土日は誠一の家に作られた【ナイトウォッチ】の訓練施設で、チップの基本的な使い方や初心者向け剣術指南を受けた颯真も平日は学校に行かなければいけない。
いくら魂技による筋力や体力の補正がかかったとしてもその土台が脆ければ総合的な力のレベルは低いままだと言われた颯真は筋力トレーニングも追加され、今までに感じたことのないハードな土日を過ごしていた。そのため、今日の通学はいつもに比べて体が重い。
「……昨夜はしっかり休んだはずなのに」
そう呟きながら、颯真は自分の席で机に突っ伏していた。
突っ伏した状態で視線だけを冬希の席に向けると、冬希は相変わらず涼しげな顔でクラスメイトの女子の話を聞いている。
颯真は訓練だけだったが、冬希は夜間、【ナイトウォッチ】としての任務にも赴いている。
どこにそんな体力があるんだ、と思いつつ、颯真はいつか自分もあれくらい平気になるのか、と考えた。
半分眠っているも同然の状態で授業を受けた昼休み。
お昼ご飯を食べないと、と通学途中のコンビニで買ったサンドイッチを取り出した颯真に、一人の男子生徒が歩み寄ってきた。
「おー、南、一人か?」
「……
気だるそうに颯真がその生徒を見る。
あの、【夜禁法】を破るきっかけとなった高義を思い出し、一瞬身震いする。
近寄ってきた生徒はクラスの中でも特に目立つわけでもなく、逆に目立たないわけでもない、ごく普通の生徒だった。強いて言うなら颯真と違って比較的積極的にクラスメイトと絡み、盛り上げようとするが、クラスの人気者に一番おいしいところを譲るような気配りもできる好青年だろう。
そんなクラスメイト、
「昼飯、いいか?」
「いいけど……」
これが高義であったとしても颯真は嫌だ、とは言わなかっただろう。色々茶化されるのが嫌で渋々ではあっただろうが。
しかし、大和に対してはそんな感情は湧いてこない。クラスメイトに特段興味は持っていなかったが、声をかけてくるのならそれを断る理由も特にない。
よっしゃ、と言いながら大和が家から持ってきた弁当の包みを開ける。
「南はコンビニ飯か?」
「うん、自分で作ってもよかったんだけど今朝は寝坊したから」
通学途中にコンビニに寄って昼食を買うこともあったが、颯真は料理ができないわけではない。簡単な弁当のおかずくらいは作れるが、昨日の夕方、電磁バリアが展開される前に帰宅したものの訓練で疲れ切っていた颯真は今日の弁当を作るほどの体力は残っていなかった。そのため、今日の昼食はコンビニで買ったサンドイッチである。
そういえば高義に絡まれたときの弁当もコンビニで買ったサンドイッチだったな、と思い出し、颯真は「コンビニでサンドイッチを買ったら誰かに絡まれるジンクスでもできたんだろうか」と考えてしまう。
とはいえ、大和と関わりたくないわけではなかったので普通に受け答えする。
はじめは授業のことや近々開催される校内行事など、当たり障りのない話題で話した後、大和はこほん、と一つ咳払いした。
その咳払いで、颯真は大和がいよいよ本題に入るつもりだ、判断する。
そうだろう、今年度が始まって既に数ヵ月が経過している、というレベルで時間が経過したこの時期に話しかけるなど、特別な用事がない限り考えられない。
一体どんな話題を持ち掛けてくる、とほんの少しだけ警戒した颯真が大和を見た。
「そういやさ、南。お前、先週
「……む、」
その話題は想定していた。想定していた、が、最適解は持ち合わせていない。
思わず変な声が出てしまった颯真に、大和は「んー?」と颯真を見た。
「いやさ、普段誰にも声を掛けない氷のプリンセスがだぜ? その中でも特に絡みのないお前に声をかけるとか何かあったとしか考えられんだろ」
「……それは、そうだけど」
少し困ったように颯真は呟いた。
大和の言う通り、「何かあった」から冬希に声を掛けられたわけだが、その「何か」を大っぴらに言うことはできない。「【夜禁法】を破ったところ助けられました」とは口が裂けても言えない。
実際のところ、「【夜禁法】を破った」と言った時点で「なんで逮捕されてない」という話になり、そこから【あのものたち】の話につながってしまう。あの夜、実際に遭遇し、冬希に説明されるまで【あのものたち】の存在を知らなかったくらいだ、政府による「夜の隠蔽」はほぼ完璧と言っていいだろう。
どう説明すればいいか。【夜禁法】と【あのものたち】周りのことをうまく伏せれば誤魔化せるか、と考え、颯真は簡単に説明することにした。
「冬……瀬名さんが声をかけてきた前の日の放課後にちょっとトラブルに巻き込まれて、瀬名さんに助けてもらったんだ。その件で、瀬名さんに呼び出しされた」
