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第93話 舞い降りた天使

今は空き部屋となった、モンテス公の執務室。


ローリーは物思いにふけりながら、入室し、書架に向かう。ローリーは足置き台に登って、隠してある自己の日記を取り出した。


そこにはブレイク王国中を騒がせた、流星騒ぎが克明に記されている。ローリーはあの時に味わった、人類滅亡の恐怖をありありと思い出す。


日記はそこで終わっている…いや、真新しいページの右下、日記と無関係に、木炭筆の殴り書きが見つかった。


―バスチオンは仲間だ。信じろ―


自己の筆跡。しかし、思い出せない。いつ、記したのか。誰が記したのか。じっと見る。間違いない。自己の筆跡。


僕は心労から何か大切なことを忘れてしまっている…?何かとてつもなく、大切なことを…。


不意にユディスの謎の言葉を思い出す。


あれはまるで、何者かがユディスの口を借りて無理にしゃべらせたかのような、不可解な一言だった。


「バスチオン…バスチオン…」


ローリーは独り、つぶやく。システムが共鳴するかのように、瞬いた。




ローリーは王室領に戻ったが、儀式や会食に身が入らない。公務を済ませると慌ててメディナ領に向かう。


王妃はローリーにかまってもらえず、とても寂しい思いをしていたが、平気なそぶりで国王を見送る。




トレッサは眠っていた。ローリーの心に小さな安堵が生じたが、すぐにその心に不安と疑念が渦巻く。


トレッサを苦しめているものは何なのか。もしこれが、システムの幻視ならば、一体誰が、異能をトレッサに授けたというのか。


ローリーはとしごの妹に固執するあまり、国王としての仕事をおろそかにしてしまっていることに気付く。


しかし…ローリーは誓っていたのであった。トレッサを守るという騎士の最初の約束さえ果たせない自分では、誰かのために役立つことはできないと。


身動きの取れなくなってしまった自分を、情けなく悔しく思う。


その時であった。トレッサがむくりと起き上がる。まるで操り人形のような、前触れのない動きであった。


「トレッサ!」


兄妹の目が合う。妹は笑った。


「…トレッサ!?」


「お兄さま、アナタは確かに、この世界に強い影響力を振るっているわ」


「えっ…?」


「悪魔が、アナタに執着した理由がよくわかる」


「な…何を言っているんだい?トレッサ!?」


トレッサの口を借りて、何か別の存在がローリーに語り掛けている。


「あの悪魔を、呼び出しなさい。それが出来ないのならば、世界からまずアナタの影響を取り除きます」


トレッサの身体がふわりと浮かび上がる。それは重さを無視してふわふわと漂っていた。


「さあ、選びなさい」


ローリーは驚き、恐れるが、身構える。システムを展開する。


「君は…何者だ。僕のトレッサに危害を加えたら、許さない!絶対に!」


トレッサは邪悪な笑みを浮かべる。


「ワタシは天使。世界の管理者。創造主の愛した庭を、土足で踏み荒らし、調和を乱すモノよ…神の裁きを受ける時が、来ました」


トレッサの後方に、白熱する光の輪が生じ、部屋を輝きが満たす!


少年の目が、眩む。




ローリーが目を開けると、そこは見慣れた、終わりのない空間の中であった。


そう、システムが作り出した空間。ローリーの内面世界と言ってもよい。


「…天使。…天地創造の時より、システムを使って、私たち人間を導いてくださった、天使様ですね。なぜ…どうして、こんなことを!?」


ローリーの目の前に、異形の女性が浮遊している。


その姿は醜く恐ろしかったが、聖典の記述を正確に反映しており、一目してこの世ならざるものとわかる特徴を備えている。


手がない代わりに、大きく黒い翼を有している。足は三本。その身体には何もまとっておらず、顔と、胸に大きな穴が開いてしまっており、その穴は呼吸に合わせるようにゆらゆらと動いていた。


