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第92話 予兆

ミッドランドに広大な版図を有するブレイク王国。


それは王室を中心とした8つの領地、それを統べる諸侯の合議制によって統治された、歴史ある強国である。


数多の戦を勝ち抜き、数多の災難を潜り抜け、その繁栄はこの世界の終わりまで続くと豪語されていた。




王国の若き君主、ローリー。


彼は僅か十歳の少年であるが、国民に敬われ、また慕われていた。


曰く、神童。曰く、天才軍師。曰く、女神の加護ある者。


そんな賞賛や美辞麗句を前に、少年はあまりにそっけなく、その生活は極めて質素だ。


だがローリーと出会った者は、誰もがこの少年に魅了された。


思いやりがあって思慮深く、だがその発言は機知に富んで時に鋭く、おしゃべりと議論を心から愛する少年、それがブレイク国王。




もちろん、そんな非の打ち所のないような少年にも弱みはあって…。




「トレッサ、トレッサ、トレッサ!もう!ローリー様ったら!」


アストレア王妃がユスティア姫に愚痴をこぼす。


「いつまでも妹君にべったりで…私だって流石にやきもち焼きたくなりますよ」


何かというと従妹、ユスティアの部屋に上がり込んでくる王妃。十六歳の少女は腕を組んでため息をつく。ユスティアは笑った。


「アストレアちゃんと言えど、トレッサ様には敵わなかった、という事ですね」


「別に張り合おうなんて、私は思いませんけどね」


「あせらないで、アストレアちゃん。まだあなた方は新婚さんなのよ?」


アストレアは不敵な笑みを浮かべる。


「ローリー様を誘惑し、私の虜にする計画は、すでに完成したのですから…!」


「…それを実行に、移すことが出来ればね…」


「ふん、いかにトレッサ様と言えど、妻である私以上の身体的接触は…」


ユスティアは意地の悪い笑みを浮かべる。


「そうかしら。あのお二人…こういってはあれだけど、かなりスキンシップが激しいわよ。見ていられないくらい」


「…今でも?」


「…ええ…こないだなんかローリー様、トレッサ様の顔じゅうに…」


ユスティアは顔を赤らめ、口をつぐんだ。


はあ…ローリー様…早く帰っていらして…。


ため息をつく、若き王妃。窓から見上げた空は、高い。




話題の当人、ローリー・モンテスは、モンテス城で昼食をとりながら会議を行っていた。


少年はブレイク国王の座に就いたものの、後継者が定まっておらずモンテス領の諸侯も兼任していたからである。


モンテス城でもっとも大きな会議室に、上位の官僚、聖職者、騎士が参集していた。


「王国軍の編成に関する法律が無事に、改正、施行されましたので…」


少年が立ち上がる。その表情はにこやかであるが、鋭い洞察の色を帯びていた。


「準備が整い次第、バルチェン領の隕石災害対応が可能です。ウィリアム団長」


「はっ」


「グザール公と打ち合わせをお願いします。権限を与えますので、事後報告してください」


「御意に!」


「インスールとの交渉会場の準備もある。騎士団には忙しく、立ち回っていただかなければ」


「それが我らの勤めにありますれば、滞りなく!」


ローリーが頷くと、巨躯の騎士団長は着席する。


「長引いてすみません、いったん、休憩にしましょう!」


ローリーが言い終わらないうちに、扉が開いて、少女が入室してくる。トレッサだった。


「やあ、トレッサ!どうしたんだい?」


トレッサは答えなかった。何か言いたげであるし、いつもと様子がおかしい。ローリーは少女を伴って、庭に出る。


あたたかな、それでいて風の気持ちよい日だった。


「ごめんなさい、おにいさま」


「いいんだよ。僕がいなくたって、問題はないのさ」


ローリーは微笑する。


「みんな頼れる人たちだからね。どうしたんだい?トレッサ?」


トレッサは、素直な少女である。甘えたいときには甘える。怒りたいときには怒る。兄には、隠し事などしない。いつも自然体なのだ。


だが、トレッサはなかなか、口を開かなかった。


「…どうしたの?」


「お兄さまは、言ってたわね。お兄さまには、マヌーサ様の加護があるって」


「…うーん。言ったかもしれない。なんで?」


かつてローリーは、領民の恐怖を和らげるために、自らの特殊な力の一端を婉曲的に伝えていたのであった。


「おにいさま、私、見えるの…ここに、何か、光る、絵みたいなものが」


トレッサは右の上方に手を掲げる。


「えっ…?」


「何か…知らない景色が…大丈夫なのかな…」


ローリーは凍り付いた。まるで、システムのディスプレイじゃないか…。そんなはずはない。


「今でも、トレッサには見えるの?四角い、窓みたいなものが」


トレッサは頷く。


「それを消したりできるの?」


トレッサは、首を横に振った。


「消えない。おにいさま…怖い…戦争してる場面が…映ってる」


「ばかな!」


ローリーは声を荒げた。トレッサがびくりと身を震わせる。


「ご、ごめん、トレッサ!消せないんだね?その映像は」


トレッサは泣き始める。頷く少女。


「目をつぶっても…消えないの!おにいさま!」


「そんなばかな…!」


ローリーはトレッサを抱きしめる。少女は震えていた。そのまま座り込んでしまう。


トレッサがまるでシステムの様な幻視を得てから一日以上経過していた。彼女はほとんど眠っていない。


「誰か!来てください!助けてください!」


ローリーの悲痛な叫びが、庭に響き渡った。




「神経衰弱かもしれませんが…今の段階では何も断定できません」


ユディスは伏し目がちに答えた。


驚き、混乱したローリーは、信頼する医者であり、親友でもあるメディナ領の若き領主、ユディスのもとに直ちにトレッサを運び込んだのであった。


問診によればどうやら、トレッサの目には未だシステムのような光のディスプレイが浮かび続けているらしい。


寝不足であった少女は、リラックス効果のある煎じ薬を処方されると、ローリーの手を握りながら、ようやく眠りに落ちた。


「我が国は精神医療の分野において、まだ発展の余地がある。私も人の心の病に関しては、勉強中の身なのです」


「心の…病…」


ローリーはこの度の戦争で、精神に変調をきたした者を多く見た。


ある者は子どものように泣き叫び、ある者は死んだようにふさぎ込み、ある者は家族のもとに逃げ帰った…だがブレイク王国軍では、彼らを適切に扱うことが出来なかったのだ。


そう、そのような者達は…不名誉なレッテルを張られて処刑、または除隊されたのだから…。


ローリーは思わず目を閉じ、悔悟する。そうだ…心だって、時に病に罹る事があるだろう。


「僕は、無知でした。ユディス様、トレッサの幻視は何が原因なのでしょう?」


トレッサの症状は心の病なのか、それとも、自分と同じシステムの力によるものなのか。ローリーは知りたかった。


「ローリー様は強靭でしなやかな精神をお持ちですが…プレッシャーは時に人の心を苛み、歪める。それが心の病の端緒となる事があるでしょう」


ユディスは書類をまとめ肩掛けカバンにしまう。杖を突いてよろよろと立ち上がった。


「…申し訳ありません。モンテス公…いえ、国王陛下。今の段階では…」


頷くローリー。


「お目覚めになってから、原因を調べてみます」


「よろしくお願いいたします!先生!」


ユディスは微笑み、部屋を出ていく。


その時、ユディスの口から妙な言葉が漏れ出す。




―バスチオンはあなたの敵です。用心なさい―




静かに扉が締められる。


「…バスチオン…?」


それはローリーの聞いたことのない、名であった。 

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