バディを組むのはやぶさかではない、と二人とも思っている。それなのに互いが互いを受け入れてくれないだろう、と歩み寄るのを拒否してしまっている。


 周りは「いい加減にしろ」となっているが、当事者の意識が変わらない限りこの問題は解決しない。

 もう暫くで新人チームも解散、それぞれが正式にどこかの部隊に配属されるという時期だけあって、周りにもいい加減焦りが見え始めていた。


「あの、満越が脅してきた時の話だけど」


 走りながら、冬希がぽつりと語る。


「正直なところ、私一人でもなんとかできると思っていたからあの時君が来てくれて助かった」

「えっ」


 思いもよらなかった言葉。

 颯真の足がもつれ、ランニングマシンの上でバランスを崩す。


「何やってるんだ南」


 呆れたように冬希が声をかけるが、颯真は慌ててバランスを取り直し、もう、と頬を膨らませる。


「冬希さんがそんなこと言うと、なんか調子が狂う」


 あの一件以来、二人が行動を共にすることは何度もあったが言及するようなことは一度もなかった。それを今頃になって言うとは一体どういう風の吹き回しか。

 そうか、と冬希は飄々とした様子で颯真を見る。


「そういえばあの件、お礼を言っていなかったと思って。あの時はありがとう」

「……どういたしまして」


 どう返していいか分からず、颯真の口からこぼれたのは月並みな言葉。

 手首に付けたスマートウォッチが震え、視界に【心拍の異常な上昇】と警告が表示される。


「……」


 機械は嘘をつかない、と跳ね上がった自分の心拍の可視化にため息が出る。

 どうしてこんなことでドキドキしてしまったんだ、と思いつつ、颯真は跳ね上がった心拍を抑えるためにランニングマシンを止めた。マシンの横に置いていたアイソトニック飲料とタオルを手に取り、ベンチに向かう。


「休憩か?」


 颯真がベンチに向かったことで冬希もランニングマシンを止め、颯真を追いかける。

 颯真の隣に腰かけ、冬希は自分のアイソトニック飲料を一息にあおった。


「どうしたんだ南、何か心配事でも?」

「……いや、なんでもない」


 実際のところ、颯真に何かがあったわけではない。健康状態も問題ないしメンタル面でも問題ないと【ナイトウォッチ】のカウンセラーにお墨付きをもらっている。

 それなのに今感じているこの感情は何なのだろうか。

 漠然と、このままではいけない、そんな思いが颯真の胸を支配している。


「何か心配事があるなら言えばいい。私でいいなら話を聞くけど?」

「いや、本当に何でもない」


 咄嗟に颯真はそう答えてしまった。

 何でもない、は嘘だ。何でもないはずなんてない。

 しかし、今、自分の胸を支配している感情を言語化するには颯真はあまりにも幼すぎた。人生経験が少なすぎて、適切な言葉を口に出せない。


 これが神谷さんだったらきっとうまく説明したんだろうな、と颯真が思った時、ジムの扉が開いて誠一が入ってきた。

 噂をすれば、と颯真が思っているところに誠一が近寄ってくるが、誠一は颯真の前ではなく冬希の前で立ち止まる。


「冬希君、ここにいたか」


 誠一に声を掛けられ、冬希が慌てて立ち上がる。


「どうしましたか」

「そうかしこまらなくていい。例の件で、少し話がしたい」


 そう言った誠一がちらりと颯真を見た——ようだった。


「例の件ですか」


 分かりました、と冬希がベンチに置いたタオルとペットボトルを拾い上げる。


「南。悪いが少し用事ができたから。話したかったら、後で話を聞く」

「う、うん」


 誠一が冬希を呼ぶのは珍しいことではない。冬希の父親が国会議員というところから政治がらみの話や、突っ走るところがあるとはいえ優秀な隊員である冬希だからこそ頼める話もあるのは颯真も理解していた。