「バスチオンは、ワレラの禁を犯して、世界に介入した。アナタはその特別な力によって、人間の未来を改ざんしてしまった」


「僕が、人間の未来を…改ざんした!?」


「たとえ滅びの未来であろうと…天使がそれを変えることは許されない。それは創造主が予定していない、不具合です」


天使はローリーを見つめるように、首を傾げた。


「悪魔を呼び出しなさい。バスチオンを。カレはこの世界に潜んでいる。ワタシにはわかる」


「…バスチオン!?」


「カレはあなたに執着している。幼稚で、考えなしの愚行。さあ、バスチオンを呼びなさい」


ローリーはバスチオンという人物を、知らない…思い出せない。システムを用いて検索をするが、その人物について情報を引き出すことが出来ない。


その時、ローリーの心に、日記の走り書きがよみがえったのであった。




―バスチオンは仲間だ…信じろ。




「呼び出せずとも、良い。アナタの影響はどのみち、この世界から排除せねばならない」


天使は語った。


「アナタを排除すれば、アナタに執着していた悪魔も、この世界との結びつきを失う」


「待ってください…僕は、何か大切なことを忘れてしまっている様です!天使様。それでも僕を、この世界から排除すると言われるのですか!?」


ローリーは膝をつき、祈りの姿勢。後光を帯びた天使を、見上げる。


「大切なことを忘れた?かわいそうな人間。アナタは利用されているのです」


天使は少年へと優しく語りかける。


「アナタは悪魔の傀儡にすぎない。アナタの記憶は、悪魔に弄ばれているのです。まだわかりませんか?それがどれほど許しがたい罪であるのか」


「…」


「バスチオンは、アナタの敵です。アナタの心を侵すもの…人間の心を、弄ぶもの。それは許されざる敵です。神の庭園を踏み荒らすもの」


「天使様…」


「それは悪魔、ワレラの敵」


羽ばたく天使の前方、エネルギーが収束し球形となる。それは今まさに、ローリーに向かって放たれようとした。


「アナタを消してしまう事、それは創造主のご意思に逆らった結果となる。しかし、それもやむをえない。あなたの影響力は、強すぎる。世界にとってもはや、有害」


ローリーの心の中で、何かが震える。


思い出せない。説明できない。


でも…!


「バスチオンは…敵なんかじゃない…バスチオンは仲間だ!僕は彼を、信じている!」


ローリーの身体を、システムの輝きが包む!それは天使の光球が少年の身体に放たれるのと、同時であった…!


少年が発した言葉…それはローリーの日記に書かれていた言葉だ。


ローリーの言葉は、記憶を引き出すための鍵だったのだ!


瞬時にシステム内に隠匿されていた情報が引き出され、少年はすべてを思い出す。


少年と老執事は、予期していたのだ。この状況を。


バスチオンと同じ高次の存在、天使が、禁を犯した者を抹消するため、この世界を訪れると。


だから少年は、バスチオンの記憶をシステム内部に隠していたのだ。


天使を攪乱するため、自らの意志で!


もちろん、ローリーが封印解除のパスワード自体を忘れてしまう危険性もあった。


これは、ぶっつけ本番のステップ。しかし、少年と老執事の息はいつだって、ぴったりと合うのだ。




突如バスチオンがシステムの輝きから躍り出し、優雅に着地。

ローリーの前に立ち塞がる!


この危機的状況にあって、その姿はあまりに華麗。


老執事の長い脚から放たれた、空間を切り裂くような回転蹴り。それにより光球は二つに割れて、システム空間の遠方で爆発。


「じい!」


「ぼっちゃま!」


「現れたか、バスチオン」


天使の口元が笑みに歪んだ。


「アナタはこの悪魔に弄ばれている。この悪魔は、人間を冒涜している」


「フッ…恐れながら…ぼっちゃまを出し抜くことは、そこまで簡単では、ございません」


バスチオンが肩を払いながら、答える。ローリーは天使を見つめたまま、言う。


「そうさ!同じ轍を踏むな。これはじいから教わったことさ。僕の記憶は、僕のものだ。システムだって、僕の道具に過ぎない」


少年と老執事は、ちらと目を合わせ、再び前方の天使を見据える。


「確かに、じいは…バスチオンは、僕を守るために、以前、記憶を操作した。大事なことを忘れさせた。それが、僕には我慢ならないんだ!いつまでも、じいに子ども扱いされることがね!」


不敵に笑う、少年とパートナー。


「だから僕は、同じ手は食わないよ!」


「そうか、なるほど。しかし、いずれにせよ、アナタガタをこの領域に引き込むことが出来た。一網打尽という訳だ」


バスチオンは思う。この天使に各個撃破されなければ、勝ち目はある…薄い勝ち目ではあるが、この状況こそ、バスチオンが望んだ状況であった。


バスチオンには本来、心というものはない。しかし、彼は眼前の少年、自信の腰ほどの丈しかない少年を、心強く思う。その後ろ姿から、自信を得る。


ローリーだって感じている。背後のバスチオンを。


そうさ。じいと僕が手を組めば、何だってできる。世界を変えることだって、出来る!


「じい…勝てるんですか?相手は神様のような存在なんですよ…?」


「準備は整っております…あとは、ぼっちゃま次第だ」


バスチオンが微笑む。それは少年が心からの信頼を寄せた、老執事のいつもの表情であった。 

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