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第79話 参謀長の辞令

かつてミッドランドの覇権をかけ争った、ブレイク王国と、インスール帝国。

昨今、再び二国間の軍事衝突が頻発するようになり、インスール帝国側から正式に宣戦布告がなされた。

そこでブレイク王国の最高意思決定機関、諸侯会議は、王国軍を組織してインスール帝国の前線基地に先制攻撃を仕掛けることを決定。

モンテス、グザールの騎士を中心に編成された王国軍は、ひとまずグザール領に駐屯することとなった。

そこは昨年、ローリーが総督を務めていた地域である。


モンテスの領主であるローリーの周辺はにわかに騒がしくなり、彼は第二の故郷ともいうべきグザールが戦場となるのではないかと危惧していた。

そんな折、ローリーに一通の書状が届けられる。

それはブレイク王室が、王国軍の参謀長にモンテス公ローリーを任ずるとの、辞令であった。

諸侯会議にて王国軍の編成を決定してからまだ間もない。突然、ローリーは王国軍の作戦行動を決定する立場へと担ぎ上げられたのだった。

ローリーは驚き、傍らの人物に辞令を手渡す。

少年の隣には、同じく諸侯である青年ユディスが座っている。ユディスもまた、驚きをもってそれを読んだ。

「ローリー様に、事前にご相談はなかったという事ですね?」

「ええ…そうです。突然のことに、驚いています」

確かに、モンテスかグザールの諸侯が王国軍の運用を決定する責任者としてふさわしいと、ユディスも思った。

しかし、諸侯になりたての九歳の少年を参謀長に任ずるなど、かなり思い切った人事である。

ユディスは考えた。これは獅子公キマリーが西側領の諸侯らを抱き込んで、決定したことなのではないかと。

つまり、王国軍運用の責任をローリーに負わせることで、司令官である自身の責任の軽減を図ったのではないか…と。

作戦行動がうまくいった場合、ローリーの後見的立場のキマリーは評価されることとなるし、逆に失敗となった場合、その責任は参謀長であるローリーがとらねばならないのではないか、ここまで想像をめぐらした。

だがユディスは自身の考えをローリーに伝えることは止めた。

「王国軍の運用については、やはり、モンテス公か、グザール公がふさわしく、適任であるとは思います。グザール公はこの事をご存じなのでしょうか」

「わかりません」

ユディスはローリーを見つめ、ため息をつく。

「これはローリー様に対する、期待の表れかもしれませんが…少々、乱暴な決定かもしれませんね」

「私とグザール公は、あの会議の席で、一度事が生じれば、戦い抜くつもりだと、表明してしまいましたからね」

ローリーは苦笑いを浮かべる。

「今更、手を引くわけにはいきません。それに…」

ローリーは少し、考えた。

「私は戦争状態をなるべく、長引かない方法で収束させたいのです。だとすれば、参謀長という身分は、私にとって都合がよい」

「ローリー様…」

ユディスは九歳になったばかりだという少年を驚きの目で見つめる。その空色の瞳には、自棄や諦観の色は全くない。あくまで、未来を見据えて、輝いているのだ。ユディスは改めて、ローリーの心の強さを知った。

