グザール城にある、王国軍参謀本部。そこで、褒章騎士となったばかりの青年クレイバンは、戦争計画の最高責任者モンテス公と出会ったのであった。
モンテス公はこの場でクレイバンに、最前線の歩兵部隊から後方支援にあたる補給部隊への異動を命じた。
クレイバンの心に、やるせない気持ちが、広がっていく。
戦場で真っ先に突撃し父の仇であるインスール兵を、一人でも多く殺すことが、彼の目標であったから。
「では、私は戦闘から外されるという事ですね」
クレイバンの言葉に、少年は首を横に振る。
「剣を手に持つことだけが、戦いではありません。クレイバンさん」
「ですが、モンテス公。私は、剣を手に取り戦うつもりでした。父の仇を取ることが、私の使命なんです。だから私は、グザール騎士として志願したのです!」
「では…御父上も、あなたに復讐を願っているという事でしょうか…?」
「そうです!父は、無念だったと思います」
クレイバンの心に、優しかった父、メーヤーの笑顔が思い起こされる。
「心から無念だったでしょう。次の刈り入れは必ず手伝うと、私に約束してくれました。今が一番忙しいから、我慢してくれと。ローリー様。教えてください」
クレイバンはモンテス公を睨みつけるように見つめる。
「父は、最期に何と言っていましたか?ローリー様は、父の最期を見ておられたのではないですか!?なぜ、父の最期の瞬間を、誰も知らないのですか!?」
部屋に沈黙が流れた。クレイバンが、ややあって口を開く。
「…父がよく話して聞かせました。私に。ローリー様は、モンテスの神童であって、そんなローリー様にお仕えする自分を、誇りに思うと。でも自分は、ただの荷引き馬だと」
少年は、クレイバンの言葉を黙って聞いていた。クレイバンはつらそうに言葉を吐き出す
「失礼ですが私は、そうは思いません…私の、父は…」
少年がたまりかねたように口をはさんだ。
「クレイバンさん!私も、そう思います。お父様は、ただ、ご謙遜なされていただけです」
「父は、いつもあなたのお側にいたはずだ。ローリー様…父は、どんな最期だったのですか?教えてください」
「…あなたのお父様は…、メーヤーは…」
クレイバンは、俯いた少年を見つめていた。
俺は、もしかしたら処刑されるかもしれない…こんなことは許されない、ありえないことだ。農村の人間が、領主にこのように物言いをつけるなんて。ましてや、ここは軍隊なのだ。
だが、クレイバンは死に場所を探して褒賞騎士になったのだ。父に会うために。だからクレイバンに、怖いものなどなかった。
クレイバンの胸の内に、小さな怒りの焔がゆらめく。
「…ローリー様は、お知りにならないのですね。父は、あなたのために、命を懸けて戦ったというのに」
父が忠誠を誓った、ローリー分団長は、父の葬儀には、来てくれなかった。父はあれほど、ローリー分団長を慕い、尽くしてきたというのに。
「私は、父の復讐を果たします。王国軍の先頭に立って…モンテスの男子が、いかなる力を持っているか…異教徒どもに、思い知らせてやるんです!」
クレイバンはローリーにまくしたてた。少年は静かに、佇んでいる。やがて、声を発した。
「…わかっています。クレイバンさん。メーヤーは、私のために、命を懸けてくれました」
少年は答えた。その青い瞳が、まっすぐにクレイバンを見つめる。
「騎士は誰でも、主君の命じに、命を懸ける…。領主の力の源は、皆の忠誠なんです。だから私も、命がけで命令しています…私は…皆の、仲間の命を預かっているのですから。当然の事です」
部屋に二人きり、見つめあう少年と青年。やがて少年が口を開く。
「クレイバンさん、これは命令です。あなたはグザール騎士団の指揮下に入って、今日から補給部隊に編成されます。あなたをモンテス騎士団に入団させることは、私の独断ではできない事です。ですから、王国軍参謀長として、あなたの補給部隊編入を命じます。これは、命令です。従いなさい」
クレイバンは、姿勢を正した。少年は伏し目がちに言葉を発する。
「クレイバンさん。あなたのお父様は…メーヤーは、私が五歳の時からずっと…稽古をつけてくれたんです。私の師と言ってもいい。先代、モンテス八世は、家柄などに関係なく、信頼に足る優秀な人物を選んで私の部下にしました。私は騎士となってから初めて部下を持ちました。そのなかに、メーヤーがいたんです」
クレイバンは、黙って少年を見つめていた。
「騎士の仕事は、敵を殺す事だけではない。華々しく戦場をかける事だけではない。それ以上にたくさん、目立たない膨大な仕事がある。そしてそんな仕事こそが、領民にとって真に必要な仕事です。メーヤーは、私の分団の中心となって、様々な事務をこなしてくれました。私の右腕として、一生懸命に頑張ってくれたんです。私はその事を、終生忘れることはないでしょう」
少年は、打ち明けるように、懺悔するように、クレイバンに語った。
「…お命じに従います。参謀長閣下」
クレイバンは深々と礼をする。
「下がってよろしいですか」
「ええ…あの、ご家族はお元気ですか?」
「はい、おかげさまで…ローリー様のお計らいで…」
クレイバンは会議室を後にする。驚くほど広い城であった。軍服姿の男たちが書類の束を持って行きかっている。
クレイバンのもとに、彼をここまで案内をして来た執事風の若い男がやってくる。
「辞令がありましたか?クレイバンさん」
「はい、しかし、単に口頭で」
「大丈夫ですよ。話はついていますから。さあ、参りましょう」
かなり失礼な言動だったが、お咎めは無かった。歩きながら、クレイバンは先ほど自分が少年に投げかけた言葉を、反芻していた。
少年の言葉にも、心がこもっていた。その言葉には、嘘偽りはないに違いない。だからこそ父は、心からの忠誠をローリー様に捧げていたんだ…。
クレイバンは気づいた。俺は、多分…会ったことのないローリーという少年に、嫉妬していたのだろう。
俺は父を尊敬していた。優しく、賢い父が誰より好きだった。父は畑仕事が忙しい時にだけ帰省した。父は騎士として年中働いていた。
誰のためだったんだろう…もしかしたら、それはローリー様のため、そのためだけではなかったのかもしれない。
父は…おそらく、家族のために…。
さて、この人事は、参謀長であるローリーのごく個人的裁量によるものである。
少年の感傷が引き起こした、罪滅ぼしの一種といってよいだろう。なぜなら少年は今でも、自分をかばって傷を負ったメーヤーに、申し訳なく思っているのだから。頼まれたとはいえ、メーヤーを殺した自分を、責め続けていたのだから。
メーヤーの長子であるクレイバンを、戦争の間中、ほんの少し安全な位置に移動する。これは最初、とても良い思い付きだと少年は感じていた。
しかし、クレイバンはそのことでかえって、己の意思をくじかれたと感じてしまったようだ。
人を動かすことのできる地位に就いたとしても、人の心まで自由に動かせるわけではない。
そんな当たり前のことを、少年はこの時、思い知った。
そしてもう一つ…少年は気づかされた。
この戦争で褒章騎士となった若者たち、皆すべて、クレイバンと同じなのだと。
誰もが、クレイバンと同じ。
死なせてはいけない、大切な人間なのだと…。