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第34話「よるのゆめはすぎさりて」

 花火ショーは三十分ほどで終了し、商店街に再び明かりと活気が戻ってくる。


「花火、綺麗だったな」


 冬希がぽつりと呟き、颯真を見る。


「そうだね」


 颯真も冬希も夜に上がる本物の花火は見たことがなかった。【夜禁法】施行以前は夏の夜の風物詩となっていた花火大会も、今では外出禁止となる夜八時よりかなり前の時間に開催されている。確かに、昼間の人出の多さに比例して【あのものたち】はその勢力を強めるが、花火大会そのものを完全に中止してしまうと花火業界に多大な影響を与える、といったことや人類が夜を取り戻したときに花火がなければ人類の損失である、と考えた政府が昼間の開催を推奨し、花火大会は「いつか夜を取り戻したときのための準備イベント」として認識されている。昼間の空を彩る花火もそれはそれで壮観だが、今回の、夜空を模したアーケードの天井に再現された花火は夜空に映え、とても美しかった。

 そうか、夜空に上がる花火はあんな感じなんだ、と思いながら颯真は冬希を見た。


「冬希さん、この後どうする? まだ時間あるし、もう少し回る?」


 調査データは本部に転送済みで、誠一からは「終わったら遊んできてもいい」と言われている。花火ショーというメインイベントも終わったのでもう帰ってもよかったが、颯真はもう少し冬希と一緒にいたい、と思っていた。


 こんな日はもう二度とないかもしれない。言葉を交わすことはあまりなかったが、それでも颯真は冬希と共にこの夏まつりを確かに楽しんでいた。


 そうだな、と冬希が少し首をかしげる。

 薔薇をあしらったかんざしから下がる金具がゆらり、と揺れ、かすかな光を放つ。

 そんな冬希のしぐさにどきりとしながら、颯真は冬希の言葉を待った。


「実は、射的をしてみたいと思っているんだけど、南、付き合ってくれる?」


 それは、颯真が全く想定していなかった言葉。

 一瞬、呆気にとられるものの、颯真はすぐにうんうんと首を縦に振った。


「いいよ、やろう!」


 颯真が冬希の手を取り、近くの射的の屋台を探す。

 歩きながら、颯真は冬希に質問していた。


「冬希さん、こういう場所には来ないの?」


 それは颯真も同じだったが、純粋な興味で颯真は尋ねていた。

 ふだんからあらゆる人間とほんの少し距離を取っている冬希だが、何か理由があるのだろうか、と。

 冬希がそうだね、と頷きながら言葉を続ける。


「南も知ってるだろうけど、うちは父が国会議員だから。家が結構厳しくて、友達と遊びに行くということは全然なかった」


 ただ、【ナイトウォッチ】に入隊してから周りの態度が変わって、と冬希が続ける。


「そもそも家は厳しかった割に私のことなんて放置していたんだ。『外には出さない、勉強だけしていろ』と家庭教師を付けられたりもしたけど両親は全く私を構ってくることなんてなくて。ところが人類のために戦うという大義名分を背負うなら多少は自由にしてもいいと言われて。でも、今更そんなことを言われても友達と遊ぶとか全然分からなくて」

「冬希さんは友達と遊びたい、って思うの?」


 今まで全く語られなかった冬希の家の事情。

 瀬名、という苗字から冬希が国会議員である瀬名芳郎よしろうの娘であるとは知っていたが、まさか家庭ではそんな状態になっていたとは。

 そんな事情なら確かに「友達と遊ぶ」ということはできなかっただろう。もしかしたら祭りに来たこと自体初めてかもしれない。


 もしかして、冬希さんの初めてを、などと不埒なことを考え始めた颯真はぶんぶんと首を振って雑念を弾き飛ばす。

 冬希がそんな颯真を不思議そうに眺めていたが、すぐに小さく頷いた。


「やっぱり、ごく普通の女子高生みたいに原宿でウィンドウショッピングとか、クラスメイトと放課後に遊んだりしてみたかった、という気持ちはあるかな。だから、今、君とこうやって祭りに来ることができて、すごく楽しい」