「じゃあ、僕はVRトレーニングしてくる。冬希さんは別に僕のこと気にしなくていいから」


 颯真も立ち上がり、自分の荷物を手にVRルームへと歩き出す。


「……すまないな」


 すまなさそうな顔をして、誠一が謝罪した。


「いいえ、例の件なら私にとっても最優先事項ですから」


 颯真の姿がジムから消えたのを見送り、冬希は誠一を見た。


「何か分かったのですか」

「いや、進展というほどでもないがな。少し気になることが出てきた」


 誠一が腕を組み、颯真が出ていったジムのドアを見る。


「冬希君、あの夜の【あのものたち】は本当にアルテミスの観測範囲に入る規模だったのか?」

「はい、一体や二体ではありませんでした。南を庇って一晩戦い続けたという戦闘記録は残っているはずですが」


 冬希もドアを見て答える。

 二人が話していたのは、颯真が初めて魂技を使った夜——颯真が【夜禁法】を破った時のことだった。


「普通、あれだけの規模の【あのものたち】の出現をアルテミスが見落とすはずがありません」

「そうだな、しかし、ごく稀にアルテミスの観測外の出現が報告されている……。アルテミスの観測精度を考える限り、そんなことはあり得ないと思うが」


 あの夜、あのショッピングモールには大量の【あのものたち】が押し寄せた。しかし、【ナイトウォッチ】はアルテミスがからあの場に部隊を派遣しなかった。あの時、冬希が一人で現場に向かったのは昼間、学校で【夜禁法】を破る話が持ち上がっていたから巡回に向かっただけだ。アルテミスが観測していないから【あのものたち】が出ることもないだろうという考えだったが。


 その結果、【あのものたち】は大量に出現し、冬希は応援を呼ぶこともできずに一人で戦うことになった。あの場には颯真を含めて何人もの生徒がいて、颯真以外は全員殺されていた。

 【ナイトウォッチ】としては最大級の被害。【あのものたち】が出現していなければただ五人を逮捕していただけの話が、アルテミスの観測ミスによって大きな被害をもたらしてしまった。


 【ナイトウォッチ】の中でも重大インシデントとして記録されたこの一件であったが、この件には不可解な点が多かった。

 まず、「何故アルテミスが観測できなかった」かである。誠一の言う通り、ごく稀に観測漏れがあり、対応が後手に回ったことがあったが、そのたびにデータに漏れがなかったかなど念入りに調査される。しかし、アルテミスの検査を行っても何のエラーも検出されなかった。


 次に、「何故高義たちがあのショッピングモールなら発見されない」と知っていたのか。夕方から警らドローンなどが巡回を始めるため、一般市民は「夜出歩けばドローンにすぐ発見される」ということを知っている。そのこと自体が犯罪の抑止力にもなっていたが、高義は何故あのショッピングモールにはということを知っていたのだろうか。


 あのショッピングモールは廃棄されて久しいが、あの事件が起こる少し前までは電磁バリアも展開されていたしドローンの巡回ルートにも入っていた。電磁バリア展開のコスト等を考え、試験的に電磁バリアもドローンの巡回も停止する、という措置を取った矢先にあの事件は起きた。電磁バリアの停止情報など公開されるはずがなく、高義が知ることは本来ならあり得ない。


 そして、【あのものたち】の出現パターンが通常とは違ったこと。電磁バリアに阻まれて民家に侵入することがない【あのものたち】ではあるが、電磁バリアの範囲外であっても地下道や休憩所といった「屋根の下や屋内に匹敵する場所」には基本的に出現しない。それなのに、あの夜は屋内であるはずのショッピングモールに大量に出現した。


 そんな謎があの夜には残されている。

 あの夜、あの現場を担当した冬希は帰還後、報告書を提出する際に誠一に事態の異常さを伝えていた。「アルテミスの観測外のことが起きていた、それを狙ったかのように一般人が現場にいた」と。その報告に誠一もおかしい、と同意し、独自に調査することを決定した。この件は【ナイトウォッチ】に入隊することになった颯真にも当事者だったことを鑑みて伝えるかと検討されたが、まだ入隊したばかりの颯真にこの異常な事態を告げて混乱させるわけにはいかない、とひとまず何かが分かるまでは伏せておこう、ということになった。


 しかし、いくら調べても何も浮上してこない。

 やはり、偶然が重なっただけなのか、と冬希も誠一も思い始めていた。

 だが、ここ数日誠一の耳に入ったとある事象が、一つの可能性を浮かび上がらせていた。


「冬希君、先日【あのものたち】派を逮捕したよな」

「そうですね、それが何か」

「もしかすると、【あのものたち】派があの件に絡んでいるかもしれないぞ」


 低い声で、誠一は冬希にそう言った。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?