ヤグリスが騎士団長を退任する事が公とされた。
騎士団は、諸侯が直接その指揮下に置いている組織であり、ローリーは新たな団長を指名しなければならない。
考えられる団長候補は2名。第一分団長ツバートと、第二分団長ウィリアムである。
王室領から、ローリーを乗せた馬車がモンテス城に帰還する。その護衛を担っているのが、第二分団であり、ウィリアムは長年、その長を務めている。
第二分団はモンテス騎士団でも腕の立つ者で構成されており、ウィリアムはすでに四十代を迎えているが肉体の衰えを感じさせず、ブレイク最強の剣士として彼の名を挙げる団員も多かった。
ローリーは一階の城門に近い控室に入る。そこにフリージアがお茶を持ってきてくれた。
「お忙しいですね、ローリー様」
「ありがとう、フリージア!」
「ローリー様を待っていた人がいますよ」
部屋に騎士ブレーナーが入室してきた。
「ブレーナー!」
「ローリー様。久しぶりです」
二人は握手を交わす。ブレーナーは現在、モンテス騎士団の第四分団長に任ぜられていた。
「グザールにいたころを思い出しますね」
フリージアが笑う。ローリーも同じ気持ちだった。
「いやはや、俺たちは遠いところまで来てしまいましたね。モンテス公はお忙しいから、会うのも一苦労だ」
ブレーナーが皮肉っぽく笑う。それはローリーにとって、懐かしい顔だった。
「ブレーナーさんも、分団長になってから忙しいんでしょう?」
「そりゃあね。クビにならないように頑張ってますからね」
ブレーナーはローリーの横に腰かけた。
「少しいいですかね。ローリー様」
「うん、聞かせてくれないか」
ブレーナーは頷く。彼はローリーの命令を受けて、騎士団内の意識調査を行っていた。
つまり、次期団長を誰にするか、という問題についてである。
団長の選任は、諸侯の専権である。とはいうものの、やはり騎士団や、それを取り巻く状況に反した判断を行えば、軋轢が生じてしまうかもしれない。それを危惧したローリーは、決定を下す前に、周辺の人物の感情や思惑などを知りたいと願っていた。
ブレーナーは不思議な男である。
騎士たちの間では、遊び人として見下げられているような節もあるが、飄々として地位や名誉には執着がなく、だがそれでいて、まるでローリーを実の弟のように心配してくれているのだ。事実、ローリーは知らぬうちに何度か、ブレーナーの判断に助けられている。この男ならば、忌憚なく状況を語ってくれるだろうとローリーは考えていた。
フリージアは気を使って退室した。ブレーナーは小声で話し始める。
「およそ、ローリー様の想像の通りですがね。要は、ツバートとウィリアムで人気は二分されているというような印象です」
ローリーは頷く。
「ツバートは、やはり理性的で優秀な人物ですからね。仕事盛りで、人望、能力的には問題なしでしょう。しかし…」
ブレーナーは声を潜める。
「彼の家系は、宗教界とのつながりが深い。ルディン司祭とツバートは個人的な付き合いもある」
「なるほど、そうですね」
「で、もう一方のウィリアムですが…これが案外、色々な話が聞けましてね」
ブレーナーはニヤリと笑う。事情通と言ったような表情に、ローリーもつられて笑った。
「ヤグリス様が団長に就任されたとき、騎士団内部ではウィリアムを団長に推す声もあったようなんですね」
ローリーもハッと気づく。確かに、ウィリアムは騎士団でも重鎮である。
「ヤグリス様が団長になってしばらくして、ウィリアムの母上が無くなりまして。その時彼は、団長になれなかったことを、母の墓石を前に詫びたそうなんですよ」
「…そんなことが」
「しかしですね。ウィリアムと言えば、ご存じの通りヤグリス派の急先鋒でして…。そこがどうもね、わからないんですよ」
