「ひぎゃああぁぁあぁぁぁぁ!!」
夜のショッピングモール、いや、閉鎖され、廃墟と化したショッピングモール。
背後から響く断末魔の叫びを聞いてなお、
何が起こっているのかは分かっている。また一人、同行者が殺された。
颯真は逃げていた。
何から? そんなもの、分からない。
何か分からないものに颯真たちは襲われ、一人、また一人と殺され、今、颯真はたった一人の生き残りとなった。
「だから僕は嫌だって言ったのに!」
走りながら、颯真は叫ぶ。だが、その言葉を聞く同行者はもういない。
そもそも、同行者だって仲のいい友人というほどの付き合いですらなかった。 「あのショッピングモール跡の地下に隠れていれば夜、出歩けるようだぜ」と言った同行者のリーダー、
あれが何か、は全く分からない。「化け物」と呼ぶにふさわしいそれはどれだけ走っても諦めず、執拗に颯真を追いかけてくる。
嫌だ、死にたくない、どうして僕がこんな目に、そんな感情がぐるぐると颯真の脳裏を回り続ける。
「あっ」
暗くて足元がよく見えず、颯真は何かにつまずいた。
恐らくは崩れた天井の一部だろう。倒れないようにバランスは取ったが、駄目だった。
固い床に、滑りながら倒れ込む。
痛みが颯真の中の何もかもを吹き飛ばそうとするがそれをこらえ、すぐに身体を起こし、自分が走ってきた方向を見た。
颯真の手から離れ床に転がった懐中電灯の光に照らされ化け物がその姿を見せる。
闇のように昏く、ぼんやりとした不定の化け物。
腕らしきものを振り上げると、闇が固化したかのように鋭い爪を形作る。
それが今にも振り下ろされんとする。
「——っ」
颯真が息を呑む。
逃げられない。仮に今横へ転がって回避できたとしても次の一撃を避けられるほど颯真は器用ではなかった。
ここで終わるのか、だから【夜禁法】という法律があるのか、【夜禁法】は僕たちを守ってくれていたのかと理解する。
化け物が爪を振り下ろす。
——嫌だ、死にたくない、助けて——。
だが、爪は颯真の身体に食い込むことはなかった。
その代わり、化け物の頭から縦一直線に筋が入り、次の瞬間、煙のように霧散する。
「な——」
何が起こった、と回らない思考で考える。
「何故ここにいる」
化け物がいた場所の奥から冷たい声が響く。
ざり、と崩れた天井のがれきを踏み分け、一人の「人間」が颯真の前に現れる。
「あ——」
前髪に隠れていた颯真の目が目の前の人間を視認する。
「……瀬名……さん……?」
その人物に見覚えがあった。
黒い衣装はすらりとした身体のラインをくっきりと強調している。
その黒に映えるかのような銀髪、そこから覗く赤い瞳。暗闇で、何故か蒼白い燐光を放っているように見える、まだ少女とも言えるくらいの女性。
颯真のクラスメイト、周りからは「氷のプリンセス」と呼ばれる、
◆◇◆ ◆◇◆
——はじまりはその日の昼休みの会話だった——。
授業の終了を告げるベルが鳴り、私立
特に親しい友人がいるわけでもなく、誰かと一緒に食事を摂りたいとも思わなかった颯真は自分の席で弁当を取り出した。
両親は現在長期旅行中。通学途中に買ったコンビニのサンドイッチは母親に「ちゃんと栄養バランス考えるのよ」と言われたことを守った、野菜もたんぱく質もしっかり摂れるもの。
「いただきます」
両手を合わせ、食材に感謝し、サンドイッチを口に運ぶ。
他のクラスメイトは携帯端末で動画を見たりゲームをしたりしているが、颯真はそういったものに興味は沸かなかった。いつもは本を読んでいるが、たまたま今はそういう気分でもなく、昼食を終えた颯真はぼんやりと教室を見ていた。
前髪に隠れた颯真の目が、教室のとある席に留まる。
その席に座っていたのは一人の女子生徒だった。
クラスメイトの女子に話しかけられ、相槌は打っているが話そのものに興味を持っているわけでもないという印象を受ける。
その女子生徒の銀髪は、普通なら黒髪か茶髪の生徒ばかりで浮いているはずなのに、教室内に自然と溶け込んでいた。
「……」
思わず、息が漏れる。
瀬名冬希。颯真のクラスメイト。
成績優秀、品行方正、清廉潔白と「生徒の鑑」を地でいっている冬希はクラスの中、いや、学年の中で高嶺の花となっていた。
颯真も成績はトップクラスだし校則を破ることは勿論ない。清廉潔白かと言われれば……それは冬希には叶わないかもしれない。
そう考えると冬希は颯真にとっても憧れの人、ではあった。
とはいえ、幼いころから様々な家庭を転々とし、人間の闇を目の当たりにしてきた颯真は積極的に他者と関わりたいと思う気持ちはなかった。冬希に対して興味はない、は嘘になったとしても友達になりたい、ましてやそれ以上の関係になりたいとは思わない。