 すごく楽しい。今まで、一度も自分の感情を口にしなかった冬希のその言葉に、颯真の心臓が跳ね上がる。

 周囲のざわめきが一瞬、遠くなったような錯覚を覚える。

 冬希が次の言葉を紡ぎ出す。


「南、誘ってくれてありがとう」


 冬希の形のいい唇がそう紡ぎ、ほんの少しだけ口角が上がった——ような気がした。


「冬希さん——」


 今、もしかして、笑った? そんな考えが颯真の脳裏を駆け抜ける。

 いつも無表情で、楽しいとも悲しいとも言わない冬希が颯真に対して「楽しい」と言い、笑いかけたことは颯真に対して大きな衝撃だった。

 もしかして冬希さんは、という期待が颯真の胸を支配する。

 しかし、駄目、という感情がすぐに颯真を包み込んだ。


——それは、駄目だ。僕はまだ冬希さんの隣に立つにはふさわしくない。


 今ここにいるのも任務があったからだ。本来ならここに立っているのは僕であってはいけない、と考え直す。


——今はまだ駄目だ。でも、いつか必ず冬希さんの隣に立つ。


 そんな思いが颯真を奮い立たせる。

 ——と。


「あれー? 南と瀬名さんじゃないか」


 不意に、二人は背後から声を掛けられた。

 思わず振り返ると、そこには大和と数人のクラスメイトが立っている。


「河部君……」


 颯真がそう言っている間にも大和は人ごみを掻き分け、二人の前に立った。


「なんだ、お前らも来てたんだ。本当は誘おうと思ってたんだが、これは誘わなくて正解だったな」


 大和の言葉に、颯真は「そういえば河部君に『空いてる?』と言われていたんだった」と思い出す。

 ただ、訊かれたのが昨日の夜の電話で、その時すでに颯真は今回の任務を言い渡されていたので「用事がある」と断っていた。

 大和がふむふむと颯真と冬希を見比べる。


「いやー南、悪かったな、瀬名さんとのデートだったらそりゃー断るしかないもんな」

「でっ」


 デート!? と颯真の声が裏返る。

 そんな考えは微塵もなかったが、よく考えなくてもこの状況は明らかにデートである。

 まずい、とんでもない場面を見られた、と颯真が両手をぶんぶんと振ると大和が笑いながら颯真と肩を組む。


「いいじゃん、『氷のプリンセス』ならお似合いだぜ」


 そんなことを言いながら、そっと颯真に耳打ちする。


「他の奴らには言わないでおいてやるからさ。俺たちとお前の秘密、な」

「河部君……」


 いやそうじゃない、これはデートと言うよりも任務で……。と言い訳したくとも言い訳できず、颯真が真っ赤になってされるがままになっている。


「じゃ、お二人さんはごゆっくり」


 颯真から離れ、大和が二人に手を振り、クラスメイト共に人ごみの奥へと消えていく。


「……」


 大和から解放された颯真が冬希を見た。


「……ごめん、冬希さん」

「新学期が、怖いな」


 真顔で冬希も呟く。


「別に付き合ってるわけでもないけど、周りに色々言われたくないな」

「そう……だよね」


 冬希の言葉に、何故か颯真の胸がつきん、と痛む。

 別に冬希はおかしなことを言っていない。それなのに、この胸の痛みはなんだろう。

 考えすぎか、と思いながら、颯真は首を振ってその考えを振り払い、改めて冬希を見た。


「と、とにかく行こうか」


 せっかく冬希が射的をしたいと言っているのだから、それくらいは楽しまないと勿体ない。

 冬希もそうだな、と頷き、二人は再び歩き出した。



 【夜禁法】による外出規制があるため、祭り自体は午後の比較的早い時間には終了する。

 楽しかった祭りも終了のアナウンスが流れ、人々がぞろぞろと会場を後にしはじめる。

 颯真と冬希は宿舎が近いこともあって人混みが少し落ち着くまでは、と考え、人が少なくなり、後片付けが始まった商店街を眺めていた。

 祭りの間は通行人の邪魔にならないように、と充電スペースで待機していた警らドローンや巡視ロボットが商店街に戻り、見慣れた街の風景が戻ってくる。


『【夜禁法】により、二十時以降の外出は法律で禁止されております。本日は特にイベントがございましたので、早めの帰宅をお願い致します』


 そんな巡視ロボットのアナウンスを聞きながら、颯真は今まで当たり前に思っていたことが実は当たり前ではなかったという事実を噛み締めていた。

 花火ショーを見上げる人々の歓喜。終わってから「本物の夜空で見たらどうなるんだろうね」と囁き合うカップルの声。その多くが【夜禁法】を当たり前に受け入れてはいたが、それでもどこかで本物の夜空を見てみたい、という思いがそこここで感じられた。

 そんな人々に夜を返せるかもしれない、その可能性を秘めたのが【ナイトウォッチ】。

 今はまだ人々を【あのものたち】から守るだけで精一杯かもしれない。


 だが、誠一をはじめ何人かの人間は颯真に可能性を見出し、「夜を取り戻せるかもしれない」と言う。

 夜を取り戻す。それは、クラスメイトとプラネタリウムを見て、それから本物の夜空を見上げた颯真も望むことだった。

 まだ漠然としているかもしれない。しかし、夜を取り戻して、皆で夜空を見上げたい。


 それが叶うといいな、ではない。叶えるんだ、と颯真は日常を取り戻していく商店街を見て、そう呟いた。

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