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第35話「よるのといかけ」

 事前調査、を名目に颯真と冬希が夏祭りに参加して一週間と数日。

 新たな月の始まりとともに学校生活も二学期に入り、颯真は久しぶりに全てのクラスメイトと顔を合わせることになった。


 教室に入り、自分の席に鞄を置き、席に着くかどうしようかと考えていたタイミングで大和が颯真に近づいてくる。


「おー、南、しばらくぶりー」


 夏休みの補講に関しては颯真はほぼすべて出席していたが、大和は気が向いたときにちらほら来るだけだった。しかし、最後に顔を合わせたのがあの夏祭りの日で、そこから一週間余りと考えると「久しぶり」より「しばらくぶり」が正しいのだろう、と颯真が漠然と考える。


「河部君、おはよう」


 大和が近づいてきたことで、颯真は自分の席に座り、大和を迎えた。


「夏休みは楽しめたか? 『氷のプリンセス』とバイトがあったんだろ?」

「ま、そ、それはまぁ」


 先日の補講の日に「颯真と冬希が同じバイトをしているらしい」という誤解がクラスメイト間で広がり、そのままになっている。完全に嘘というわけではなかったが、訂正することも難しいので颯真はそのまま問題を先送りにしていた。


「結局、何のバイトだったんだよ」


 そう、詰め寄ってくる大和に圧され、颯真がほんの少しのけぞる。


「あんまり人に言えるバイトじゃないって」

「何言ってんだよ、この学校うち、届け出さえちゃんと出してたらバイトは禁止じゃないだろ。それとも無許可でやってたのか?」


 問い詰められ、颯真がどう答えようかと悩み始める。

 大和の言う通り、颯真が通う学校は届け出さえ出せばアルバイトは認められている。【ナイトウォッチ】は一般人には知られていないものの公的機関であり、当然、給与も支給されるためある種のアルバイトである、とも言えよう。実際のところ誠一の手ほどきで颯真はアルバイトの届け出を学校に提出し、認められているから「アルバイトをしている」ということ自体は嘘ではない。


 だが、問題は「いかに事実を伏せるか」である。まさか【ナイトウォッチ】で【あのものたち】と戦っていますとは言えず、颯真はさて、どうするか、と考えた。

 一応は「アルバイトのことを訊かれたらこう答えろ」というマニュアルはある。しかし颯真にはそれをまことしやかに説明できる自信がなかった。


「んー?」


 大和が詰め寄ってくる。この様子だと興味を持った他のクラスメイトが近寄ってきて話がこじれる可能性がある。

 意を決して、颯真はぽつりと「回答」を口にした。


「……夜の大学病院」

「……え」


 大和としては全く想定していなかった回答だったのだろう、変な声が大和の喉から上がってくる。


「夜の、」

「大学病院」


 復唱しようと口をパクパクさせる大和の言葉を、颯真が続ける。


「何やってんの」

「……聞きたい?」


 地を這うような颯真の声。

 大和が震えあがり、両手を顔の前で振って颯真の言葉を遮る。


「いやいいですなんかやな予感するんで結構です」


 大和の言葉に、颯真は「河部君は何を想像したのだろう」と考えた。

 マニュアルでの回答はこうだ。

 「大学病院の標本保管室で死体をホルマリンに沈める仕事」だと。


 今どき都市伝説でもそんな話は上がってこないだろうというレベルの古典的な嘘ではあるが、嘘というものは信じてしまえばその人にとっての真実となる。明らかに嘘を話したとしても、その話し手が普段嘘をつかないような真面目な人間なら。


 普段クラスメイトと関わり合わない、真面目な生徒で通っている颯真は「嘘をつきそうにない」と認識されている節がある。だからこそ、逆にこの嘘は通用すると考えられてはいた——が。


 颯真がその嘘を口にすることなく、大和は逃げてしまった。颯真が言いたくなさそうに、いや、実際言いたくなくて言葉を濁したが、その話し方が「あ、これは聞いてはいけないやつ」という判断を大和に下させたのだろう。

 嘘を積み重ねる必要がなくなり、颯真は内心でほっと息を吐いた。


 とりあえず【ナイトウォッチ】のことは伏せることができそうだ、と安堵の息を吐くが、この時の颯真は重大なことを失念していた。

 大和の興味は確かに颯真の「アルバイト」にあったかもしれないが、それ以上に大和が興味を持っているネタがあったことに。


 大和が手近な席から椅子を拝借して颯真の前に座る。

 あ、これはじっくりと話したい話題があるんだなと判断した颯真が大和が話を切り出すのを待つ。


「で、『氷のプリンセス』とはあれからどうなったんだ」

「ぶっ!」


 大和の爆弾発言に颯真は盛大に吹き出し、それから激しく咳き込む。吹き出したタイミングで気管に何かが入ったのか、咳が止まらず、息ができない。


「な、そ、それ、は……」


 どうもこうもあるか。あれから特に何かあったとか、そんなことはない。いつも通り訓練をして、任務に出て、二人で【あのものたち】を倒しているだけだ。


 強いて言うなら——夏祭り以来、冬希は少しだけ話しかけてくることが増えたような気がする、と颯真は考えた。必要な時以外も冬希が訓練のことや、時にはさもないことを話しかけてくるようになった気がする。


