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第29話「よるにすいこまれる」

 翌日、颯真は夏休みであるにもかかわらず、朝から登校していた。

 私立東京冨士見学園は夏休み中も自主参加型の補講を開催する日があり、颯真は自分の学力の補強のためにも登校することにしていた。


 あの、高義に無理やり連れられて【夜禁法】を犯し、【ナイトウォッチ】に入隊してから一ヵ月と少し。

 夏休みを目前としてのあの一件ではあったが、颯真は「このままでは二学期の成績が下がる」と危惧しているところがあった。

 普段なら授業も真面目に受けているし予習復習も欠かさない。学力に関してはなんの問題もない。


 しかし、【ナイトウォッチ】に入隊して颯真の生活リズムは大きく変わった。

 昼間は授業、放課後は訓練、夜は任務、が基本の流れになっている。夜も明け方まで活動するため睡眠時間も短い。そうなると当然、昼間は眠くなり、どうしても学業がおろそかになってしまう。


 別に颯真は「好成績でハイレベルの大学に入って一流企業に入社したい」といった欲はなかったが、それでも学生である間は学業をおろそかにしてはいけない、という意識があった。そのため、ちょうど夏休みに入ったことも利用して生活リズムを切り替え、学業も【ナイトウォッチ】での仕事も両立できるようにしよう、と考えた。


 その方法として「午前中だけ行われる補講を受けて成績を維持しつつ、夜活動しても午前中眠くならないよう体調を整える」ということを考えた、という次第だ。

 そして、今は補講も終わり、颯真はこれからどうしようか、と考えているところだった。


 補講は午前中、訓練は基本的に夕方の数時間、一度帰宅して仮眠を取るのもいい。

 ただ、その前に昼食を摂らなければいけないが、それをどこで食べようか、学校近くのハンバーガーショップにするか、それとも比較的値段が安めのチェーン展開しているイタリアンレストランにしようか、と迷っていた。


 そんな颯真の肩を、誰かが後ろからポンと叩く。


「お、南今から昼飯か?」


 肩を叩かれ、颯真が振り返るとそこには大和が立っていた。


「河部君も今日の補講来てたんだ」


 大和は夏休みに入る直前に声を掛けられてから、その後も補講で顔を合わせた時は少し雑談したり、日によっては昼食を摂ることもある。

 今日もこうやって声をかけてきた、ということは昼食の誘いだろうか。

 おう、と大和が笑い、ちら、と後ろを見る。


「今日はクラスの奴が結構揃ってたからな、今から皆で飯食いに行かないか? って話してたんだ。お前もどうだ?」


 そう言われ、颯真は一瞬悩んだ。

 【ナイトウォッチ】に入隊してから、颯真は他人と接する機会が増えた。それは新人仲間や、先日の淳史たちではあるが、他人との接触は颯真を少しずつ変化させていた。

 今までは自分は独りでもいい、と思っていたところからの、他の人とも話をしてみたい、という興味。

 それは淳史に夜空と流星群を見せられた時に特に強く思った。


 人間を知りたい。人間を知って、どす黒い感情だけではないと知って、その上でいろんな人と夜空を見上げたい、と。

 その思いがあったから、大和の申し出はとても魅力的なものに感じた。


 しかし、自分がその輪に入ってもいいのだろうか、という不安はまだある。

 場を白けさせてしまわないだろうか、相手を不愉快にさせてしまわないだろうか、という不安。

 そんなことを考えていても仕方ない、飛び込んでみたら、という声と、やめとけ、お前といても退屈するだけだ、という真逆の声が聞こえる気がする。


 どうしよう、と颯真が悩んでいると、隣の教室で別の補講を受けていた冬希が扉を開けて教室に入ってきた。


「南、この後——」


 そう言いかけた冬希が、颯真が大和に声を掛けられていて、大和の近くには数人のクラスメイトがいるのを見て口を閉じる。

 颯真が冬希に気が付いて何か言おうとするが、冬希はそれを手で制した。


「ああ、私はバイトの話しようとしただけだから。折角だから河部たちと楽しんで来たら? でも、遅刻厳禁だから時間だけは気を付けて」


 それだけ言い、冬希はさっさと教室を出ていく。

 一方的な冬希の言い分に口をパクパクさせた颯真だったが、それはすぐに大和の言葉によって中断される。


「え、南お前瀬名さんと同じバイトしてるの?」

「え、ま、まぁ……」


 まさか【ナイトウォッチ】のことを言うわけにもいかず、颯真は曖昧に頷く。


「どこでバイトしてんだよ! え、瀬名さん、親が政治家なのにバイトしてるのか……。喫茶店とか?」

「そ、それはない。あんまり人には言えない内容だし……」


 颯真と大和の会話に興味を持ち、他のクラスメイトも颯真を取り囲む。


「これは詳しく話聞かないとなー! ってなわけでみんなでメシ行こうぜ!」


 大和の言葉にクラスメイトもそうだそうだと声を上げ、颯真は有無を言わさず連行されていった。


「……」


 教室を出たところで颯真の様子を窺っていた冬希がその様子を見送る。

 その口元が、ほんのわずかに上がっていたのは誰も知らない。



◆◇◆  ◆◇◆



 レストランでひとしきり冬希との関係を問いただされ、さらには他の男子の恋愛事情恋バナに巻き込まれた颯真はそのまま大和たちに連れられて近くの文化センターに足を踏み入れていた。

 【夜禁法】が施行され、夜に外を出歩くことができなくなった人々のために夜の街並みや生活を紹介する、といった展示が並ぶ文化センターは夏休みにもかかわらず意外と空いていた。

