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第83話 新兵クレイバン

「敵は矢を射て来る!敵は馬で突撃してくる!」

八月。最前線の騎士訓練場にて。土埃の舞う大地に、新米騎士たちの短い影が落ちている。

「敵は剣で斬りかかってくる!」

騎士となったばかりのクレイバン青年は、一心不乱に槍の稽古に取り組んでいた。

「敵はあらゆる恐ろしいやり方で、お前たちを攻撃してくるだろう!」

訓練責任者である上級騎士は、激励とも罵倒ともいえぬ調子で、大きな声を張り上げた。

「大事なのは仲間とともに戦う事だ。軍として振る舞う事だ。そうすればお前は、強く偉大な、王国軍の一部となる!」

訓練を受けている若い褒章騎士たち…戦争のために臨時で騎士になった平民の青年たち…は、参集して整列した。

規律だ。兵は規律と共に進む。規律と共に、死ぬ。それがブレイク王国軍である。

「我らの魂は規律のもとに一つ!ゆえに、ブレイク王国軍は、不滅である!」

「気を付け!」

褒章騎士たちのリーダーを任じられた、クレイバンが訓示を受けると、号令をかけた。乾いた青年の喉から精一杯の大きな声が発せられる。

「グリスト部隊長に、頭を、そろえっ!」

敬礼。午前中の訓練が終わる。

ここはグザール領の第一管区。である。敵国とは目と鼻の先である。

先制攻撃が迫っていた。攻撃目標は未だ明らかになっていない。それはグザール領に最も近い、インスール帝国の森林砦であるという噂が流れていた。


クレイバンら新米騎士たちは、突貫工事で完成した倉庫の様な建物に入っていく。

中はとても大きく、広い。木製の粗末なベッドがたくさん並んでおり、その横に各々が支給品の装備を入れた背嚢を置いていた。

ここは彼らが起居する隊宿舎であるが、雨をしのげる最低限のつくりであって、冬になれば死者が出るのではないかと思うほど風通りが良かった。上着を脱いで涼む隊員たち。

午後の訓練まで、ささやかな楽しみのひと時。そう、食事だ。食事当番の隊員が着替えて外に出ていく。

クレイバンはベッドに腰かけて、左手首をもんでいる。先ほどの槍の訓練で、相手に木剣で打たれてしまったのである。

…あれが本当の剣ならば、俺は死んでいただろうな、などと思う。


クレイバンの父は、戦死している。インスール帝国兵と戦って、死んだのだという。彼は父の死に目に、立ち会っていない。

父もまた、褒章騎士であった。だから国のために、戦って、死んだのだ。名誉ある死に方であったと、思う。

父は立派な人であった。自分と、弟、母のために畑仕事をし、村のためにも働き、さらに国のため騎士として戦ったのだから。

クレイバンは、父を殺したインスール帝国に、復讐を誓っていた。


あれは麦の刈り入れが終わってから、すぐの事だった。クレイバンの村にグザール騎士がやって来て、兵を募集したのである。

近く、大きな戦いがあると大人たちは噂していた。クレイバンは居ても立ってもいられず、旅の準備を始める。母は、そんなクレイバンの身支度を黙って手伝い、見送った。

クレイバンは身体検査を受けるためにグザール領へと旅立った。そこは故郷の村とは異なり、様々な露店や商店、飲食店が並び、多くの人々が行きかう、賑やかな街であった。

多彩な娯楽があり、同期の若者はそれらを楽しんでいたが、クレイバンはどうしても、そんな仲間たちと打ち解けなかった。

異性や酒におぼれ、賭けカードに興じる…そんな現実逃避によって、自分の決意が揺らぐのが、恐ろしかったからだ。

クレイバンは今日この日まで、必死に槍を鍛えた。一人でも多くの、敵を殺すために。

復讐。それが父の望みだと、自分に言い聞かせて。


「クレイバン、隊長舎に出頭しろ」

「えっ」

クレイバンが振り向くと、先輩であるグザール騎士がベッドの脇に立っていた。

「副団長が人事のことでお前に話があるそうだ」

「シミアス様がですか?」

「そうだ。昼食前に行ってこい。いいな」

先輩騎士は言うだけ言うとさっさと立ち去った。立ち上がるクレイバン。彼はすぐに隊長舎に向かう。そこは訓練場から少し離れた、接収した異民族の商人の屋敷であった。

シミアスはグザール騎士団の副団長の一人である。二階の執務室に案内され、クレイバンはシミアスと二人、向かい合う。

「君がクレイバンか」

「はい」

「新米でも優秀だと聞いているぞ。リーダーを任されているな」

「はい」

シミアスはクレイバンを立たせたまま、話始める。

「ところで…クレイバン、何か、私に報告することがあるか?」

「…報告、で、ございますか?」

心当たりはない。当然である。クレイバンは故郷を出てからほとんどの時間を訓練などに費やし、ずっと駐屯地内で起居しているのである。隠すようなことも何もない。騎士団は彼の状況を完全に把握していると言ってもよいほどだ。