ブレーナーは腕を組んで、窓の外を見つめた。門の内側、敷地内を慌ただしく、馬車が行き来している。
「今、ウィリアムは次期団長についての話題にいわばかん口令を敷いて、自身ももちろん一言も発しないそうですよ。いかにも彼らしいじゃないですか」
ローリーは黙って頷く。
「グザール騎士との関係はどうなんですか?二人とも、うまくやって行けそうですか?」
「これは俺の意見ですがねえ」
「いいです。あなたの印象を、聞かせてください」
「そうですね…まあ、モンテス宗教界は昔から、グザール騎士を蛮族のように見ていますからね」
ブレーナーは笑う。
「司祭がバックについている、ツバートがうまく立ち回るかどうかは、疑問ですね。ただ、ウィリアムだって、いくらヤグリス派とはいえ、モンテス領の人間ですからね。結局のところ…今や騎士団の半分近くはグザールの人間ですから。どちらでも、問題はないと、俺は思いますね」
ブレーナーは立ち上がった。
「人目に付きますので、俺は戻ります。ローリー様、お元気で。いつでも呼んでください」
ローリーは立ち上がる。再び二人は握手を交わした。
「ブレーナー。自分をお大事に。あっ、賭け事は、ほどほどですよ」
ブレーナーはため息をつく。
「ローリー様、あの時、言ったじゃないですか。ギャンブルはもう、こりごりだって」
去り際に振り返る。その顔には、いつもの皮肉っぽい笑みが浮かんでいる。
「モンテスの神童と一緒なら、話は別なんですがねえ」
団長の後継争いは、水面下で進行している様であった。モンテスという巨大な権力集団の中でも、やはり騎士団長という地位は格別であり、大きな発言力を有するのである。
そんな状況の中、事件が起きる。非公式行事である騎士団の慰労会、その席での出来事だった。
グザール領で行われた騎士団の総覧行事。モンテス騎士たちも招待されており、式典は滞りなく済んだ。そのためローリーは皆を労うために酒席を計画し、第一分団が慰労会を企画し、実行していた。騎士団の会議室は飾り付けられ、そこに中堅幹部や若手の騎士を中心に酒宴が始まっていた。
グザール領から様々な芸人が呼ばれ、音楽、踊りなどの余興が披露される。
そんな中、小型の猿を連れた曲芸師が、挨拶をしながら席を回って酌をしていた。
異国の樹上に生息する珍しい白い猿である。曲芸師の身体を自由自在に駆け回り、拍手、お辞儀などを人間そっくりに行う。
「こいつはいい!うちの団員にしたいくらいだ!」
騎士たちは大きな笑い声を立てる。
ローリーは長テーブルの端、上座に腰かけて、盛り上がる騎士達をほほえましく見ていた。
もちろん九歳になったばかりのローリーは酒を飲まない。酒席は前モンテス公の時代では考えられないような、無礼講の様相を呈していたが、若き領主は仲間が打ち解けている証拠だと、喜びを感じていた。
さて猿はローリーの前までやって来て、早い動きでお辞儀のまねごとをする。ローリーはこの小さな獣の賢さに驚いた。
「お利口だね。フルーツをあげても、いいですか?」
曲芸師が笑顔で頷く。ローリーがリンゴの大皿から、一切れ取って猿に与えると、猿はパッと奪い取るようにリンゴを食べ始める。ローリーは驚いて手をひっこめるが、笑う。
「モンテス公様、直々にご褒美を頂き、恐悦の至り!」
曲芸師は大げさにお辞儀をすると、猿に寄っていく。
その時だった、猿の様子に異変が生じたのである。
何か、苦しむように、腹をおさえている。曲芸師のほうに這うように歩いていき、ぱったりと倒れてしまった。
「…!?」
「これは…!?」
「毒だ!毒物だ!」
誰かが叫んだ。室内は騒然となる。曲芸師がわめいた。
…毒だって!?