 空調が効き、程よく涼しい館内は外の日差しを浴びて汗だくになりかけていた颯真たちを優しく冷やす。


「どうしてここに?」


 食事が終わったらすぐに誠一の家に戻ってトレーニングをしようと考えていた颯真が不思議そうに尋ねる。流されるようにここへ連れてこられたが、今日は特別な展示をしている話も聞かず、わざわざ訪れる理由も思いつかない。


「何言ってんだ、併設のプラネタリウムが今月はペルセウス座流星群の演目だから見てみたいんだよ、主に俺が」


 大和が颯真と肩を組むように腕を置く。


「【夜禁法】で本物の夜空なんて見れないだろ? 一応写真とか映像で夜空は見たことがあるし、社会の授業で【夜禁法】前の生活を知るって課題でプラネタリウムに行ったりしたから大体分かるけどさ、やっぱり映像なんて嘘っぱちじゃないかって思うんだよな。でもじいちゃんがしょっちゅう『死ぬまでにもう一度流星群を見たいしお前にも見せたい』って言うからさー、どんなものなんだろうなーって」


 【夜禁法】が施行されたのは二〇五四年の春だ。それから三十年近く経過した今、本物の夜空を知っているのはそこそこの年齢を重ねた大人しかいない。当然、まだ未成年の颯真たちは夜空を見たことがない——少なくとも、法律を守っている限りは。

 文化センターに来た一同の中で、颯真だけが本物の夜空を見たことがある人間だった。


 見たことがある、とは言っても意図的に見たものではない。ふと、空を見上げたら満月が見えて、得体のしれない感情を覚えただけ、というものではあったが。

 それを言ってしまえば怪しまれる。【夜禁法】を破ったのかと問い詰められ、下手をすれば【ナイトウォッチ】のことが、そして【あのものたち】のことが明るみに出てしまう。

 政府が必死になって【あのものたち】のことを隠蔽しているのは存在を知られることによって国民がパニックに陥ることを恐れているからだ。一度火が付けば世界は混乱に陥り、国も人類も滅びてしまう。

 そう考えると、颯真も【ナイトウォッチ】のことを知られるわけにはいかなかった。


 だから、何も言わずに大和たちに続いて館内を歩き、プラネタリウムに入る。

 投影機を中心としてその周りに配置された座席に腰を下ろす。

 暫く待つと上映が開始し、天球を模したスクリーンに夕方の空が映し出された。

 解説員プラネタリアンの説明と共に、夜空が再現されていく。

 再現された夜空はとてもよくできていたが、本物を見た颯真にははっきりと「作られたもの」だと理解できた。

 それでもプラネタリウムに来たクラスメイトは「すげえな」とか「実物、見てみたいよな」と囁き合っている。


 投影された星空を眺めながら、颯真は漠然と「皆に本物の夜空、見せたいな」と思った。

 こんな偽りの空ではない、本物の夜空を。

 そのためにはこの世界から【あのものたち】の脅威を取り除かなければいけない。

 そんなことを考えている颯真の耳に、次の解説が届く。


『——それでは、ペルセウス座流星群がどのようなものか、見てみましょう』


 その言葉と共に、星空が動き、投影された月が天頂に上り、一つの夜空を構築する。


「——っ」


 息を呑む颯真。

 その空は、颯真が見た空から数日後の月を投影していた。

 満月から数日の、やや欠け始めた月齢の月。

 「居待月いまちづき」と説明するプラネタリアンの言葉に続き、幾つもの光の筋がスクリーンに投影される。


『これがペルセウス座流星群のピークの日の夜空です。一番多いときで一時間に四十個程度の流星が見られると言われています』

「……」


 流星降り注ぐ、「作られた」夜空。

 作られたものだと分かっているのに、夜空に吸い込まれそうな錯覚を、颯真は覚えた。

 同時に、昨夜、夜空を見上げた時と同じような感覚を覚える。

 ぞくり、と寒気を覚えたような気がして、身震いする。

 その身震いで、颯真は自分が恐怖を感じているのだ、と気が付いた。


 吸い込まれそうな夜空の下で、この世界にたった一人だけのような錯覚。

 一人でいるのが怖い、とはっきり認識する。

 以前の自分なら、一人でいても何とも思わなかったのに、むしろ一人でいることを望んでいたのに、と困惑する。

 一体なぜ、そんなことを思うのだろうか、と再現された流星群を見ながら颯真は考えた。

 周りのクラスメイトは、再現された天体ショーに言葉を失っているのか、声一つ上がらない。

 それがさらに、颯真の不安を掻き立てた。

 一人は怖い、一人は嫌だ、という思いが颯真の胸を締め付ける。


——そうか。


 そこで、颯真は漸く気が付いた。


——僕は、誰かに認められたいんだ。


 一人の人間として認められ、尊重されたい。同時に、周りの人間を認め、尊重したい。

 今の育ての親に引き取られるまでは様々な人間の闇を目の当たりにして、一人でいたい、一人で十分だと思っていたが、その考えはいつしか変わっていた。


 佐藤夫妻と、冬希をはじめとする【ナイトウォッチ】の仲間たちと、そして今ここにいるクラスメイトと。彼らと交流して、颯真は「人間は一人では生きられない」という考えに至った。

 勿論、これからも出会う人々には颯真をただ利用するためだけに近寄るような人物も存在するだろう。だが、それ以上に颯真はいろんな人に出会いたい、と思った。


 もっとたくさんの人と出会って、その人たちといろんなものを見て、多くのことを経験したい。

 その気持ちが、漠然と何かを形作っていく。

 それが何かはまだ分からなかったが、颯真はあの、高義に脅されたあの夜から、自分が確かに変わってきていることに気が付いた。

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