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第86話 会議は踊る

「…でも…ローリー…戦争を止めるために、攻撃を仕掛けるなんて…なんだかおかしいわ」

少年の笑顔が、引きつる。アムリータは節目がちに、静かに語る。

「それはきっと、あなたにしかわからない事情があるのでしょうけど…」

ローリーは王室領へと向かう途中、グザール領の学校に寄っていた。友人であり、副校長でもある少女、アムリータに挨拶するために。

ここでは男の働き手が極端に減少して、学校経営の先行きに暗い影を落としている。ローリーはアムリータを元気づけようと、戦争が早く終わりそうであるとの見通しを伝えた。そう、新しい兵器で、想像以上の戦果を得られたと報告したのである。だがアムリータの表情は曇ってしまった。

「僕は…ブレイク王国に生じる損害を未然に防ぐために、先制攻撃をおこなったんです。黙っていれば、ここは戦場になっていた。敵が攻めてきているんです…」

アムリータは頷く。

「ええ、わかっているわ…ローリー。あなたは、心優しい人だから。みんなのために、頑張ってくれているから」

アムリータが、あんなに弱々しい笑顔を見せたことは、今まで一度もなかった。

アムリータは逆境にあればあるだけ、輝く笑顔を周囲に見せつけるような少女だ。

その原因が自分にあることを、ローリーは意識した。


ブレイク王国軍とインスール帝国軍の戦闘がグザール北部で開始されてから、二週間足らず。新兵器、大砲を用いた王国軍は異例とも言える速さで山岳城砦を攻略してしまった。

それは大砲により、従来の包囲戦とは大きく異なる戦術が可能となったからである。

ローリーの思惑通りであれば、補給を断たれた森林砦も降伏し、王国軍はほとんど犠牲を払わずにグザール北部の戦闘で勝利を収めることができる。

ローリーは戦争の早期終結を何より望んでいたが、自分の思い通りに戦果が生じたことを内心、喜び自信をつけていた。

新兵器と軍隊の力があれば、システムのシミュレーションで戦争さえも効率的に行うことができると。最小限の犠牲で、最大限の結果を得ることができると。

だが、アムリータは見抜いていたのだ。ローリーの自己欺瞞を。

最大限の結果…それは、より多くの敵兵の死を意味しているのだから。

グザールでは徹底した異民族狩りが完了していた。インスールを始めとした異民族、異教徒は住む場所も、財産も、場合によっては命さえも不当に失っていったのだ。

ローリーはその現実から目を逸らしたが、アムリータはそれら全てを直視していた。


戦争にならないように、戦争を仕掛ける…確かに全く、おかしな話だ。

馬車に揺られながら、ローリーはアムリータの言葉を反芻する。

僕は何か、大きな考え違いをしていたのだろうか…。

王国軍の決定は、先に敵を攻撃しなければこちらが攻撃を受ける、そんな前提に立っている。

この当たり前の前提が、すでに誤っていたというのか。

ローリーは目を閉じる。日が翳り、頬を冷たい風が撫でる。

敵の攻撃は可能性の話に過ぎない。例え攻撃の末に甚大な被害が出るとしても、それはあくまで可能性にしか過ぎない。未来は誰にもわからない。

恐怖心だ…敵を恐れる心。それが人間の凶暴性を引き出す。恐怖が、人を殺戮へと駆り立てる。

馬車が大きく揺れて我に帰るローリー。いつのまにか、掌を重ね祈りの姿勢をとっていた。 


若き諸侯が自責の念に苛まれる一方、司令部ではすでにこの戦争についての明るい見通し、楽観論がはびこり始めた。

王国領の迎賓館では、緊迫した戦場とは全く異なる、華麗な世界が展開されていた。

夜毎の宴が催され、そこでは諸領における戦費の負担割合を決める会議が行われていた。しかし会議は踊れど進まず、ローリーは戦場と司令部の認識のギャップに苛立ちを覚える。

参謀長である彼は会議参加を辞退し続けていたが、臨時の諸侯会議が開かれるという事で、やむなく戦地を後にしたのである。

巨大な宴会場は飾り付けられ、ゆったりとした音楽に満ちていた。ローリーは入室するなり、むくれ顔で料理の盛られたテーブルに歩んでいく。腸詰や、アップルパイなどのご馳走が並んでいる。ローリーはアップルパイを手掴みで食べ始めた。皆、談笑している。先制攻撃の功労者である少年は孤立していた。

