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第39話「よるかなでるじょきょく」

 二学期が始まり、当たり前の日常が戻ってきた昼休み。

 外はまだ暑いが何故か外の空気を吸いながら昼食を食べたいと思った颯真は昼食の入ったコンビニの袋を手に屋上への階段を上っていた。


 階段を上ってると、上の方から何やら言い争う声が聞こえてくる。

 嫌だな、こんなところで喧嘩しないでほしいな、と颯真がやっぱり教室で食べるか、と考え直したその時。


「それは脅迫じゃないのか」


 冬希の声がはっきりと耳に届いた。


「冬希さん!?」


 この口論の一人は冬希だというのか。脅迫とは一体誰が、何のために、と考えて颯真はすぐに気づく。

 口論の声はまだはっきりと聞き取れるほどの距離ではない。冬希の言葉がはっきり聞こえたのは彼女が少し声を荒らげたからだろう。


 それでも、颯真は冬希の口論相手に心当たりがあった。

 満越奏翔。始業式の日に颯真にあの夜の動画を見せ、「これをネタに付き合えたりする?」と言った張本人。冬希とはこの階段で鉢合わせしたのか、それとも意図的に誘ったのか。


 いずれにせよこの状況はまずい。あの動画は削除されたものの、奏翔はダウンロードくらいしているだろう。それを拡散する、とか「夜出歩いていることを言いふらす」とか脅す方法はいくらでもある。

 それに屈する冬希ではないだろうし、颯真が横槍を入れたところで事態が好転するとは思えないが、それでも颯真は階段を駆け上がっていた。


 奏翔を止めなければいけない。冬希のためにも。

 冬希は【ナイトウォッチ】の隊員だ。魂技を使わずとも普段から鍛えている分体力も腕力もある。下手をすれば奏翔に手を出して怪我をさせてしまう可能性もある。

 もし、そんなことになれば——奏翔はその怪我をネタに冬希を自分のものにしようと画策するだろう。動画の件は脅迫や強要、【夜禁法】の一部に盛り込まれた「夜を詮索しない」に抵触すると論破することができる。しかし怪我をさせてしまえば冬希は一方的に悪者にされてしまう。


 正直なところ、颯真は奏翔が怪我をしたところで自業自得だ、とは思っていた。しかし、そこに冬希が巻き込まれるのは嫌だ。だからこそ奏翔を止める。


「ふ——瀬名さん!」


 階段を一気に駆け上がり、颯真は声を上げた。


「南——」


 屋上に出る扉がある踊り場の壁に追い詰められるような形になっていた冬希が驚いたように声を上げる。


「誰かと思ったら南かよ。なんだ、氷のプリンセスを助ける白馬の王子様ってか?」


 下卑た笑みを浮かべ、奏翔が携帯端末を、その画面に映し出された冬希を颯真に見せる。


「そういえば南は俺が氷のプリンセスと付き合えるかもって言ったら怒ったよな。だから止めに来たのか?」

「うん、君の思い通りにはさせない」


 奏翔の前に歩み寄り、極力怒りを殺して颯真が警告する。


「その動画を消して。君は【夜禁法】第四条、『夜の詮索の禁止』に違反している」


 極めて静かに、そして毅然と颯真は言い放った。


「何を——。そもそも氷のプリンセスはその【夜禁法】の『夜間の外出の禁止』に違反してるだろうが!」

「その動画に映ってる人が瀬名さんだという証拠は?」

「——っ」


 どこまでも静かで冷静な颯真の言葉に、奏翔は怯んだように一歩後ずさった。

 実際に動画に映っている人物は冬希であることに間違いはない。しかし、動画は高ISO感度夜間モードで撮影されたが故に画質は悪く、顔が完全に判別できるほどではない。特に冬希をはっきり特徴づける赤い瞳は夜間モードで荒れ、赤だとは認識できない。


 【夜禁法】の施行によって夜間の外出は制限され、無用の長物となった夜間モードが搭載されたビデオカメラが使われていたことに今更ながら気づかされたが、光源がほぼなかったショッピングモールを撮影するなら夜間モードを使用するしかない。無用の長物とはなっているが子供の誕生日などで部屋の照明を落とし、ろうそくの光だけでケーキと子供を撮影したい、など需要は皆無ではないので今だに夜間モード搭載のデジタルカメラ、ビデオカメラの類は販売されているがそれらは配信用ドローンに搭載できるほど小型化されていない。つまり、


