初めての諸侯会議の後、ローリーはブレイク王室領と隣り合う、メディナ領を訪れた。メディナの富豪、レライエ女史との面会を求めての事である。
国葬で飾られていたモンテス八世の肖像。それを手配したのが、レライエである。
彼女は未婚の中年女性。元は画家であったが、修業中に顔料を得る目的で交易をおこない、その商才を開花させた。彼女はたった一代でその財産を築きあげたのだった。
鋭い審美眼を持ち、彼女のサロンには優秀な画家、芸術家が集い、支援を受けている。
その巨大な屋敷には貴族が頻繁に出入りをして、美術品を購入したり、画家を紹介してもらうなどしている。
ブレイク王国では、新たな制度の下で株式会社が興ったばかりであり、今後はますます海外からの材料や美術品の売買が盛んになっていくだろう。レライエはその資金力で、西部海商株式会社という巨大な交易集団を牛耳っていた。
レライエは長い黒髪に黒いドレスをまとっており、その姿はまるで羽を休めた大きなカラスのようであった。一方でわずかにのぞく肌は透き通るように白く、その鮮烈なコントラストは不思議と老いを感じにくくさせ、妖しい印象さえ与えていた。
レライエの表情は穏やかであったが、その瞳は、どこか対面するものに緊張を強いるような鋭さを有している。
ローリーはにこやかに会釈する。
「お会いできて光栄です。レライエ女史」
レライエも笑みを返す。
「私もですよ。モンテス公。先代の御尊影の完成度には、納得していただけたかしら」
「ええ、それはもちろんです」
ここは諸侯の邸宅の様に豪奢な屋敷である。招かれたローリーと、レライエは庭を見下ろす二階の客室で二人きり、面会していた。
「レライエさんは、芸術を奨励なさっていますが、ご自身も絵を描かれるのだとか」
「そうです。メディナでは医学のみならず、芸術も盛んですからね」
レライエの側にメイドがやってくると、主人の命じを受けて、退室する。
「私自身、若いころは金銭面で苦労しましてね。だから、若い才能が経済的な理由で埋もれていくのは、もったいないことだと思っております」
「実は私も、初めて領地経営に携わった時には借金に苦しみました」
ローリーは笑った。
「だからレライエさんの様に、資産を投じて社会貢献してくださる方には、頭が上がらないんです」
給仕が入室し、二人分のティーセットをテーブルに広げていく。
「どんな方か、ずっと気になっておりましたの。モンテス公の御子息で、神童と呼ばれていた若き領主とは。どんな方なのか」
レライエはローリーを見つめて言う。
「私は、女。そして政治的地位もございません。ですが、この国の文化を奨励するものとして、責任を感じておりますの」
ローリーはにこやかに頷く。
「つまり、僭越ながらブレイク王国の文化人を代表して、芸術界の意見を集約し、この良き治世に役立てるために、諸侯様にご意見を述べさせていただきたいと思っていますわ」
レライエはその顔に微笑を湛えている。ローリーは頷いた。二人はティーカップに口を付ける。ちょうどよい温かさのハーブティーであった。
「レライエさんは、ユディス殿下とも、よくこうしてお会いになるのですか」
「いえ。ユディス様はお忙しいようで、私のお誘いをお受けになりませんの」
「そうですか」
ローリーはレライエがどのような人物であるのか、未だ測りかねていた。
しかし、要件の一つである若き画家ピエールの件…そう、ユスティア姫の恋人であったピエールに何が起きたのか、思い切って聞きだすことにした。
「ところで、私の父の肖像を手掛けてくださったピエールさんですが、素晴らしい才能をお持ちですね。お聞きしたところによると、かつては宮廷画家でいらっしゃったとか。先日、ユスティア姫とお会いする機会がありまして…」
レライエは先を促すように、ローリーを見つめ、頷く。
「ピエールさんの事を、色々と、聞かせていただきますか」
「ええ、ローリー様が望むのであれば。…それとも貴方は、そのようにユスティア様に頼まれたのかしら」
「…正直に申し上げますと、そうです。私は、ピエールが王宮を去った理由を知りたいと、ユスティアさんに頼まれたのです」
「正直な御方ね。モンテス公。私、こう見えてかけ引きというものは苦手なんですよ。かけ引きには、うんざりです」
レライエは笑った。静かに語り始める。
「ピエールは私が見出した才能の中でも、傑出した存在でした。もともと、シュペンの港町で荷運びをやっていた少年なのです」
「そうだったんですね」
「私のサロンに腕の良い画家がおりましてね。その者に弟子入りさせて、すぐに才能が開花しましたよ。あれは天性のものですね」
ローリーも納得したようにうなずく。
「では、ローリー様だけには、秘密を打ち明けますわ」
「…秘密、ですか」
「そうです」
レライエはローリーに笑みを投げかけた。
「私はあれに、芸術家として…いえ、その才能にふさわしい社会的地位を与えてやろうと思いました。そこで、跡継ぎのいない貴族と、ピエールの間を取り持ってやったのですよ」
