「敵は矢を射て来る!敵は馬で突撃してくる!」
八月。最前線の騎士訓練場にて。土埃の舞う大地に、新米騎士たちの短い影が落ちている。
「敵は剣で斬りかかってくる!」
騎士となったばかりのクレイバン青年は、一心不乱に槍の稽古に取り組んでいた。
「敵はあらゆる恐ろしいやり方で、お前たちを攻撃してくるだろう!」
訓練責任者である上級騎士は、激励とも罵倒ともいえぬ調子で、大きな声を張り上げた。
「大事なのは仲間とともに戦う事だ。軍として振る舞う事だ。そうすればお前は、強く偉大な、王国軍の一部となる!」
訓練を受けている若い褒章騎士たち…戦争のために臨時で騎士になった平民の青年たち…は、参集して整列した。
規律だ。兵は規律と共に進む。規律と共に、死ぬ。それがブレイク王国軍である。
「我らの魂は規律のもとに一つ!ゆえに、ブレイク王国軍は、不滅である!」
「気を付け!」
褒章騎士たちのリーダーを任じられた、クレイバンが訓示を受けると、号令をかけた。乾いた青年の喉から精一杯の大きな声が発せられる。
「グリスト部隊長に、頭を、そろえっ!」
敬礼。午前中の訓練が終わる。
ここはグザール領の第一管区。である。敵国とは目と鼻の先である。
先制攻撃が迫っていた。攻撃目標は未だ明らかになっていない。それはグザール領に最も近い、インスール帝国の森林砦であるという噂が流れていた。
クレイバンら新米騎士たちは、突貫工事で完成した倉庫の様な建物に入っていく。
中はとても大きく、広い。木製の粗末なベッドがたくさん並んでおり、その横に各々が支給品の装備を入れた背嚢を置いていた。
ここは彼らが起居する隊宿舎であるが、雨をしのげる最低限のつくりであって、冬になれば死者が出るのではないかと思うほど風通りが良かった。上着を脱いで涼む隊員たち。
午後の訓練まで、ささやかな楽しみのひと時。そう、食事だ。食事当番の隊員が着替えて外に出ていく。
クレイバンはベッドに腰かけて、左手首をもんでいる。先ほどの槍の訓練で、相手に木剣で打たれてしまったのである。
…あれが本当の剣ならば、俺は死んでいただろうな、などと思う。
クレイバンの父は、戦死している。インスール帝国兵と戦って、死んだのだという。彼は父の死に目に、立ち会っていない。
父もまた、褒章騎士であった。だから国のために、戦って、死んだのだ。名誉ある死に方であったと、思う。
父は立派な人であった。自分と、弟、母のために畑仕事をし、村のためにも働き、さらに国のため騎士として戦ったのだから。
クレイバンは、父を殺したインスール帝国に、復讐を誓っていた。
あれは麦の刈り入れが終わってから、すぐの事だった。クレイバンの村にグザール騎士がやって来て、兵を募集したのである。
近く、大きな戦いがあると大人たちは噂していた。クレイバンは居ても立ってもいられず、旅の準備を始める。母は、そんなクレイバンの身支度を黙って手伝い、見送った。
クレイバンは身体検査を受けるためにグザール領へと旅立った。そこは故郷の村とは異なり、様々な露店や商店、飲食店が並び、多くの人々が行きかう、賑やかな街であった。
多彩な娯楽があり、同期の若者はそれらを楽しんでいたが、クレイバンはどうしても、そんな仲間たちと打ち解けなかった。
異性や酒におぼれ、賭けカードに興じる…そんな現実逃避によって、自分の決意が揺らぐのが、恐ろしかったからだ。
クレイバンは今日この日まで、必死に槍を鍛えた。一人でも多くの、敵を殺すために。
復讐。それが父の望みだと、自分に言い聞かせて。
「クレイバン、隊長舎に出頭しろ」
「えっ」
クレイバンが振り向くと、先輩であるグザール騎士がベッドの脇に立っていた。
「副団長が人事のことでお前に話があるそうだ」
「シミアス様がですか?」
「そうだ。昼食前に行ってこい。いいな」
先輩騎士は言うだけ言うとさっさと立ち去った。立ち上がるクレイバン。彼はすぐに隊長舎に向かう。そこは訓練場から少し離れた、接収した異民族の商人の屋敷であった。
シミアスはグザール騎士団の副団長の一人である。二階の執務室に案内され、クレイバンはシミアスと二人、向かい合う。
「君がクレイバンか」
「はい」
「新米でも優秀だと聞いているぞ。リーダーを任されているな」
「はい」
シミアスはクレイバンを立たせたまま、話始める。
「ところで…クレイバン、何か、私に報告することがあるか?」
