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第36話「よるのよびごえ」

 始業式ということで全ての予定が午前中で終わり、颯真は鞄とコンビニの袋を手にふらりと屋上に向かっていた。

 訓練は夕方からの数時間、その後【ナイトウォッチ】としての任務があるが、それまでは時間もあるし、ということで颯真は午後を図書室で自習しようと考えていた。


 冬希は実家に顔を出すため下校しているし、大和も今日は用事があると帰ってしまった。

 久しぶりに一人になったような気がして、颯真は数人の生徒がたむろして昼食を摂る屋上の隅に腰掛け、サンドイッチの封を切った。


「お、いたいた」


 颯真がサンドイッチを口に運んだ瞬間、そんな声が聞こえて目の前に一人の男子生徒が現れる。

 隣いいか、と言いつつ颯真の隣に座った男子生徒は、確かにクラスメイトの一人ではあったが大和とは特に絡みのない、別グループの一員だった。


「えっと……満越みつこし君……?」


 一応、クラスメイトの顔と名前は一致させていたつもりだが、自信がなくて確認する。

 満越と呼ばれた男子生徒はおう、と頷き、興味津々で颯真を見た。


「そ、満越奏翔かなと。こうやって話すのは初めてかも」


 そう言い、奏翔はにっ、と笑って見せた。

 その瞬間、颯真は何故かぞくりとした悪寒を覚える。

 どことなく嫌な空気を漂わせた奏翔に、近寄ってはいけない、そんなことを考えてしまう。


 今まで話してきたクラスメイトは皆とてもいい人で、颯真を一人の人間として尊重した上で時にはふざけたことも話してきた。冬希との関係を茶化されることもあったが、それでもその奥には「頑張れよ」という応援が含まれていることを感じて、颯真はそれを心地よく思っていた。


 しかし、奏翔は違う、と颯真は感じ取っていた。

 いや、悪意はないだろう。それなのに、大和たちとは違う嫌な雰囲気を感じる。

 なんだろう、と颯真が考えている間に、奏翔は「それ、食べろよ」と促してきた。


 いつの間にか、颯真の、サンドイッチを食べる手が止まっていた。

 同時に、颯真は気づく。

 「サンドイッチだった」と。

 今年度に入ってから、颯真は昼食にコンビニで購入したサンドイッチを食べているときに限り何かしらの話に巻き込まれているような気がする。それはただの思い過ごし、何かしらのバイアスがかかっているのかも知れないが、それでも以前「ジンクスができたんじゃ」と思うレベルで何かしらの事件が発生している。


 いや、コンビニのサンドイッチ美味しいし野菜もタンパク質もちゃんと摂れるし、と自分に言い聞かせながらサンドイッチを飲み込み、颯真は奏翔を見た。


「……何か用?」

「ああ、今まで河部とかとずっと絡んでたから声かけづらかったんだけどさ……。お前、実は【夜禁法】破ってるだろ」

「な——」


 単刀直入に切り出された話題に、食後のカフェオレを飲もうとした颯真の手が止まる。

 奏翔の言葉は事実だ。【夜禁法】を破ったから今の颯真がある。


 どう答えたらいい、と困惑した目で颯真が奏翔を見ると、奏翔は大丈夫大丈夫と手を振った


「警察にチクるとかしないよ。ただ、気になっただけだって」

「でもなんでそんなこと」


 【夜禁法】を破ったなど、そんなことを把握できるのは夜に出歩くことを許されている【ナイトウォッチ】以外考えられない。そして、奏翔が【ナイトウォッチ】を知っているとは思えないし、知っているならもう少し違う言い方で颯真に接触するはずである。


 そう考えると奏翔は「颯真が夜に出歩いたことを知っているがそれ以上のことは知らない」ということになる。【夜禁法】の一環で夜間の外での出来事は全て隠蔽されている今、颯真のこの秘密を知っているのは——。


「まさか、満越君も——」


 掠れた声で颯真が尋ねる。

 自分は【ナイトウォッチ】に入隊したが、奏翔がそうでないなら通報するしかない。不公平だと言われるかもしれないが、それは「魂」という素質の違いによるものだから仕方がない。

