「王国軍の編成は、首尾良く進んでいるようだな」
獅子公キマリーは、自身の腰ほどのローリーを見下ろして、言う。
「現在、予定の六割ほどの人員が、グザールと自由港湾都市に駐屯しています」
「すぐにでも攻撃が可能な規模だな」
「ええ、攻撃目標さえ、定まるのならば」
ローリーは意味深にキマリーを見上げた。
キマリーの部下数名と、参謀長であるローリーの間で、攻撃目標について未だ意見が相違していた。
ともあれ、二人の諸侯は、その事について議論しに来たわけではない。
ローリーとキマリーは別の要件で、ともにブレイク王国領を訪れていたのだった。
それは、王女アストレアの運営する工房で開発された、秘密兵器の視察のためであった。
秘密兵器とは、鉄製の大砲である。
ブレイク王国には、今日に至るまで大砲という兵器が存在しなかった。
火薬を用いる道具は武器を含め多く製造されていたものの、爆発力で砲弾を射出する兵器は未だ発明されていなかったのだ。
発明のきっかけは、異国から花火を射出する筒状の木製道具が輸入されたことである。
花火に興味を示したアストレアは、自身の工房でそれを研究していた。
すると、それに目を付けた彼女の叔父、王弟ギリアンは船を攻撃する道具として、その技術を転用することを思いつく。
王室領より依頼を受け、大砲の鋳造はキマリーの治めるクロイス領の技師も加わって開始された。クロイス領は鉄の産地であり、また鋳造に必要な木材も豊富な北西の領地である。
石の砲弾を射出する大砲という新兵器。それが実戦に耐えうるか、運用可能であるかどうか、キマリーとローリーは実験を見に訪れていた。
人を楽しませるための花火が、戦争の道具に転用されるなんて。
ローリーはアストレアの気持ちを考えると、どうにも気持ちが沈んでいく。このところ、ローリーの気持ちは沈みがちで、少年がかつてのような無邪気な笑顔を見せることはなくなっていた。
「ローリー様!」
キマリーと並び立つローリーの元に、アストレアがやってくる。
いつもの様に、作業着を着て、技師のように帽子をかぶっている。ブレイク王室の姫君には全く似つかわしくない格好である。しかしローリーは、そんな気取らないいつものアストレアの姿に少しだけ、心が軽くなるような気がした。
「アストレア様、お元気そうですね」
ローリーは寂しく笑った。
「ローリー様こそ。いつもイケメンですね」
帽子を取り、お辞儀するアストレア。
「私の道楽が、ローリー様のお役に立てるとは、嬉しい事ですよ」
姫君が笑う。彼女は妙にローリーを意識してしまい、そのまま黙ってしまう。
「…火薬を爆発させて、石を打ち出すなんて、聞いただけで、恐ろしいですね」
ローリーの不安げな言葉に、アストレアは頷く。
「なんとか真直ぐに石を射出するところまではできています。命中精度には、やや問題がありますね」
二人は、庭に並んで立った。
「重いので、運搬にも難があります。王弟様の言うように、船に搭載するのは、難しいと思いますよ」
大砲は車輪を備えているため、転がして運搬する。板状に加工された火薬をセットし、石弾を装填して点火、射出する仕組みである。
「敵を驚かすことくらいは、出来そうですね。いっそのこと…」
二人は庭に次々と運ばれてくる、大砲の試作品を見つめていた。
「花火でも打ち上げて…敵と仲直りパーティーでも、開いたらどうですかね」
アストレアは真顔で言う。ローリーは思わず笑った。
「素晴らしいアイディアです。王女様」
「…では作戦会議で、そのように進言してみてはいかがですか?」
「私の提案で、現在、和平交渉が並行して行われています。それが実りましたら、是非にでもそうしましょう」
王室領の広大な敷地の一部は狩猟場となっているが、今、大砲の実験が森に向かって行われるところであった。
「少し、大きな音がしますよ。ローリー様。耳を塞いで」
技師が火薬と石弾をセットし、狙いを定める。
一発、大砲が発射される。炎が吹き上がり、鉄製の筒が跳ね上がる。轟音。ローリーは想像以上の衝撃に身震いする。黒い煙が筒の中から噴き出す。
