「どうした!相棒!しっかりしろ!」
曲芸師は猿を抱えて、口をこじ開けるようにして介抱するが、猿は動かなかった。
誰かが、毒だと叫んだ。宴会の料理に、何者かが毒を仕込んでいたというのだろうか!?
騎士たちは皆立ち上がり、ローリーの周囲に参集する。
「ローリー様!お怪我は!?」
「だ、大丈夫です!」
突然の出来事に、ローリーは身体が動かない。…毒、まさか!?
ローリーは自分の手を見つめる。大皿に盛った一切れのリンゴに、毒が!?騎士たちがローリーの手を拭き清める。
ピクリとも動かない猿を抱いた曲芸師が、わめきながら騎士に連れられて退室する。もはや宴どころではなかった。
毒…モンテス城では、食品などに混入される毒については、特に厳しくチェックされているはずだ。
「皆さん、落ち着いてください!僕は大丈夫です」
ローリーが声を張り上げる。騎士たちが一斉に少年に注目した。そこに、慰労会の責任者である第一分団長ツバートが慌てて駆け寄る。
「ローリー様、とんだ不手際を…」
ツバートの苦々しい表情を見ていた、ローリーの頭に、あるひらめきが生じた。
少年の内に小さな違和感が積み重なり、それは一つの推測にまで達したのだった。
突然、駆けだすローリー。騎士たちは驚く。
「ローリー様!?いかがなさいましたか!」
「全員、ここで待機です!サンダー、レイザー!」
廊下を走るローリー。
城の外、馬車の待機場所に向かう。その後をローリーの護衛、サンダーとレイザーが追う。
曲芸師を乗せた馬車が、今、城を出発しようとしていた。周囲には何名かの騎士たちが立っている。まるで逃げ出すような、あまりにも急な出立だ。
ローリーの推測は、確信に変わりつつある。
「待ちなさい!そこの馬車!止まるのです!諸侯の命じです!」
サンダーがローリーを追い越し、剣を抜き、馬車の前に立ちふさがる。
「何をする!」
サンダーに詰め寄ったのは、第六分団の副分団長ケスト。最近入団したグザール貴族の若い男である。
そこにローリーが息を切らして到着する。
「あなたは確か、ケストさんですね…命令です。先ほどの曲芸師を連れ戻しなさい」
「ロ、ローリー様!?」
レイザーが馬車に乗り込む。中から曲芸師の男を連れて出てくる。曲芸師は白い袋を抱えて、黙っている。
「ローリー様…その…猿が、死んでしまったようなので…」
ケストが小さな声で、ローリーに告げる。その視線はせわしなく動き、動揺を隠せない様子であった。
「そうですね。実に素晴らしい演技でした」
ローリーがにこにこと笑う。
逃げ出そうとした曲芸師やケストら団員は、先の宴会場に連行されていった。
部屋に戻るなり、ローリーが大きな声で騎士達に告げる。
「皆さん、先ほどは、ごめんなさい。余興の一部だったんです。驚かせてしまいましたね」
サンダーに促され、曲芸師はテーブルに白い袋を置く。そして中から、ぐったりとして動かなくなった、猿を引き出す。
「さあ、起きておくれ。君は本当に、お利口さんだね」
猿は微動だにしない。そこでローリーは燭台からロウソクを取って、猿に近付ける。
「ごめんね、賢いお猿さん」
猿は火を近づけられると、驚いて飛び上がった!