 だが、奏翔は「いやいや」と手を振ってそれを否定する。


「俺、お前みたいに度胸ないから夜の街に出たりしないよ。だけど、これを見てくれ」


 そう言い、奏翔は携帯端末を取り出して動画配信サービスのアプリを呼び出し、一つの動画を再生した。


「これは——」


 颯真が息を呑む。

 奏翔の携帯端末で再生された動画は、颯真が高義に連れられた夜のショッピングモールを撮影したものだった。

 【あのものたち】に襲われ、殺される高義や逃げる取り巻きが、画質が悪いもののしっかりと写っている。


 せめてもの救いは投稿者が「残酷なシーン」として配慮した結果、全員の顔と【あのものたち】によって傷つけられる瞬間にモザイクがかけられていたことだろうか。


「これさ、誰とか言われてないけど温海たちだよな? 制服がうちのものだし、投稿日が夏休みの始まりごろだし、ちょうどそのタイミングで温海たちが逮捕されたって話があったじゃん。実際は——こういうことだったのか?」


 奏翔の言葉に、颯真は沈黙する。

 答えられない。答えてはいけない。顔にモザイクがかけられているから颯真だと特定することはできないはず。知らぬ存ぜぬを突き通せばいい。


「……これで、どうして僕が」


 やっとのことで颯真が言葉を絞り出す。

 ん? と奏翔が首を傾げる。


「なんだ、この場にお前もいたのか?」


 奏翔の言葉に颯真が何も言えなくなる。

 そうだ、奏翔は「これを見てくれ」と動画を見せただけだ。「これ、お前だろう」とは一言も言っていない。

 颯真が【夜禁法】を破ったらしい、という情報はどこかから入手したのかもしれないが、ただのブラフであった可能性もあった。

 それに、まんまと引っかかってしまうとは。


「僕は——」


 咄嗟の言い訳を考えながら颯真が口を開く。

 何とかして話を誤魔化さなければいけない。【あのものたち】のことも、【ナイトウォッチ】のことも知られてはいけない。

 この際【あのものたち】のことは仕方ないかもしれない、しかしそれを広められないためにも口止めはしなければいけないだろう。


「教えろよ。南、お前この現場にいたのか? もしかして撮影したのもお前——」

「僕じゃない」


 咄嗟に言葉が口をついて出た。

 それは違う。断じて言える。

 あのとき、あの場所にいたのは事実だ。しかし、こんな展開になるとは全く思っていなかったし、撮影する余裕もなかった。

 それに、この動画は明らかに正確な撮影を行なっている。ブレもボケもなく、モザイク部分以外は鮮明に、夜間モードで撮影されている。

 まるで、撮影用のドローンで撮影したような——。


「この動画を投稿したのは誰なの」


 話を逸らす意図ではなかったが、颯真はそう尋ねていた。

 一体誰がこれを。それとも【ナイトウォッチ】の記録用ドローンの映像が流出したのか。

 颯真の問いかけに、奏翔が答える。


「ああこれ、【政府の闇を切り裂く】ってチャンネル。まぁ普段は『政府はこんなことを隠している』とか『この法律に騙されるな』みたいな眉唾物の陰謀論まっしぐらな動画を上げてるチャンネルで、見るやつもいわゆる『目覚めた』系の人間が多いんだが、たまたまおすすめにこの動画が流れてきて、見たらうちの制服だしモザイクかかってるけど温海たちっぽいし、ちょっと気になってな」

「それと僕が【夜禁法】を破ったことに何の関係が」


 とりあえず、今この瞬間は奏翔の注意を別方向に逸らすことができたようだ。

 注意深く話題を逸らしつつ、奏翔がそんなことを考えた理由を探りながら颯真は質問を投げかけた。


「あぁ? そういえば温海が逮捕された前日にお前、絡まれてたよなって」

「……」


 一ヵ月以上前のこと、それも普段絡まないようなクラスメイトのことをいまだに覚えていたというのか。

 確かに、あの時はかなりのクラスメイトの注目を浴びていた気がする。高義の動向はある程度把握しておかないと厄介なことに巻き込まれる、という自衛のためにも目で追ってしまうのは颯真もそうだったため、納得できない話ではない。


