王室領、ブレイク城の一室にて。
「アストレア、大事な話があります」
夕食後、ブレイク王国の姫君は、母親である女王ミディアに呼びかけられる。
おてんば姫は嫌な予感を抱きつつ、笑顔で応じた。
「なんでございましょう?お母様」
「座って話します。大事な話なので、こっちへいらっしゃい」
アストレアは母に言われるままに2階の応接室に連れていかれる。中には執事長のシーラスのみが控えていた。
シーラスはかなりの高齢ではあるが、かくしゃくとした人物で、女王の幼少より仕えている、信頼篤い人物である。
「アストレア、あなたの結婚相手が決まりましたよ」
ミディア女王が微笑む。だが、アストレアは青ざめた。
彼女の心に、不意にローリーの笑顔が浮かぶ。
「結婚だなんて…私には似合わないですよ、お母様」
「似合う似合わないとか、そういう話ではありません。アストレア、あなたは年ごろ。ゆくゆくは私の後継ぎとしてブレイクを牽引し、導かなければならない」
ブレイク王国の姫君は、政治的決定権を持たないものの、その存在にはやはり影響力がある。
一方で王室の女性は自らの意思で伴侶を選択することが出来ない。
しがらみや、取引、同盟…人間を縛る様々な社会的要素によって、それは決定される。一度も会ったことのない相手との結婚など、珍しい話ではない。
深くため息をつくアストレア。
「そんなことは重々承知ですよ、お母様…ただ…」
「ただ?」
「結婚とか全然、イメージがわかないんです」
アストレアの心に、ゆっくりと恐怖が芽生えた。
沈んだ娘の表情を見つめて、ミディアが静かに語りかける。
「ところで…好いた方はいるの?アストレア」
「…いますよ。そりゃあね。それくらい私だって…」
「モンテス公ローリー様ね」
ミディアに指摘され、アストレアはどきりとした。図星である。
「…私、そんなに顔に出てましたかね?」
「そうね。顔には出てないけど。ローリー様とお会いしている時のあなたって、なんだかピョンピョンと元気がいいから」
ミディアは微笑んだ。
「でも、ローリー様は、あまりにもお若いわ」
「知ってますよ!…それくらい。でも」
アストレアは思った。ローリー様なら、ありのままの私を受け入れてくれる…多分。
おてんば姫…ちょっと変わっていると、自覚している。容姿だって飛びぬけているわけではない。宗教画の美女なんかとは骨格や肉付きからして違う。でもそんな私を、ローリー様は優しく見つめてくださった。
私の言う事など、ここの誰もが真に受けない。変わり者の、間抜けだと思われている。でもローリー様は違った。
女王の咳払いで、アストレアは我に返る。
「アストレア。喜びなさい。ローリー様に打診したの。ブレイク王女との結婚についてね」
アストレアはゆっくりと、その意味を咀嚼する。
「…マジですか、お母様」
ゆっくり頷く、ミディア。
「ええ、ローリー様から回答があったわ。宜しくお願いしますと」
アストレアはしばし、呆然としていた。夢のようだった。
「ですから、くれぐれも失礼の無いように。アストレア。今後のスケジュールはシーラスにお聞きなさい」
ミディアは席を立つと、スタスタと部屋を出て行ってしまった。
「私と、ローリー様が…結婚…?」
気持ちが抑えきれず、アストレアの顔にたちまち笑顔が広がっていく。
だが、すぐに彼女の表情は曇った。従妹のユスティアの事を思い出したからである。傷心のユスティアもまた、ローリーに恋していたのだ。
この事を、ユスティアちゃんは知っているのだろうか。まるで抜け駆けではないか。
それはもちろん、王室の女たちは自分の結婚相手を選ぶことなどできない。だがそれにしても…。
立ち上がるアストレア。ふと窓の外を見やる。空がぼんやりと明るい。時刻は夜の八時。不自然だ。明るすぎる。月明りにしては、強すぎるのだ。
窓辺に寄ったアストレアは、驚くべきものを見た。流星だ。一つ二つではない。流星群。夜空を明るく照らしながら、東から西に流れていく。
アストレアはその美しさに目を奪われた。
「ローリー様…本当ですか?私たち、夫婦になれますか…?」
