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第21話「よるをうかがう」

「お話があります」


 その部屋に入るなり、和樹が執務机で書類を眺めている男に声をかける。

 書類を眺めていた男は、和樹の言葉に応じるかのように書類を机に置き、視線を投げかける。


「【ナイトウォッチ】の司令官が私の元に直に来るとは珍しいな」

「通信では盗聴の可能性もありますからね、直に出向きもしますよ、井上いのうえさん」


 貴方は貴重な出資者ですから、これはお伝えした方がいいかと思いまして、と和樹が言葉を続ける。


「なるほど。で、何があった?」


 井上さん、と呼ばれた机の男——井上いのうえやすしが和樹を促した。


「【ナイトウォッチ】に南颯真が入隊しました」


 端的に、和樹が報告する。

 颯真の名前を聞いた瞬間、靖の表情が変わった。


「南颯真が!?」


 がたん、と立ち上がり、靖が声を上げる。


「ええ、そうです。同姓同名の別人ではありません。正真正銘、南竜一の息子とされる南颯真です」

「な——」


 靖が言葉に詰まる。

 十七年前、竜一の死を伝えられ、竜一が率先して進めていた「夜を取り戻すため」のプロジェクトは潰えた、と思っていた。


 当時まだ赤ん坊だった颯真は誠一によってとある家庭に預けられ、時が来るまでは一般人として育てよう、と話し合ったことは記憶に残っている。


 だが、その「時が来る」のは颯真が成人してからだと考えていた。颯真が成人してから、チップのことなどを説明し、【ナイトウォッチ】に協力してもらおう、と。


 だが、それよりも前に颯真が【ナイトウォッチ】に入隊したという話を聞き、靖はまさか、と呟いた。

 【ナイトウォッチ】は素質のある人間を見つけてスカウトする。しかし、颯真の魂は計測できないからスカウトされることはない、と誠一は言っていたはずだ。


 それなのに颯真が【ナイトウォッチ】に入隊したとは、一体何がきっかけで。


「ああ、そういえば先日温海区議の息子が【夜禁法】を破った挙句殺されたという話がありましたよね」

「そういえばそんなことがあったな。あれで温海区議の更迭を指示したのは私だからな」


 和樹の言葉に靖が頷く。

 温海区議の息子、高義がかなりの横暴を働き、それに関して父親が揉み消すという話は以前から何度も上がっていた。今までは目を瞑ってきていたが、【夜禁法】を破ったとなると話は別だ。【あのものたち】の隠蔽のためにも、この横暴は看過できない。


 結局、高義は【あのものたち】に殺されたという報告は受けていたが、それに対して温海区議に行動を起こさせるわけにはいかない。

 そのために、靖は温海区議の更迭を決定した。


 その結果、温海家に警察の手が入り、芋蔓式にさまざまな不祥事が発覚したらしいが、そんなことはどうでもいい。

 しかし、ここでこの話が出たということは颯真もこの違法行為に加担していたのだろうか。


 靖が言葉の続きを促すと、和樹はええ、と頷いた。


「温海高義の違法行為に南颯真も付き合わさせられていたようです。しかし、その結果、南颯真は『目覚めた』と」

「そうか……」


 靖が納得したように呟く。


「成人してから【夜禁法】の真実などを告げようと思っていましたが、自分の力で目覚めて、【ナイトウォッチ】に入隊したなら話は早いと思いまして」

「そうだな。そうか、南颯真が……」


 両手を組み、靖が目を閉じる。

 「夜を取り戻す」ためのプロジェクト。颯真にはその「可能性」があると言い、生まれてすぐにチップを、それも、相当な魂の器がないと埋め込んだ瞬間にチップに食い殺されると言われた「原型チップ二号」を埋め込んだ竜一が殺されて十七年。