 あの時のことを覚えていたのか、そう思いつつ颯真はどうしよう、と考えた。

 今ならまだ誤魔化せるかもしれない。だとすれば、どう説明すればいい、そう、颯真が考えていると。


「あ、ここだここ、見てみろよ」


 奏翔が動画のシークバーを動かし、ある時点で止める。


「——っ!」


 颯真が息を呑む。

 これは。この部分は。


「これさ、『氷のプリンセス』だよな」


 一時停止された動画に写っていたのは、黒い衣装に身を包んだ白い髪の少女だった。手に光を帯びた刀を持ち、【あのものたち】と戦っているのは紛れもなく冬希だった。


「どうして、そんなこと」


 何とかして誤魔化さないと、【ナイトウォッチ】が知られてしまう、と颯真が否定しようと口を開く。

 しかし、奏翔はそんな颯真を意に介さず言葉を続けた。


「だってさ、どう見ても『氷のプリンセス』じゃないか」


 これが朱美だったらまだ誤魔化しようはあったかもしれない。しかし、冬希は違う、と否定するにはあまりにも目立つ外見をしていた。


「すごいよな、『氷のプリンセス』、なんか知らん化け物と戦って倒してんだぜ? 元からクールな雰囲気で、でも時々見せる無防備なところがたまらなくて、いつかはお近づきになれたらいいなって思ってたけどさ、もしかしたらこの件をネタに付き合っちゃったりできる……?」


 他の生徒には聞こえないように声を潜めてはいるものの、奏翔は確実に興奮した様子で颯真に話しかけている。

 奏翔の言葉を聞いて、颯真は自分の心がざわついていることに気がついた。


——嫌だ。


「駄目だ」


 思わず、颯真はそう言い放っていた。

 まさか颯真に止められるとは思わず、奏翔が驚いたように颯真を見る。


「なんだよ南、止めるのか?」

「ふ——瀬名さんを脅すなんて、そんなの僕が許さない」


 颯真の剣幕に、奏翔がわずかに怯んだ様子を見せる。


「なんだよ、お前に何の権利があって——」

「僕には何の権利もないかもしれない。けど、瀬名さんを脅して付き合うなんて、そんなの嫌だ」


 そこまでを一息で言い切り、颯真は立ち上がった。


「何ムキになってんだよ」


 立ち去ろうとする颯真を奏翔が呼び止める。

 しかし、それには構わず颯真は奏翔をその場に置き去りにして屋上を出た。

 階段を駆け下り、廊下を走り、それから考える。

 今、自分はどこに向かおうとしているのか。

 冬希は実家に顔を出している。今誠一の家に行っても合流できない。

 それなら誠一に話をするか? 冬希が危ないかもしれないのに、誠一に言ってどうする? 言ったところで誠一が困るだけだ。


 昇降口で外履きに履き替え、外に出る。

 門を抜けて学校の敷地から出て、颯真はそこでようやく立ち止まった。


「……」


 どうすればいい。誰に、何を、どう話せばいい。

 どうすればいいか、颯真には分からなかった。

 呆然と立ち尽くし、颯真は先ほどの奏翔との会話を思い出した。


——【あのものたち】のことを知られた。


 冷静になって考えると、問題は冬希ではない。【あのものたち】が見られたことと、【ナイトウォッチ】の存在を知られたかもしれない、ということが問題なのである。そう考えると、真っ先に報告すべきは誠一だろう。

 一息吐いて歩き出し、颯真は奏翔との会話と動画の内容を改めて考え始めた。


 いつかはこうなるかもしれない、と漠然と思っていたことが実現してしまった。

 何とかしてこの事態をおさめなければ。

 そう思いながら、颯真は駅の方向へ足を向けた。

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