「あなたのお仕事、お手伝いさせてください。モンテス公」

ユディスは皮の書類入れから、手紙を取り出す。

「インスールの医師に、手紙を書かせました。停戦交渉のきっかけになるはずです」

「なにか文面について手掛かりが得られたのですか?」

「ええ。バスチオンさんが言われるには、かつてモンテス領で信仰されていた神と、インスールの神の起源は同一であるとの事です」

「それは…マヌーサ教に信仰が統一されるずっと前のお話ですね!?」

「そうです。この手紙は、信仰対象が我々とインスールでは同じであるという点を、交渉のきっかけとしています」

「なるほど…!ありがとうございます、ユディス様。それは素晴らしい!うまくいきそうな気がします」

ユディスが作らせた和睦の手紙は、グザール領に近い、自由港湾都市より帝国に届けられることとなった。


一方、件の自由港湾都市は緊張状態にあった。

かつて自由港湾都市は権力の空白地帯であって、国の枠を超えて様々な人や物が交流していたが、戦争はその場所に、暗い影を落とした。

ブレイク王国軍が駐屯するにあたり、居住している異民族の強制移動や、迫害が開始されたためである。


最前線、グザール領と自由港湾都市の境にあたる地域では、王国軍の拠点づくりが急ピッチで進められていた。

工事責任者はシェルドン領の技術者ラーゲ。

司令官であるキマリーの命令の元、冒険団を使うなどして作業を進めている現場監督である。


その手法は異民族にとっては、残酷なものであった。

王国は居住していた異民族に僅かな猶予を与えたのち、住居を接収、または破壊するなどしていったのである。

ラーゲ監督は焦っていた。司令部より指示された期日に、拠点づくりが間に合わない可能性が高かったのである。さらに彼は、視察に訪れる参謀長に対応せねばならない。


ローリーの馬車が、昼過ぎにラーゲたちが起居する屋敷に到着した。

この屋敷も本来、インスールの商人が使用していたものを、王国が接収したものである。インスール帝国からやってきた人間の資産は、すべて奪い取られてしまったのである。


ローリーは現場に到着すると、すぐさま厳しい人道的状況を目にした。

王国軍進駐の情報が出回ってすぐに、自由港湾都市の異民族は移動を開始していたが、年取ったもの、見捨てられた子どもなど、自力で移動できない者たちは残されたまま、騎士達に殺されたり、一か所に集められて動物のように扱われていたのだった。

やせて、不潔なままの異民族の子どもたち。その瞳には生気がなく、地面にそのまま座り込んでいた。

ローリーはしばし茫然と、その景色を眺めていた。少年は覚醒の儀式で殺めてしまった、異民族の捕虜の哀れな姿を思い出していた。

だが彼は参謀長。王国のために戦うべき地位にある。つまり、ここに王国軍の兵たちを集め、訓練し、戦場に送り込む準備をしなければならない。

一方で、ここに取り残された異民族…自由港湾都市の人間達をどうすればよいのか、今初めて気づいたのであった。


「…ローリー様…いかがいたしましたか?」

建設責任者であるラーゲに話しかけられ、我に返る、ローリー。

「この者らは、自力では帰れぬ者たち、または住居を持たぬ者たちです。問題はございません」

「しかたありません。ならば、彼らを解放してやりましょう」

「解放?それは無理ですよ。歩けない者たちです。殺してしまいますか?」

「…」

「苦しませずに、死なせてやりましょう。どのみち、戦争が始まれば、彼らは飢えて死ぬ」

「そんな…子どもがいます…」

ラ―ゲは、ため息をつく。

王国軍の参謀長がこのように煮え切らない態度では、兵たちの士気を損なってしまうのではないかと、案じる。

一方のローリーはすぐに、責任者の内心を察した。

「では、ひとまず…彼らはここから移動させます!」

「一体、どこに移動させるのです?」

「…考えさせてください」

ラ―ゲは苛立つ。

「工期が迫っているんです。なるべく早く、工事に取り掛からなければ」

「…わかっています。仕事のお邪魔をして申し訳ないと思います」

ローリーは、柵の中に囲われて、こちらをじっと見つめる、異民族たちに近づいていく。ラ―ゲはその肩を掴んで止めた。

「ローリー様。危険です。言葉の通じない者たちです。無駄ですよ」

「彼らをグザールに、移動することはできますか?」

ラーゲは薄笑いを返す。

「手一杯です。誰に命じるのですか?」

「…」

ローリーは言葉を失ってしまった。ラーゲがため息をつく。

「…では、私が何とかしてみます」

「…お願いします」

ローリーは馬車に乗り込み、その場を去った。見送る、現場監督と冒険団たち。

ラーゲは舌打ちをする。隣の冒険者が尋ねる。

「こいつらをどうするんです?」

「仕方がないだろう。とりあえずこのままにしておいて、逃げ出すものがいれば捨て置け」

「殺しますか?」

「そうだな…ふん…そういう汚れ仕事は、全部他人任せなのだ。貴族連中はな」

それでいて感傷屋が多いと来ている。

まったく、罪作りな連中だよ。奴らが俺たちに人殺しをさせているというのに。そして死を嘆くのは、奴らの特権という訳だ。ラーゲは皮肉った笑みを浮かべる。

「さあ、かかろう。余り遅れると、俺の首が飛んでしまうんだ。こいつはぜんぜん比喩じゃないんだよ」

冒険団を多数引きつれたラーゲは、困惑するように、事務所に戻っていった。

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