時間は夜の八時を三十分ほど経過したころ。
廃墟と化したショッピングモールの地階にある扉の一つが開かれた。
「よし、行くぞ!」
扉から出てきたのは高義たち五人。
高義がキョロキョロと周りと見て、それから四人を見る。
「大丈夫だ、巡回ドローンもいねえ」
その言葉を皮切りに、颯真以外の三人が「よっしゃ」や「見てろよ」など口々に言う。
「んじゃ、夜の探検と行きますかね」
「温海、ほら」
「お、気が利くな」
同級生のうち一人が、高義に懐中電灯を手渡す。
高義が懐中電灯の電源を入れると、一筋の光が闇を切り裂き、通路を浮かび上がらせた。
「ほら、お前らも早くしろよ」
高義に声を掛けられ、他の四人も懐中電灯の電源を入れる。
しんと静まり返った廃墟のショッピングモールの探索を、五人は開始した。
「うひょー、夜の外ってこんな感じなのか」
従業員エリアから店舗エリアに出た高義が声を上げる。
「しっかし、別に何もねえじゃねえか。【夜禁法】とか言うがハッタリかよ」
ぐるりと懐中電灯を回し、高義が首を傾げた。
「や、やっぱり駄目だって」
「なに日和ってんだ南。なんもねえって」
未だにやめた方がいいと言う颯真に、ビビってんじゃねえ、と周りの同級生も颯真をからかう。
いくら何もなくとも、颯真は夜の探索などしたくなかった。
そもそもこの国、いや、全世界に【夜禁法】という法律が制定されているのである。
颯真としては良心的な市民でありたかった。犯罪など好き好んで犯したくなかった。
しかし、高義に脅され、今この場にいる。
帰りたい、と颯真が口に出さず呟く。
とはいえもう八時を回っている。たとえ近くの政府運営の宿泊施設に辿り着けなかった、という理由でも逮捕、即実刑判決という流れを考えると外に出た時点で人生が詰むのは分かっている。
もう、どうすることもできない。
そう思った時、颯真の背後で叫び声がした。
先頭を歩いていた高義と、高義に強引に肩を組まれていた颯真が振り返る。
そこには——。
「ひぃっ!」
そう、声を上げたのは誰だったのだろうか。
同級生の一人が、宙に浮いていた。
その胸から、鋭い刃に見える爪が突き抜けている。
赤く染まる黒い爪、爪の持ち主は——人ではなかった。
黒い靄が固化したような、化け物だった。
「な、なんだ!?」
高義が、颯真を盾にするように突き出して声を上げる。
「
直輝、と呼ばれた同級生がもう生きていないだろうということは誰の目にも明らかだった。
「う……うわあぁぁぁぁっ!!」
そう叫び、走り出したのは高義だった。
転げるように走り出し、闇に掻き消え、次の瞬間、
「うぎゃあぁぁぁぁ!!」
それが、颯真が耳にした高義の最後の声だった。
「う、うわぁ!」
同級生の一人が手近に落ちていた鉄パイプを拾い、近寄ってきた化け物に振り下ろす。
だが、振り下ろされた一撃は化け物をすり抜けるように地面を穿つ。
「駄目だ、逃げろ!」
もう一人の声に弾かれたように颯真と二人も走り出す。
だが、一人、また一人と化け物の爪に捕らえられていく。
最後の一人となったが、颯真は走り続けた。
死にたくない、死にたくない、死にたくない——!
何かにつまずき、転倒する。
颯真に追いついた化け物が爪を振り上げる。
だが、その爪は颯真に突き刺さることなく、霧散する。
何が、と思って前を見ると、そこには黒い衣装を身にまとい、黒い直刃の刀を手にした冬希が立っていた。
「何故ここにいる」
氷のように冷たい声が颯真に投げかけられる。
「あ……」
声が出ず、颯真はただ目の前の冬希を見上げるしかできなかった。
普段から決して笑顔を見せないことから「氷のプリンセス」と呼ばれていた冬希は、その通称の通りに冷たい表情で颯真を見下ろしている。
「夜間の外出は法律で固く禁じられているのは君も分かっているはず」
そう言われ、颯真は我に返った。
そして、目の前の冬希を見る。
冬希はああ言ったが、そう言った本人も現在、同じように夜の街を出歩いている。
法を犯しているというのであれば、冬希も同じ立場、人のことが言えるはずがない。
「……そういう、瀬名さんも……」
やっとのことで颯真が声を絞り出す。
化け物に殺されるかもしれない、そんな絶望的な状況が覆されたらしい、と漸く脳が認識したのだ。
何を、と冬希が眉一つ動かさず答える。
「私は【ナイトウォッチ】だから」
「【ナイトウォッチ】?」
本来なら「夜警」という意味の単語に颯真が首をかしげるが、冬希がここに来たことで助けられたのは事実だった。
少し落ち着いた頭で颯真が冬希を見る。
身体のラインがくっきり出ている黒い衣装は要所要所にプロテクターのようなものが付いている。手にした直刃の、メカニカルな刀のようなものは独特の網目模様が浮かび上がっており、カーボンファイバー製であることを伺わせる。