「…心当たりはございません!副団長!」

「…そうだろうな」

シミアスは真顔で立ち上がる。その表情が、記憶をたどるように、考え込むように、しかめられた。

「ギャングがお前のことを、嗅ぎまわっているようだ」

「…ギャング?」

シミアスは頷く。

「クレイバン、君は、元はモンテス領の人間だそうだな?」

「…」

「なぜ、グザール騎士団に入団したのだ」

シミアスがクレイバンに近づいていく。シミアス副団長は、白髪をオールバックになでつけた目つきの鋭い男である。一見、痩せているようにも見えるが、その身体には剣術で鍛え上げられた筋肉が隠されている。

「私の質問について、筋の通った説明をできるかね?クレイバン」

クレイバンは沈黙してしまった。

シミアスはそんなクレイバンを、見つめる。副団長として周辺の人物から聞き及んだ限りでは、クレイバンという青年は不穏当な人物とは思えなかった。だからシミアスはクレイバンについて純粋に好奇心を抱いていた。

「…私の父は、モンテスの褒章騎士でした」

「ふむ」

「父は戦死し、私たち家族にはモンテス騎士団より、多額の見舞い金が支払われました。だから…」

「…だから、どうしたというのだ」

クレイバンは黙って立ち尽くす。シミアスが口を開いた。

「恥じるな、クレイバン。命を懸けた騎士に、君主が報いたという事だ。それが、忠誠というものだ」

シミアスはクレイバンに近づいていく。その肩をたたく。

「わかったよ。君がグザール騎士団に志願した理由が。そして、モンテス騎士が君を探していた理由がね」

「…モンテス騎士が、私を…?」

シミアスは頷く。

「ついてきたまえ。命令だ」

クレイバンは行先も告げられず、馬車に乗せられる。青年は巨大なグザール城に連行されていった。


道中、様々な思いがクレイバンの胸を去来する。

モンテス領の出身である自分が、グザール領の褒章騎士となったこと。これは領より出奔した、という罪に該当するのではないか。もしや自分は反逆者となるのだろうか。主君に背いた、という罪で…。

クレイバンは実は、モンテス騎士にはなりたくなかったのだ。

クレイバンの家族は、戦死した父の見舞金や恩給で、十分に暮らしていける。

そのために彼の家族は、周囲から羨望の眼差しを向けられるようになったのだ。その視線にいつしか、嫉妬、いわれなき恨みなど、負の感情が宿り始めた事にクレイバンの家族は気付いた。

馬車がとまり、クレイバンは城門前に降り立つ。門番の控室で、待たされる。

クレイバンは思う。俺も立派に戦死して、尊敬する父に会いたい。勇敢な騎士は、天上でマヌーサの英雄となるのだと、彼は心から信じている。

だから、旅に出る前に、母に詫びたのだ。そう、今生の別れはすでに告げてきた。


やがて青年は控室から門を抜けて、城内の一室へと案内された。

ノックとともに扉が空けられる。中に入るように促される。広い会議室に、一人、少年がたたずんでいる。

それはモンテス騎士の茶色い制服に身を包んだ、10歳くらいの少年であった。

少年の制服には大小さまざまな形の徽章が沢山、張り付いているため、まるで大人の格好をさせた子どものように、滑稽な印象を与える。だが、クレイバンは驚くと同時に、この奇妙な少年の正体にすぐに思い当たったのであった。

「クレイバンさんですね。初めまして」

クレイバンは敬礼する。少年の右胸に金色の上級士官の階級章が見えたからである。

「モンテス公ローリーと言います。あなたは、モンテス領境の大窪村のクレイバンさん、間違いないですね」

「そうです」

少年がにこやかに差し出した右手を、クレイバンはためらいがちに握り返した。

「さて、どこからお話すればよいのか…」

少年は微笑した。

「要件から言います。クレイバンさんは、本日付で部隊を移動することになりました。補給部隊として、軍隊を後方から支えてもらいます」

クレイバンは、戸惑う。

「ここ、グザール城を拠点として、働いてもらう事にしました。あなたは成績優秀という事でしたので」

「…」

「あなたの御父上、メーヤー氏も、非常に優秀な騎士でした」

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