 夏祭りで冬希が口にした「遊んだりしてみたかった」という言葉は【ナイトウォッチ】にいる限り叶えるのが難しい願望かもしれない。訓練と、【あのものたち】との戦いに明け暮れる日々では遊ぶこともままならないだろう。それなのに、それ以前の冬希も放課後に誰かと遊ぶといったことがなく、言えと学校を往復する日々だった。


 国会議員の娘で、将来を期待されて、家に縛り付けられていた冬希。その冬希の今までの生活を考えると、自分がいかに恵まれた環境にいたかを颯真は考えさせられた。

 確かに颯真には血のつながった両親はいない。幼いころから様々な家を転々として育てられてきた。佐藤夫妻今の家庭に引き取られるまでは苦しい思いもたくさんしたが、それでもまだ「自由」があった。それに比べて、冬希は昔も今も自由がない。


 それでも、夏祭りを楽しむ冬希の顔は無表情だったが楽しそうだった。本人も「楽しい」と言っていたのだから、事実だろう。

 冬希さんともっといろんなことをして楽しみたい、と颯真が思ったのもその時だ。

 【ナイトウォッチ】に入隊したら自由にしていいとも言われていたことを考えると、入隊前に比べたら多少は好きなことをできているのかもしれない。それでも、冬希といろんなことを体験したい。


 自由に生きるには、颯真もまた何も知らない人間だったから。一人でいることを望んだばかりに多くのことを経験せず、知識だけで満足するようになってしまった。

 だからこそ、冬希と二人で経験したい。

 しかし、冬希さんは僕のことをどう思っているのだろう、という思いがずっと颯真の中にあった。

 少しずつ声をかけてくるようになり、任務とはいえ夏祭りを共に楽しんでくれた冬希の、颯真に対する感情はまだ誰も知らない。


 周りから見れば明らかに「お前ら付き合え」案件なのだが、本人の口からは一切語られない以上、勝手な憶測しかできないし、それすら失礼に思えてしまう。

 そんな二人に複雑な感情を抱いている人間はいったいどれほどいるのか。

 当然、大和もその一人である。あの「氷のプリンセス」が颯真に興味を持っている、颯真も彼女に対して何かしらの感情を抱いているように見えたらもうそれは「お前ら付き合え」なのである。

 あまりにももどかしく、大和ははぁ、と大仰にため息を吐いた。


「お前らさぁ……。付き合えばいいだろ……」

「えっ、つ、付き合うって……。どこに」


 あまりにも動揺しすぎて、颯真がちぐはぐな言葉を発してしまう。

 再びため息を吐き、大和は「あのなあ」と諭し始めた。


「絶対お前のこと好きだって、『氷のプリンセス』」

「いやそんなことあるはず」

「ない、と言い切れるか? 夏祭りのお前ら、すっごく仲よさそうだったぞ」


 ちら、と冬希の席に視線を投げてから大和が囁く。


「いいか、『氷のプリンセス』を狙ってる男は星の数ほどいる。さっさと告らないと盗られるぞ」

「いやだから僕は……」


 そんな押し問答を続けるうち、予鈴のベルが鳴り、クラスメイトがざわざわと自分の席に戻り始める。


「南、男なら当たって砕けろ、だぞ」


 そう囁き、大和も自分の席に戻っていく。


「……」


 大和を見送り、颯真は大和との会話を頭の中で反芻した。

 自分は、一体冬希のことをどう思っているのか。

 大切な仲間、だとは思う。決して喪いたくない仲間だ、とも思う。

 だがそれは他の仲間に対しても同じで、それならただの仲間ではないか、となるが、そこで颯真は自分の中の感情がそれだけではないことに気が付いた。


——僕を、見てほしい。


 ただの仲間とか、クラスメイトとしてではなく。

 ほんの少しでもいい、特別な目で見てもらいたい、と。

 しかし何故そんなことを思ったのかが、颯真には理解できなかった。


 今の感情は何だったのだろうか。

 そんなことを考えているうちに担任の教師が教室に入ってきたため、颯真の思考はそこで中断された。

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