キイキイと鳴きながら、曲芸師の腕にしがみつく。曲芸師は青くなって、一言も発することができない。
「どうです?皆さん、騙されたのではないでしょうか!?改めて、この小さな役者さんと、曲芸師の方に、拍手を!」
騎士達から拍手が起きる。
「モンテス騎士の日頃の働きに、感謝いたします。あなた方のおかげで、私はいつだって安心して職務に取り組むことができる」
ローリーは皆に語り掛ける。
「先ほどの危機対応も、見事でした!あなた方を試すような真似をして、申し訳なく思います」
ローリーが主賓席から頭を下げると、全員から再度、拍手が送られた。ローリーは笑顔で告げる。
「これで余興を終わります。今日はどうぞ、酒蔵が空になるまで楽しんでください」
もちろん、この騒ぎは余興などではない。猿が演技をしていることに気付いたローリーが、強引に収めてしまったのだ。
ややあって、少年諸侯は、騎士ケストを呼びつける。彼もまた、曲芸師と同じように青ざめて、一言も発しなかった。
「私を出し抜く事は、とても難しいことだと、わかってもらえましたか?ケストさん」
「…」
「本当の毒というものは、大抵の場合、もっとゆっくりと症状が現れるものなのです。逆に即効性のある毒は刺激が強いので、舌に触れたらそれとわかってしまう」
「…」
「それに私は、動物の心がわかるんですよ。ケストさん、あなたがあの曲芸師を手配して、芝居を仕込ませたのですか?」
「…ローリー様、お、お許しください…」
ローリーは座ったまま、うなだれて立ち尽くすケストを見つめた。
「ケストさん、こうしてお話しするのは、初めてですね。何とも、苦い自己紹介になってしまいました。私は確かに、九歳です。しかし、常人とは違う。それをお忘れになりませんよう」
若きモンテス公は、団員…いや、城内の人間、全ての顔や名前などを記憶しているといわれていた。グザール領から最近になってやってきたケストは、それを作り話だと思っていたのだ。
「誰の命令で、このような芝居を…?」
ケストは一言も発せず、その体は恐怖に震え始める。もはや立てなくなってしまったのだろうか。その場にひざをついてしまった。
「私は諸侯。騎士団を総覧するものです。つまりいうなれば…あなたをお預かりしている立場です」
青年は後悔と、恐怖を感じる。
「顔を上げてください、ケストさん」
見上げると、ローリーの顔からは先ほどまでの柔和な表情が消えていた。
「私はあなたを、家柄に応じて扱いますが…心してください。モンテスへの忠誠に陰りある者に、慈悲をかけることはしません。今は、騎士団にとって忙しい時期です。ですからこの真相は、私とあなただけの秘密にしておきましょう」
ローリーは立ち上がって、みなに挨拶する。騎士たちからローリーに拍手が送られる。酒を飲めないローリーは宴席を途中で抜けることが常であった。
その傍らに、ツバートが慌ててやってくる。ローリーとケストの会話を、聞いていたに違いない。
「ツバート分団長、的確な対応でした。なお、ケストの件は、あれで結構です」
「ローリー様…しかし…」
「問題ありません。私は全て、見通しています」
「…御意に」
「なかなか面白い余興でしたね」
ローリーはサンダーとレイザーを伴って、宴会場を後にした。
宴席での毒物騒動。ローリーはそれを余興という事で収めてしまった。
ローリーの推察は正しく、ケストに依頼された曲芸師は、猿とともに演技をしていたわけである。
ただ、それを本当に仕組んだのは誰なのか。それは依然、不明のままである。
口封じのためにケストの身に危険が及ぶ恐れがあった。よってローリーは彼を取り調べるようなことはせず、見張りを付しておき、あえて自身から遠ざけた。
騎士団長の後任人事が無関係とはいえないだろう。
ローリーは仮に、あの騒ぎが事件として処理されていた場合の、騎士団内の空気の流れを予想する。
当然、事件は警備などを請け負っていた、一分団の責任となる。
それは団長候補であるツバートにとって不利な材料だ。ウィリアムを団長に推す何者かが、仕組んだという事なのか。