 颯真が幼い頃から教育することも叶わず、成人するまでは普通の人間として育てようと話し合い、そのまま時が過ぎていった。


「南颯真が生きて、そして目覚めた、か……」


 竜一が死んだことで、彼が提唱したプロジェクトは失敗に終わった、とプロジェクトを知る者は全員思っていた。

 だが、颯真が目覚めて【ナイトウォッチ】に入隊したのなら話は別だ。


「南颯真が訓練を積み重ねて自分の素質に気が付けば、あのプロジェクトを再開することができます」


 和樹の言葉に、靖が頷く。


「南颯真がいれば、我々人類は【あのものたち】に一矢報いることができる。いや、それだけではない——」


 いや、今は【あのものたち】を駆除することが先決だろう。


「南颯真は人類の希望だ。決して、潰すわけにはいかない」

「ええ、勿論です。それに——」


 和樹も頷き、靖に一つのデータを転送する。


「【あのものたち】に関する研究データです。南颯真が戦力になれば、その研究も加速するでしょうね」


 データを受け取った靖がざっと目を通し、ああ、と頷いた。


「これから、忙しくなりそうだな」


 颯真が入隊して、プロジェクトが再開するというのなら。

 各省への根回し、颯真のバックアップ、そして——。


「八坂君、プロジェクトの再開に関しては私に任せてくれ。君は【ナイトウォッチ】のことで忙しいだろう」


 靖がそう言い、机上の書類を軽く叩く。


「この辺りの交渉などは私の仕事だ。大丈夫、人類のためなら私はなんだってするよ」

「そう言ってもらえると心強いですよ——総理」


 そう言い、和樹が意味深に笑う。

 ここは首相官邸、総理執務室。

 和樹の目の前にいるのは現在の日本国の総理大臣、井上靖。

 総理大臣になる前、議員時代から【あのものたち】の研究や【ナイトウォッチ】への出資など、夜に関わるものに携わってきた。


 それも全て【あのものたち】の脅威を取り除き、人類に夜を取り戻すため。

 総理大臣になってからは通常の業務に忙殺されながらも【ナイトウォッチ】の活動報告や【あのものたち】の研究結果などを聞き、さらなる指示を出す。

 それでも進展がなかった夜の奪還に、一つの希望の光が差した。


 颯真が自分の意思で【ナイトウォッチ】に入隊したのであるならば。


「——この戦い、人類の勝ちが見えたな」


 靖が呟く。

 その言葉に、和樹は一瞬違和感を覚えた。

 だが、その違和感の正体が分からぬまま、和樹も頷く。


「? そうですね、まぁ、我々としては【あのものたち】の脅威さえ取り除ければいいのですが」


 プロジェクトを再開し、夜を取り戻す。

 これは和樹や靖だけではない、プロジェクトを知る全ての人間が望むことだった。


「とにかく、私からの報告は以上です。【ナイトウォッチ】もこれから忙しくなりますよ」


 そう言い、和樹は踵を返した。


「井上さん、」

「どうした?」


 部屋を去る間際、和樹が靖を呼んだことで、康も再び手に取ろうとした書類から手を離す。


「もし、夜を取り戻したら、貴方はどうします?」


 和樹の質問に、靖が「そうだなぁ」と呟いた。


「満期を迎えたら引退してのんびり過ごすよ。それまでは踏ん張りどころだな」

「お互い、頑張りましょう」


 靖の答えに小さく頷き、和樹は総理執務室を出た。

 廊下を歩き、首相官邸から外に出る。

 少しずつ日が傾き、夜が近づく黄昏時。

 【あのものたち】が現れる夜まで、数時間。


 いつまで、人類は夜を奪われたままでいるのだろうか。

 颯真が【ナイトウォッチ】に入隊したことで、本当に夜は取り戻せるのだろうか。


 そうあって欲しい、と和樹は呟いた。

 同時に思う。

 靖は他に考えていることがあるようだ、と。


 ただ【あのものたち】からの脅威を取り除くだけで靖があそこまで積極的に動くとは、一介の政治家が動くとは思えない。

 何かしらのメリットがあるからこそ、靖は多額の資金提供や政界への干渉を行っているのではないだろうか。


 そんなことを考えながら、和樹は迎えにきたリムジンに乗り込み、【ナイトウォッチ】本部へと向かう。


「……思い過ごしなら、いいんだがな」


 そんな和樹の呟きが、リムジンの中で響き、消えていった。

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