 撮影者が今この場にいたら冬希を見て「この人です」と言えたかもしれない。そう考えると偶然動画を見つけただけの奏翔だけで助かった。うまく言いくるめれば何とでもなる。


「ど、どこから見たって氷のプリンセスだろうが!」

「先入観で決めつけるのはよくないよ。『疑わしきは罰せず』、刑事裁判の大原則だよ」

「く——!」


 ぎり、と奏翔が歯ぎしりする。


「それとも、満越君は自分が脅迫罪、強要罪に抵触してる実感がない?」

「何言ってんだよ! これは『提案』だ、夜のことを口外しない代わりに俺に旨味を寄越せという」

「それが脅迫、強要なんだよ」


 真っすぐ奏翔を見据え、颯真はきっぱりと言い放った。


「今ここでその動画を消して、瀬名さんに関わらないというなら僕も手荒な真似はしない。だけどそれに従えないなら——」

「うわあぁぁぁぁっ!」


 颯真が最後まで言い切る前に、奏翔は拳を固めて颯真に躍りかかった。奏翔の拳が颯真の眼前に迫る。

 しかし、颯真は落ち着き払っていた。

 颯真の手から白い何かが離れ、奏翔の顔面にヒットする。


「ぶべっ!」


 カサカサとした白い何かが顔にぶつかったことで奏翔が一瞬怯む。

 颯真の眼前に迫った奏翔の拳が空振りし、颯真は奏翔の手首を危なげなく掴んだ。

 素早く奏翔の腕を背中に回し、床に押し倒す。


「瀬名さん!」

「了解!」


 颯真の言葉に、冬希が素早く動いた。

 奏翔の左手から携帯端末を奪い、再生されていた動画を削除する。

 念のためクラウドにバックアップがとられていないかも確認し、冬希は颯真に頷いてみせた。


「瀬名さんは先生と警察を呼んで。【夜禁法】第四条は外出禁止第一条よりも罪は軽いっていってもこれはちょっと見過ごせない」

「クソッ、放せ!」


 颯真の腕の下で奏翔がもがくが、普段から【ナイトウォッチ】で鍛えていた颯真にとっては何の脅威でもない。


「瀬名さんに対する脅迫、強要、【夜禁法】第四条違反、僕に対する暴行で数え役満だけど?」

「ぐ——」


 奏翔は何も言い返せない。颯真が言ったことは全て事実。反論の余地があまりにもなかった。

 頼みの綱の動画も削除され、冬希が夜出歩いていたことを証明することも不可能。そもそも冬希と断定する材料とするにはいささか証拠としての能力は低かったため、動画が復元されたとしてもそこから冬希を疑えと言うこともできないだろう。


 バタバタと足音が響き、冬希が教師を連れて戻ってくる。

 そうなってしまうと奏翔はもう抵抗することができなかった。

 教師によって職員室に連行され、警察に引き渡されることになる。


「南君、君も話を聞きたいから生徒指導室に」


 教師に声を掛けられ、颯真もその指示に従う。


「あ、南、これ——」


 教師に連れられ、生徒指導室に向かおうとした颯真に冬希が何かを拾って差し出す。


「あ——」


 「それ」を受け取った颯真は苦笑した。

 そういえば奏翔を怯ませるためにお昼ご飯を投げたんだった、と今更ながらに思い出す。

 袋の中身は颯真がよく行くコンビニエンスストアの新作サンドイッチだった。


 お昼ご飯にサンドイッチを選んだ日に限って何かしらとんでもないことに巻き込まれているな、と改めて思い出しつつも、「でも、サンドイッチ好きなんだよな……」と思考を巡らせる。

 それはそうとして、警察沙汰にはなってしまったが【ナイトウォッチ】を巻き込むような事態にはならなくて済んだ。


 冬希が手を出さずに我慢したのも、激高した奏翔を冷静に捌いた颯真も今この場で取ることができる最善の対応だった。このどちらかが欠けていれば確実に自体はもっと大変なことになっていただろう。


 それでも、颯真は安堵の息を吐くことができなかった。

 今回は偶然対処できただけだ。相手がクラスメイトの奏翔でなく、見ず知らずの一般市民だったらここまで冷静に対処できなかったかもしれない。

 同時に、颯真は嫌な予感を覚えていた。

 これはまだ、ほんの始まりに過ぎないのではないか、と。

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