確かに、ケストも、あの曲芸師も、グザール領の人間であって、二分団のほうがグザール騎士には友好的とされている。
…ミスリードに陥っている可能性もある。しかし、裏をかいたりせずに、推測は正しい手順で、一段づつ積み重ねる方が結果として近道である、とローリーは考える。
ローリーが椅子から立ち上がろうとしかけた時、執務室をノックするものがあった。
「どうぞ!」
第二分団長、ウィリアムがその巨躯をかがめるようにして、入室してきた。その貌は、いつになく険しい印象である。
「ウィリアム分団長、お務め、ご苦労様です。分団長に、相談があるんです」
ウィリアムは黙って、頷く。
「ヤグリス団長は、七月に団長を退任される予定です。そこで後任を誰にしようか、悩んでいるのです」
「…そういう事でしたら」
ウィリアムは静かに口を開く。
「ご相談は不要でございます。団長の選任は、諸侯の専権でございますから」
ローリーは苦笑した。確かにその通りではある。
「それはそうですが…」
「ローリー様のお気遣いは、かえって、騎士を迷わせる結果になりはしませんか」
ウィリアムはまっすぐにローリーを見つめる。ローリーは言葉を返すことが出来なかった。
「…不遜ながら、貴方様が幼き頃より、私はここモンテスにて忠誠を尽くしてまいりました」
「ええ、知っています」
「モンテス九世たるローリー様がお命じになれば、このウィリアム、たとえ死地とて喜び勇んで参ります」
騎士は、迷いなく言い放つ。
「ウィリアム。あなたの忠誠を疑うような発言、許してください。しかし…」
ローリーは毒物騒動の顛末を、ウィリアムに語ってよいものかどうか、逡巡した。
あれは、メッセージなのだ。決して許されない方法ではあったが。だが騎士は面と向かって主君に意見することはない。
だから、ローリーは知りたかった。騎士団員の本当の気持ちを。
その時、ウィリアムが口を開く。
「ケストは、何者かに唆されて、あのような芝居を仕組んだようです」
驚くべき発言であった。ローリーはハッと、眼前の騎士を見つめた。
「…お気づきになっていましたか」
ウィリアムは頷く。
「ですが我ら、ローリー様の御采配を、くじくような真似は、厳に慎んでおります」
「ありがとうございます、ウィリアム」
ウィリアムは目を伏せて、黙ってしまった。何か、伝えようとしている、そうローリーは感じて、沈黙した。
「…あのような茶番を仕組んだものは、おそらく、私を団長に担ぐために、ケストを唆したのではないでしょうか」
それは、ローリーの推測と同じであった。
「ですが、ローリー様。私はこれを、好都合ととらえます」
「それは…どういう、意味でしょうか」
「すでに戦争の準備が始まっております。次の団長は、戦争の責任を負う事となります」
ローリーは驚き、しかしウィリアムの言わんとすることを、すぐに察した。
「常勝を誇る、我らモンテス騎士団ではありますが、戦とは過酷なもの。不名誉もまた、付きまといます。モンテス騎士の…いえ、ブレイク騎士の行い、全ての責を誰かが負わねばなりますまい」
「ウィリアム分団長…」
「私がお引き受けいたします。全て。それが、私にできる、最後の奉公にございます。モンテス公」
ローリーは騎士の忠誠の深さを知った。
「私は正直、そこまで考え及びませんでした。ウィリアム分団長…あなたから学ぶことはまだまだ多い」
「ツバートは優秀な男です。団員から慕われ、しかも若い。これからの男なのです」
ウィリアムは目を閉じ、頭を下げた。
「…過言でした。お許しください」
「いえ、よくわかりました、ウィリアム。ありがとうございます」
二人は立ち上がる。
去り際に、ウィリアムが口を開いた。この男にしては珍しい。今日は何故だか、舌がなめらかなのである。
「先日、式典の帰りに、グザールの学校にて、サガンとよく似た男を、目にしました」
「…」
「だから、私は、考えたのです。去りゆく者の、務めについて」
ウィリアムは静かに、部屋を辞した。
数日後、モンテス騎士団の団長は、ウィリアムに決定する。
モンテス騎士団は、ブレイク王国軍編成のため、あわただしく動き始めた。