颯真がそう言った瞬間、ガタン、と机を揺らして反応する大和。
その大和が何かを言おうとしたその横から、別の声が頭上から投げかけられる。
「おい、今お前下の名前で呼ぼうとしただろ!」
その声は、たまたま二人のそばを通りがかった別のクラスメイトのものだった。
「やっぱりそうだよな!?」
通りがかったクラスメイトに大和も声をかけ、二人でうんうんと頷き合う。
大和は耳聡かった。颯真が「冬希さん」と言いかけたのを聞き逃していなかった。
さらに、その騒ぎを聞きつけた数人のクラスメイトが野次馬根性で寄ってきて、颯真は心の中で絶叫した。
「人数増えたァ!?」
「え、なになに南と氷のプリンセスが付き合ってるって!?」
颯真の叫びをよそに、クラスメイトが興味津々で声をかけてくる。
「なんか、氷のプリンセスに助けてもらっていい雰囲気になったらしいぞ?」
大和の説明に、ああ、噂とはこうやって尾ひれ葉ひれが付くというものなのか、と実感する颯真。
「え、何お前らそういう関係なの? え、そのトラブル解決でロマンスしちゃった?」
恋バナというものは何も女子だけが好むものではない。
健全な男子、クラスの誰が誰と付き合っている、という話には首を突っ込みたがるものなのだ。
「違う違う違う! そんな関係じゃない!」
「怪しい。全力で否定するのは怪しすぎる」
「だから付き合ってなんかいないって!」
颯真の声のトーンが上がる。教室中に響く、というほどではなかったが教室にいた何人かの耳には届いたのか、いくつかの視線が颯真に突き刺さる。
その視線の一つに、冬希も含まれている。
寄ってきたクラスメイト達もニヤニヤしながら颯真を眺めていて、その視線が痛い。
「うぅ……」
「……本当に……付き合ってないのか?」
この颯真の反応は本当に付き合っていないようだ、と大和は判断したらしい。
そう判断した大和の視線が同情に満ちたものになる。同じく、寄ってきたクラスメイト達の視線も。
「……ほら、氷のプリンセスって高嶺の花だから」
頑張れよ、と大和が颯真の肩を叩く。
これはこれで、明らかに誤解されているようだと颯真は思った。
確かに冬希と仲良くできればいいなと思うところはある。だがそれは【ナイトウォッチ】の仲間としてであって、恋人になりたいとかそういったものではない。
そう、自分の中で否定すると何故か胸がちくりと傷んだような気がしたが、気のせいだろう。
あの夜見た冬希の強さは颯真にとって一つの目標だった。【ナイトウォッチ】として戦うなら冬希のように強く、気高くありたい、と思う。
それでも、もし望めるのであれば、冬希の隣に立ちたい。冬希の隣で、冬希と力を合わせて、【あのものたち】から夜を取り戻したい。
冬希は「バディなど要らない」といった様子を見せているが、もし冬希が許すならバディになれたらいいな、という漠然とした思いが颯真にはあった。そのために、きちんと訓練を受けて誰の足も引っ張らない、一人前の隊員にならなければ、と。
そう考えているうちに難しい顔になっていたのだろうか、大和が手を伸ばして颯真の額をつん、とつついた。
「南、眉間にしわ寄ってるぞ」
「あ、ごめん」
我に返り、颯真が謝罪する。
「とにかく、瀬名さんとは確かにあの時助けてもらって、少し仲良くなったけどそれくらいだよ。友達とも言えるかどうか」
我ながらひどい言い訳だ、と思いながら颯真が言うと、大和は「へぇー」と声を上げて颯真をまじまじと見つめた。
「だからか、前髪切ったの」
先週まで結構鬱陶しい前髪してただろ、と言う大和に、颯真は「まぁね」と答えた。
「瀬名さんに助けてもらって、色々励まされて、ちょっと頑張ってみようかなって」
「そっか、頑張れよ」
そんな話をしたところで昼休み終了のベルが鳴る。
「おっともうこんな時間か」
大和が慌てて弁当箱を包み直し、席を立つ。
「お前、思ってたより面白い奴だな。また一緒に飯食おうぜ」
そう言って大和と、寄ってきた他のクラスメイトがそれぞれ自分の席に戻っていく。
それを見送り、午後の授業の準備を始めた颯真はあることに気が付いた。
——頑張れ、って、もしかして——。
思わず振り返り、大和を見る。
大和がニヤニヤしながら手を振ってくる。
これは確実に誤解した顔だ。
いや違うそうじゃない、冬希さんと付き合えるように頑張るという意味じゃない、そう、颯真は心の中で再び絶叫した。
すれ違いとは恐ろしい。会話をするときは何について話しているかを明確にしなければ。
そう、颯真が自分に言い聞かせたところで、午後の最初の授業を始めるために担当教師が教室に入ってきた。