砲弾の軌跡は見えなかったが、遠くに土煙が上がった。アストレアの言う通り、真直ぐに飛ばすことが出来ている。
もう一発。すさまじい音だ。音の波が空気を震わせ、それは少年の身体を再度打つ。恐ろしい兵器であった。遠方の木に命中する。木の幹が破壊され、木は手前に倒れた。
「ああ、なんてことを…かわいそうなリスたち」
アストレアがため息とともに首を横に振り、目頭を押さえる。
砲弾は木製の的を大きく通り越して、森にまで届いていった。
ローリーはシステムを展開する。射出された砲弾の動きが、スローモーションでディスプレイに再生される。射線は放物線を描いていた。ローリーは大砲の原理を理解する。そして、巨大な目標、城壁などに対して特に有効な武器であると確信した。
「…この音、この威力。恐ろしい武器です。敵の戦意を削ぐには、十分であると思います」
アストレアは、ローリーを見つめる。
「アストレア様の花火を、このような兵器として使うなんて…私は、心が痛みます」
「ですね。でも…ローリー様、道具は使いようって、言うじゃないですか…」
アストレアはローリーを見つめる。
「ローリー様なら、きっと、うまく使ってくれます。きっと。お願いします」
キマリーが手をたたきながらやってくる。
「おお!素晴らしいではないか!これは使い物になるぞ」
獅子公はローリーとアストレアの前に立った。
「いかがかな?参謀長。これを軍で上手く使うことができるかね」
頷くローリー。
「…大まかですが原理を理解しました。大きく、頑丈な目標に対して有効な兵器です。うまく使えば、全く新しい戦術を生み出すことができるでしょう」
「ほうほう、つまり、何が言いたいのかね」
「ええ、つまり…大砲を使えば、戦争を有利に進めることができます」
キマリーが笑う。
「さすがだな。モンテスの神童!では、この大砲を勘定に入れて、攻撃目標を設定せよ。私はこれの増産と、砲兵の訓練を指示しよう」
彼は上機嫌で去っていった。
ローリーは思い出したように、アストレアに向き合う。
「そうだ…こんな場所で失礼ですが、実は、ピエールさんの事で」
「ピエールの…レライエさんと会ったんですね?ローリー様」
「ええ、そうなんです。実は…」
ローリーはアストレアに隠さず、語った。ピエールは実は貴族ではなかったこと。その身分はレライエが金で買ったこと。そして、王室領からの指示で、レライエがピエールの身柄を引き上げさせたこと。
しかし、ローリーはレライエの言葉全てを伝えることはしなかった。
つまり、ピエールが王室と近づきになるためにユスティアに接近したらしいという事。それに、レライエがピエールの人格までも掌握していること。などについて、語らなかった。
「…そうですか、そうですか。なるほどね。だとすれば、つじつまが合う気がします。ギリアン叔父様がピエールの影響を消すことに躍起になった理由が」
「ピエールさん本人に聞かなければ、本当のところはわかりませんけどね」
「…あの傍らの砂時計は、なぜ描かれたのでしょうね、それとも、深い意味はなかったのでしょうか」
ローリーは少し考えて、口を開く。
「あの絵には…あの筆使いには、モデルに対する愛情があったような気がしたんです…。ピエールさんは、もしかしたら、別れを予期していたのかもしれませんね」
「…」
「まるでガラスの中の砂が落ちていくように、短い時の中でしたが…お二人は…」
「ローリー様」
「すみません。第三者が、憶測でこんなことを言うべきではなかった。忘れてください」
ローリーは微笑を浮かべてアストレアの手を取る。不意にアストレアの胸が高鳴る。
「アストレア様。あなたの花火を、お借りしていきます。戦争なんかさっさと片づけてしまって、仲直りパーティーをこれで派手にやりましょう」
その時アストレアの傍らに召使いがやってきた。ブレイクの姫君には次の予定があったのだ。礼をして、その場を離れるアストレア。
何度も振り返る。そのたびに、少年は小さく手を振り返してきた。