それでも、どこかで会話してみたい、という気持ちはほんの少しあった。
そんなことを考えつつ、ぼんやりと冬希を見ていると、颯真の視線に気づいたか、冬希がちら、と颯真を見る。
ほんの一瞬、冬希の赤い視線と颯真の黒い視線が交差する。
「——っ!」
どきり、と心臓が跳ね上がり、颯真は思わず目を逸らした。
なんてことはない、冬希はただ一瞬こちらを見ただけだ。
それなのに何故だろう、心臓がどきどきしてしまう。
今のは忘れよう、そう考え、雑念を払うためにも本を読もう、と颯真は鞄から本を取り出した。
その本を開こうとしたところで、横から手が伸び、本が颯真の手から離れる。
「あ——」
「なーにやってるのかなー、ガリ勉君?」
四人の男子生徒が颯真を取り囲む。
そのうちの一人は髪を茶髪にして制服を少し着崩した、いかにも「ヤンチャしてます」という様相の生徒。
「……温海、くん……」
「なに冬希のこと見ちゃってるわけ? お前を相手するような奴じゃないだろ」
颯真から取り上げた本をひらひらと振りながら温海高義は面白そうに笑う。
「うっわ、真面目な本だこれ。ほんっと、お前って面白くねー奴だな」
「返して」
颯真が本に手を伸ばす。
やだね、と高義は腕を上げて本を取り返されないようにする。
「返してほしかったらさ……付き合えよ」
「何に」
高義の言葉に、颯真はおずおずと視線を上げる。
高義と、その取り巻きの三人がクスクス笑う。
「今夜さ、俺たちあの廃墟のショッピングモールに行こうと思うんだ」
「えっ」
前髪の下で颯真の目が見開かれる。
今、高義は何と言った?
夜は駄目だ。夜に出歩いてはいけない。
夜は「治安が悪いから未成年は出歩いてはいけない」という話ではない。そんな時代もあったらしいが今はそんな生ぬるいものではない。
今はこの国に、いや世界全体に【夜禁法】という法律がある。
内容自体は単純だ。「夜八時以降に外出すれば処罰する」というもの。
日本では二〇五四年四月に施行され、それ以来人々は夜を奪われることとなった。
夜八時までに帰宅、できないなら近くの政府運営の宿泊施設にいなければいけないというこの法律により、夜の街は特殊な電磁バリアで区切られ、夜の外出は一切できなくなった。夜に外出することは違法とされ、外を巡回するドローンに捕捉されれば逮捕、いかなる理由があっても無期懲役の実刑判決が下される。
それほどの違法行為として夜の外出は認識されている。
それを、高義は行おうとしていた。
「それは、駄目だ」
そんなことをしてはいけない、と颯真は高義に訴えた。
違法行為に加担したくない。
だが、高義はそんな颯真を鼻で笑う。
「何言ってんだよ、【夜禁法】がなんだ? あのショッピングモールの地下に隠れてたら夜出歩けるようだから、なんで駄目なのか調べようぜ」
「それとも、ガリ勉君は臆病だから怖いのかなー?」
高義の言葉に続けて取り巻きもからかうように言ってくる。
それが挑発だということは颯真には分かっていた。
この挑発に乗ってはいけない。
臆病でもいい、と颯真はもう一度「駄目だ」と言う。
しかし、その返答が面白くなかったのか高義の目つきが変わった。
「じゃあ、お前の両親がどうなってもいいんだ」
そう言った高義の口元がつり上がる。
「な——」
そうだった、と颯真は思い出す。
高義の父親は区議会議員だった。その息子という立場を利用し、この学校のスクールカースト上位に君臨し好き勝手しているのは校内でも有名な話だ。
高義が何を言わんとしているかはよく分かった。
「一緒に行かなければ親父に言ってお前の両親を路頭に迷わせることは簡単だぞ」ということ。
両親をだしにされると、颯真は断ることができなかった。
自分をここまで育ててくれた両親にそんな目に遭ってもらいたくない。
自分が法を犯し、逮捕されればそれはそれで辛い目に遭わせてしまうということも理解している。
それでも、逮捕されなければ、誰にも知られなければ、嫌な思いをするのは自分一人で済む。
「……分かったよ」
渋々、颯真は頷いた。
その途端、高義が満足そうに頷く。
「話が早くて助かるよ」
そう言いながら肩に腕を回す高義が気持ち悪く、払いたくなるがそれをぐっとこらえる。
ここで高義の機嫌を損ねれば言う通りにしたとしても両親に危害が加えられる可能性がある。
それだけは嫌だと、颯真は耐えた。
「じゃあ、放課後にいつものコンビニに集合な。来なかったら——分かってるよな?」
高義のその言葉にぞくりとする。
高義は本気だ。
駄目だ、逆らえない、と、颯真は小さく頷き、目を伏せた。
——それが、あんな展開になってしまうとは。