先ほどの化け物を斬り捨てたのはこの刀なのか、と考えてから一つの結論に至る。
「あ、あの、瀬名さん……?」
おずおずと、颯真が口を開く。
「何?」
相変わらず冷たい声で、冬希が聞き返す。
「瀬名さんは、アレを……知ってるの?」
そんなことを訊いている状況ではないはずなのは分かっている。
冬希があああれ、と頷く。
「アレは夜を侵すもの、私たちは【あのものたち】と呼んでいる」
「【あのものたち】……」
聞いたことのない名前。それが、あの化け物の呼び名。
「夜を侵すもの」は言いえて妙だろう。夜の闇が実体化したようなもの、そして——。
「アレがいるから、【夜禁法】が、ある……?」
颯真の問いに、冬希が頷いた。
「でも、これ以上は君が知る必要はない」
そう言い、冬希は颯真に手を差し伸べた。
一瞬、どきり、としながらも颯真はその手を取る。
こんな状況でもなければ冬希と会話することも、ましてや触れ合うこともなかった。そんな状況を作ってくれた高義に結果として感謝しなければいけないのかな、などと場違いな考えが胸を過るが、それはすぐに吹き飛んでしまう。
「しかし、君が法を犯したことは確かだ。すぐに外の警らドローンに引き渡す」
冬希の言葉に現実に戻る。
そうだ、いくら冬希と言葉を交わすきっかけができたとはいえ、それは違法行為だ。高義に無理やり連れてこられたから今こうやって冬希と会話している。
冬希の言葉の意味は単純だ。
ここにいれば【あのものたち】の餌食になるが、逮捕されれば少なくとも命は保証される。
颯真はまだ高校二年生だ。それが無期懲役となると仮釈放の審理を受けることができるのは法務省の通例を考えると最短でも四十代後半、ということか。
ある意味、人生の終了とも言える事実に、颯真は絶望するしかなかった。
命は保証されたとしても社会的には死んだも同然なのだから。
高義が「夜の街を調べたい」と平然と言えたのは父親の権威にものを言わせた各組織への圧力という後ろ盾があったからだろう。逮捕されたとしても、絶対に罪にはならないという自信が、高義を違法行為へと走らせた。もしかすると取り巻きたちもその恩恵にあやかれたのかもしれないが颯真にその力が及ぶかは分からないし、高義が死んだ今、それすら望むことができない。
しかし。
「——とはいえ、君には不可解な点が多い」
不意に、冬希が呟いた。
えっ、と声を上げる颯真。
「不可解なことって……」
僕は別に何もないけど、と考える。
確かに、勉強は好きだから成績はトップクラスだったり、少し影のある雰囲気がたまらない、と女子から声を掛けられることもある。しかし成績は努力の結果だろうし外見が良かったとしても引っ込み思案な性格が災いしてそこから先の関係には発展しない。
そんな、ごく普通の人間だと颯真は思っていた。
「見間違いだと思いたいけど……。君は『視えない』んだ」
冬希が理解不能な言葉を呟く。
「視えない」、何が? と颯真が尋ねるが冬希は首を横に振った。
「君が知る必要はない」
そうは言うが、聞いてしまえば気になってしまう。
何が「視えない」のか、訊いてみたい、と颯真が口を開こうとする。
しかし、颯真がその質問をすることはできなかった。質問する前に、「訊くだけ無駄だ」と自己完結してしまう。
颯真は昔からそうだった。質問したところで真っ当な答えが返ってくるわけではないということを何度も経験していたから、いつしか他人に質問することをやめてしまった。
冬希が改めて颯真をまじまじと見る。
「……いずれにせよ、君をこのまま見過ごすわけにはいかないから」
行こう、と冬希が颯真を促す。
うん、と颯真も冬希について歩きだした。
しんと静まり返ったショッピングモールを二人の足音が響く。
冬希は時々周りを見て警戒していた。
先程、【あのものたち】と呼んだ化け物を警戒しているのか、と颯真も冬希から離れないように気を付けて歩く。
「ね、ねえ瀬名さん……?」
「何?」
相変わらず、感情を読ませない声で冬希が応じる。
「瀬名さんは、あいつら——【あのものたち】と戦ってるの?」
質問してから、颯真はしまった、と内心呟く。
どうして質問してしまったのだろう。自分にはもう関係のないことなのに。
それなのに、巻き込まれたからには訊いてみたい、と思ってしまった。
それを、まさか口に出して質問してしまうなんて。
ほんの少しの沈黙の後、冬希が小さく頷く。
「私は【ナイトウォッチ】だから」
【あのものたち】と戦うために、私は武器を手に取った、と呟くように言った冬希が颯真を見る。
その視線が鋭く、颯真の背筋が総毛立つ。
次の瞬間、冬希は颯真を突き飛ばした。
あっ、とその場に尻餅をつく颯真。
その横で、冬希は、
「——くっ!」
蒼白く光る刀で、闇が固化したような黒い爪を受け止めていた。