そんな少年の元に、ピンクのドレスで着飾った少女がかけていった。

王国の姫君、ユスティアである。

「ローリー様…」

振り返るローリー。不機嫌そうにパイを頬張ったローリーの顔は、まるでリスのようで、ユスティアは思わず笑ってしまう。

「もう、ローリー様ったら」

「…なんですか?」

ローリーの心がほぐれていく。不機嫌顔を作っていたローリーだが、とうとう堪えきれず、笑ってしまった。

「毎日、酸っぱいパンと干し魚ばかり食べていましたから、こんなご馳走は、久しぶりです」

「よかった!ローリー様。あなたのご苦労を思うと、とても…」

「いえ、これは私の仕事ですから。私は自分から参謀の仕事をお引き受けしたんです」

ローリーはドレス姿のユスティアを改めて見つめる。所々に刺繍で薔薇の意匠が施されていた。少女の顔は化粧っ気がなかったが、それがかえってユスティアのあどけなさの残る可愛らしさを印象づけていた。

「いつも、お綺麗です。ユスティア様」

「えっ」

「いや、とてもお似合いですよ。殺伐とした戦場から、こんな場所に急にやってきて…頭が、追いつかないんです」

ローリーは苦笑する。ユスティアの心に喜びが満ちていく。今日、ローリーが夜会に出席すると噂になっていた。ユスティアはローリーとの再会を楽しみにしていたのだ。

ローリーは、ユスティアから頼まれていた件…かつての恋人であるピエールについての話をどう切り出したものか、悩んでいた。自分はその件について調べてみると、引き受けたのだ。

しかし、ピエールの家柄は金で買ったものであり、また彼はパトロンであるレライエの奴隷同然の立場にある…こうした話を、どう伝えれば良いのか、わからなかった。

その時である。不意にユスティアの視線が泳ぎ、その表情が固くなる。

ローリーが振り向くと、そこにメディナの富豪、レライエの姿があった。

「お久しぶりね、ローリー様。そしてユスティア様、ごきげんよう」

レライエはいつのもように黒一色の装いであった。その姿はやはり大きな鴉を連想させる。

「レライエ女史…」

ローリーは戸惑ったが、ユスティアの驚きはそれ以上だったに違いない。レライエこそ、まさにピエールの去就を知っている当人なのだから。

ローリーは空気を素早く察し、口を開く。

「レライエ様。新兵器に多額の出資をしていただき、ありがとうございます。おかげさまで、王国軍は損害を最小限に戦果を得ることができました」

レライエは微笑む。

「道具は使い用です。知恵がなければ、道具になど意味はございませんわ。天才軍師殿」

「お戯を…」

「本心です。あなたには何か、未来を見通す力がおありなのでしょう」

ローリーはドキリとした。レライエの瞳が不思議な光を放っている。

「あの大砲は、やがて船に積み込んで運用しましょう。そうすれば、ブレイクは海洋覇権を揺るぎないものとすることができる」

ローリーは驚きつつも、頷く。

「実は、海洋での摩擦が今回の戦争の原因にもなっているのです。レライエ女史。私は頭を悩ませています。インスール帝国との、共存の道について」

「共存?あの異教徒どもとですか?」

レライエが笑う。それは上品だが、冷たい笑いであった。

「ローリー様。人間の欲望には、限りがありません。そして、その恐怖心にも、底がありません」

「…」

「私の会社は人間の欲望と恐怖そのもの。際限なく膨れ上がり、全てを飲み込むでしょう」

レライエは西部海商株式会社の有力なオーナーである。会社の武装船団や雇った海賊は何度もインスールの船や港を襲撃していた。

「レライエ様こそ、先を見通すお力をお持ちだ。しかし…いずれ、その件でお話をつけねばならないでしょうね」

ローリーもまた微笑む。

「我らモンテスの支配地ベスチノ島が、あなた様の会社組織から攻撃を受けて、実効支配を失ったという報告を受けています」

「ベスチノ、存じております。モンテス騎士団より救援要請を受けて、西部海商の実行部隊が応援に駆けつけたようですね」

ユスティアは黙って二人のやりとりを聞いていた。ローリーは頷き、口を開いた。

「私はモンテス諸侯。ブレイクの法を司るものとしての自負がございます。国外、海洋についてのルールは現在、確かに存在しません。しかし、だからといって海の外は無法地帯ではない。私はいずれ、海洋取引などについて法を整備するつもりです。そのためには、レライエ様、あなたのご慧眼が、是非とも必要なのだ。わかっていただけますか?レライエ様」

レライエはローリーに微笑み返す。

「もちろんです。ローリー様。私に政治的な地位はございませんが…芸術を奨励するものとして、この良き治世に貢献したいという気持ちに、何ら変わりはありませんわ」

ローリーは頷く。

「ところで、レライエ様、ピエール氏はお元気でいらっしゃいますか?」

ローリーの言葉に、ユスティアは息を呑む。

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