しばしの沈黙。
「それは、どういう意味でしょうか、レライエ女史」
「…お察しくださいな。ピエールは私の力で、実力のみならず、貴族としての家柄をも手に入れた、という事ですよ。少なくとも、うわべではね」
レライエは怪しい笑みを浮かべている。
ローリーにはその意味がわかった。彼はあえて、レライエに質問を投げかけたのだ。
つまり、名無き家の生まれであったピエールは、金で貴族としての身分を買ったのだ。
レライエがそこまでピエールを支援する真意は不明であったが、そのような事情を察した王室は、ピエールとユスティアの関係を許さなかったのではないだろうか…。ローリーはそこまで人間関係を読み込んだ。
「お優しいのですね。レライエさんは。ピエールさんは貴方をして、そこまでさせる、才能をお持ちなのですね」
「ほんのひよっこですよ」
レライエはローリーを見つめる目を細めた。
「九歳であられるというモンテス公を前に、このように申し上げるのはおかしなことですね。確かに、ピエールの筆致には迫真性があります。天性のものを感じます。でもやはり、あれは未熟です」
「ピエールさんはあなたには頭が上がらないでしょう」
レライエは微笑んだ。
「内密の話まで聞かせていただき。ありがとうございます。しかし、困りました。これでは、ユスティア姫に、なんと伝えればよいのやら」
ローリーは微笑み、続けた。
「私は、ピエールさんの事を知りたかっただけです。ユスティア姫は、私の大切な友人ですから。あくまで個人的な興味を抱いただけです」
二人はしばらく見つめあっていたが、やがてレライエから口を開いた。
「ローリー様は、男女の事をどこまでご存じなの?」
「と、言いますと…」
「ピエールはユスティアを利用しようとしていたにすぎません」
「…どういう事でしょうか」
「ユスティアと結婚する事が出来れば、彼にはブレイク王室の後ろ盾が付くという事です。違いますか」
そう語る、レライエの瞳には冷たい光が宿っていた。
「しかし、ユスティアは本気でピエールに恋してしまった。そういう事ですよ」
「…」
「他愛のない話です」
「でも…本当のところは、ピエールさんに聞いてみなければわからない事ではありませんか?」
「ええ、ですが、私は知っていますよ。あれの考えていることはね。だって、所有者は自分の財産を完全に掌握していてこそ、ですからね」
ローリーはレライエの言うことの意味が、はっきりと分かりかねた。
「あれは、私に嘘をつくことはできません。あれを所有しているのは私ですから。ピエールの件で、王室からお叱りを受けましてね。私の方で、引き上げさせたのですよ」
レライエは視線を外すと、嘆息した。
「あれは、自分の立場も忘れ、さかりのついた犬のように…愚かしい子です」
レライエは、ピエールを自分の所有物のように考えているという事か。まるで、捨て犬を拾って、世話するかのように。ローリーにはレライエの真意がわからなかった。
「ユスティア様と、ピエールさんは、真摯にお付き合いしていたのではないのですか?」
「あれは私のもの。勝手な真似は、許されないことです」
ローリーはレライエの冷たい物言いに、驚く。
「…そんな…確かに、ピエールさんはあなたに大きなご恩があるでしょう。しかし、だからと言って…ピエールさんの気持ちまで全て、貴女が支配するなんて。それではまるで、奴隷ではないですか」
「その通り。奴隷です」
レライエはあざ笑った。冷めた笑いだった。
「しかし、この帰結は、モンテスの守る法の帰結ではありませんか?債務を負った者に返済能力がなければ、債権者の奴隷になる。違いますか?」
レライエの顔には冷たい笑いが残ったままである。
「少なくとも、あなたのお父様、モンテス八世はその様なやり方で、影響力を広げていったのです。そうでしょう?」
ローリーは黙ってしまった。これは決してレライエの妄言ではない。確かに父は、恐れられていた。だがその事をローリーに面と向かって言うものは、今まで誰もいなかったのだ。
レライエは先にこう述べた。私には政治的な地位はない、と。そして二人は、年の離れた異性同士である。そういう事情が相まって、密室においてこのような、立ち入った話が交わされたのだろうか。平素は憚られるような会話が。
レライエの真意は?ローリーはじっと、レライエを見つめる事しかできなかった。
「…ごめんなさいね、ローリー。つい、おしゃべりがすぎましたわ。貴方に見つめられると、嘘がつけないような気がして」
「いえ、レライエさんの素直なお気持ちが聴けて、良かったです」
ローリーは立ち上がった。レライエに寄って行って、敬礼をする。
「ローリー様、私にあなたのお気持ちを、くださいな」
レライエが差し出した手の甲に、ローリーは口づけをした。部屋を辞する、ローリー。
馬車に乗り込んだ少年は考えていた。ユスティア姫に、ピエールの事を、どのように伝えたらよいのかと。だがローリーの心の中に、レライエの冷たい笑みがよみがえり、考えは妨げられ、まとまらなかった。