「…報告、で、ございますか?」
心当たりはない。当然である。クレイバンは故郷を出てからほとんどの時間を訓練などに費やし、ずっと駐屯地内で起居しているのである。隠すようなことも何もない。騎士団は彼の状況を完全に把握していると言ってもよいほどだ。
「…心当たりはございません!副団長!」
「…そうだろうな」
シミアスは真顔で立ち上がる。その表情が、記憶をたどるように、考え込むように、しかめられた。
「ギャングがお前のことを、嗅ぎまわっているようだ」
「…ギャング?」
シミアスは頷く。
「クレイバン、君は、元はモンテス領の人間だそうだな?」
「…」
「なぜ、グザール騎士団に入団したのだ」
シミアスがクレイバンに近づいていく。シミアス副団長は、白髪をオールバックになでつけた目つきの鋭い男である。一見、痩せているようにも見えるが、その身体には剣術で鍛え上げられた筋肉が隠されている。
「私の質問について、筋の通った説明をできるかね?クレイバン」
クレイバンは沈黙してしまった。
シミアスはそんなクレイバンを、見つめる。副団長として周辺の人物から聞き及んだ限りでは、クレイバンという青年は不穏当な人物とは思えなかった。だからシミアスはクレイバンについて純粋に好奇心を抱いていた。
「…私の父は、モンテスの褒章騎士でした」
「ふむ」
「父は戦死し、私たち家族にはモンテス騎士団より、多額の見舞い金が支払われました。だから…」
「…だから、どうしたというのだ」
クレイバンは黙って立ち尽くす。シミアスが口を開いた。
「恥じるな、クレイバン。命を懸けた騎士に、君主が報いたという事だ。それが、忠誠というものだ」
シミアスはクレイバンに近づいていく。その肩をたたく。
「わかったよ。君がグザール騎士団に志願した理由が。そして、モンテス騎士が君を探していた理由がね」
「…モンテス騎士が、私を…?」
シミアスは頷く。
「ついてきたまえ。命令だ」
クレイバンは行先も告げられず、馬車に乗せられる。青年は巨大なグザール城に連行されていった。
道中、様々な思いがクレイバンの胸を去来する。
モンテス領の出身である自分が、グザール領の褒章騎士となったこと。これは領より出奔した、という罪に該当するのではないか。もしや自分は反逆者となるのだろうか。主君に背いた、という罪で…。
クレイバンは実は、モンテス騎士にはなりたくなかったのだ。
クレイバンの家族は、戦死した父の見舞金や恩給で、十分に暮らしていける。
そのために彼の家族は、周囲から羨望の眼差しを向けられるようになったのだ。その視線にいつしか、嫉妬、いわれなき恨みなど、負の感情が宿り始めた事にクレイバンの家族は気付いた。
馬車がとまり、クレイバンは城門前に降り立つ。門番の控室で、待たされる。
クレイバンは思う。俺も立派に戦死して、尊敬する父に会いたい。勇敢な騎士は、天上でマヌーサの英雄となるのだと、彼は心から信じている。
だから、旅に出る前に、母に詫びたのだ。そう、今生の別れはすでに告げてきた。
やがて青年は控室から門を抜けて、城内の一室へと案内された。
ノックとともに扉が空けられる。中に入るように促される。広い会議室に、一人、少年がたたずんでいる。
それはモンテス騎士の茶色い制服に身を包んだ、10歳くらいの少年であった。
少年の制服には大小さまざまな形の徽章が沢山、張り付いているため、まるで大人の格好をさせた子どものように、滑稽な印象を与える。だが、クレイバンは驚くと同時に、この奇妙な少年の正体にすぐに思い当たったのであった。
「クレイバンさんですね。初めまして」
クレイバンは敬礼する。少年の右胸に金色の上級士官の階級章が見えたからである。
「モンテス公ローリーと言います。あなたは、モンテス領境の大窪村のクレイバンさん、間違いないですね」
「そうです」
少年がにこやかに差し出した右手を、クレイバンはためらいがちに握り返した。
「さて、どこからお話すればよいのか…」
少年は微笑した。
「要件から言います。クレイバンさんは、本日付で部隊を移動することになりました。補給部隊として、軍隊を後方から支えてもらいます」
クレイバンは、戸惑う。
「ここ、グザール城を拠点として、働いてもらう事にしました。あなたは成績優秀という事でしたので」
「…」
「あなたの御父上、メーヤー氏も、非常に優秀な騎士でした」