生まれて初めて、神に向かって手を合わせる、十五歳の少女。
この夜、ブレイク王国の全ての場所から流星群が確認された。
はるか遠い昔、流星は凶兆として恐れられていた。だがその記憶はすでに失われている。
―人類滅亡まで、残された時間は、あと…6日―
アストレアが流星群に心奪われた翌日、正午頃。
ミッドランドの西端、バルチェン領に隕石群が落下した。
隕石は建築物が集中する市街地に多く落下し、甚大な被害が生じた。
崩壊した建造物には、領主の起居していたバルチェン城も含まれる。
隕石は大小様々であったが、大きなものは家屋程度。巨大な衝突痕からは土埃がもうもうと立ち上がり、バルチェンの空を赤く染めた。
領内の人々は狂乱状態となった。
現在に至るまでブレイク王国でこのように大きな隕石被害が生じた記録はない。
世界の終わりだと、残された教会や貴族の館に、人々が殺到する。
王室領がバルチェン領から状況報告を受けたのがその日の夕刻。
隕石はバルチェン領に近い沖にも次々落下し、津波が生じて沿岸部の住居や港も壊滅状態となる。
王室領は直ちに諸侯らに早馬を送った。
ローリーがその隕石災害を知ったのは、翌日であった。
「皆さんに、お話しておきたいことがあります」
少年諸侯ローリーは演壇へと上がって、皆に語り掛ける。
古の闘技場、今ここでモンテス領の成人の通過儀礼、通称、覚醒の儀式が行われていた。
今年は8名の少年が無事に儀式をやり遂げ、騎士となった。
儀式の終わりに際し、主催者である九代目のモンテス公は珍しく、長々とスピーチを行った。
まず、この様な形式の儀式は今年で終了とすること。つまり、捕虜を殺害する形式を、他の形式へと改める事、である。
そしてもう一つ。
「私はかつて、神童と呼ばれていました…それは、私に与えられた…神の祝福があるからなのです」
会場がどよめいた。今までこのような言葉をローリーが発したことはなかった。
「私には、マヌーサの加護があります。今まで黙っていました。皆さんを怖がらせたくありませんでしたので」
少年の笑みは陽光を受けて輝いていた。儀式に立ち会ったモンテスの騎士団員、貴族たちは皆、ローリーの言葉を信じる。そして、まるで自身までもが神の祝福に浴したかのような、感動を覚えていた。
静まり返る会場。
「今夜、マヌーサの偉大なる奇跡が示されます。星々が夜空を輝かせ、月がこの世界に迫ります」
「預言だ…ローリー様が預言をなさっている…」
「やはり、ローリー様には女神の加護がおありだったのだ!」
騒めく会場。ローリーは一層声を張り上げた。
「今夜を境に、大きな嵐がこの世界を覆います。しかし、恐れることはありません!この出来事は、世界が新たに生まれ変わるための兆しなのです」
演台から降り立ち一足先に会場を後にするローリー。周囲はローリーを畏敬のまなざしで見送る。
少年の表情はしかし、苦々しいものであった。
その夜…ブレイク王国各地の星見台で、占星術師や自然学者が星々を観察していた。隕石によるバルチェン領壊滅のニュースは瞬く間に王国中に広がり、諸侯らは占星術師らに真相の解明を求めた。
夜空は不気味なほどに静まり返っている。前夜の流星群は単発的な事象だったのか、それとも…。
皆が不気味な予感に震えていた。
そして、ついにその時が来た。
その出来事は夜の十時ころ、起きたのだった。
月よりも明るく、再び流星が夜空を照らす。
空を見上げていた人々は恐怖の叫びを発した。城の見張り達が次々に松明をともす。歩哨の顔は恐怖に引きつっていた。
流星はいつまでも空を明るく照らす。人々が不安げに夜空を見上げる。
現実とは思えなかった。これはマヌーサの奇跡なのか、それとも世界の終わりなのか。
ひときわ強い光が世界を覆った。まるで真昼のように。
驚き、騒めく人々。家々から次々に人が表へ出てくる。
蒼く輝く月の真横、そこから煙のようなものが立ち上っている。人々は月を指さし、叫び声をあげた。
月に、巨大な隕石が、衝突したのだった。
それは人間が一度も見たことのない、異様な光景である。
―人類滅亡まで、残された時間は、あと…5日―