ローリーを自室に招いたユディスは、メディナ領の秘密を明かした。
実はメディナ領には政情不安から亡命を希望してきた敵国インスールの知識人が多数身を寄せているのだ。
だがしかし、ともすればブレイク王国にとって利益相反となるような若き諸侯らの密談は、議長キマリーに聞かれてしまったのだった。
「モンテス公。君の若さと、現実主義には驚かされたよ。戦場を経験した者だけがもつ、現実主義だ」
キマリーはリラックスした様子で、並び立つローリーらを見つめて語る。
「貴公の言う通りだ。戦争は、終わりを見据えねばならん。そうしなければ、必ず、敗北する」
キマリーはその威容から獅子公と称された男であり、座って二人を見上げるその姿ですら、圧を放っている様であった。
「やむにやまれずして戦わなければ、勝利というものはない」
ローリーには未だ、キマリーの真意が見えない。ユディスに促され、3名は小さな丸テーブルを囲んだ。
「一つ、アドバイスさせて頂こう」
ユディスはため息をついて、ローリーを見やった。その表情からはすでに、緊張が拭い去られている。脅かすようなやり方に、ユディスは不満顔であったが、これがクロイス流の会話術というものなのだろう。ローリーもリラックスし、キマリーに向き合う。
「若きモンテス公よ。諸侯会議は、理想を語る場ではない。巨大なブレイク王国の実行力、それを如何に行使するかを、決定する場である」
ローリーはその言葉を、ありのままに受け止め、頷く。
「諸侯会議は君の言う領民…国民のためにあるわけではない。国家の存続のためにある」
領民なくして国家はないはずだ…ローリーはキマリーの言葉全てに賛同できなかったが、黙っていた。
「理想はその胸にだけ、しまっておくのだ。代わりに、説得してみよ。他の諸侯を。モンテス公、君ならやってのけるだろう」
キマリーは立ち上がる。
「ご忠告、ありがとうございます。クロイス公」
去り際、振り返って若き諸侯に意味深な笑みを投げかける。
「バルカスを言い負かした神童。ようやくお目にかかれたな」
バルカス…それはかつてバスチオン裁判でローリーと直接対決した、王国追及者の青年の名である。
「バルカスは我が不肖の息子である。貴公に敗北してからというもの、心機一転、今は基礎から法を学んでいるよ」
ローリーは驚き、あいまいな笑みをキマリーに、返す。
戦争を回避する。ローリーはそれを使命として、モンテスを発った。
しかし、すでにインスール帝国は宣戦布告の上で、ステフォン領に侵攻している。そう、すでにブレイク王国は戦争状態にあるのだ。
理想を語るのではなく、他の諸侯を説得して見せろ…キマリーの言葉が、ローリーの心に残響していた。
理想論、か…でも、戦争の弊害を語ることは、理想論なんかじゃないはずだ。
僕は戦争という決定に付随する、大きなリスクを諸侯全員に、わかってもらいたかったんだ。リスクを、過小評価してはならない。
しかし、現在の状況ではローリーの言葉は…少なくともキマリーの耳には…地に足の着いた議論の端緒には、ならなかったのだろう。
ローリーは問題解決の糸口をつかまんとするため、少し視点を引くこととする。
仮に、これが領内の争いであったならどうだろう…おそらく法律によって争いは処断され、解決を図ることになる。それはブレイク王国内であれば当然の帰結である。
しかし、当然、国家間の争いを処断するような大きな法はない。
法律が無い場合…法律に拠らない争いの解決手段。それは何か。
それは、モンテスでは合意による契約である。
そう、やはり合意が出発点なのだ。
国家間の停戦の合意。それが、戦争を止める最善の手段。ローリーは自身の考えを強固にする。
侵攻してくる軍を迎え撃ちながら、粘り強く交渉する。それが僕の提示するやり方だ…これが皆のため、僕が守らなければならない、最後の一線なんだ。
説得しなければならない。諸侯を。このブレイクという国、全体を。
キマリーは言っていた。僕ならやれると。
やるしかない。
今日この日、僕がしくじってしまったら…多分、後悔は一生続く。
「そのような弱腰で、戦争を終結させられるとお思いか?ブレイク王国はミッドランドの覇者。敵対するものに慈悲を与えてはならぬ。徹底的につぶす。恐怖を敵の心に深く刻まなければならない!」
会議は再開したが、先制攻撃の在り方について、結局、ブレイク王国の意見は東西で分かたれた結果となった。
「ならば絶滅戦争を行えという事かね?」
グザール公が冷ややかに応じた。
「それは相手次第だよ。少なくとも、敵国の攻撃力、すべてを無力化する必要がある。違うかね」
「だが追い詰められたネズミは、猫を噛むこともある」
「私も、あくまで、合意停戦の道を残しておくべきと考えます。ミッドランドの大国同士が衝突することの危険について、少し、考えてみませんか」
「モンテス公。その様に弱腰な態度は、必ずや敵を増長させ、いたずらに戦を長引かせ、結果として、あなたの案ずる領民を苦しめる結果となりますぞ!」
叱責されローリーは押し黙ってしまった。
少年はかつて、王道を歩むと誓った。徳をもって、人と人をつなぐのだと。
だがそのあり方は、他者理解を本質とする。
他者を巻き込んで己の道を行く、推進力…強い意思、強固なエゴの力とは異なるものである。
つまり、ローリーには相対するものに自身の意見を通すという経験が、圧倒的に不足していた。
苦戦するローリーを横目に、ハインスが挙手した。キマリーは発言を許可する。
ハインスは執事長とは言え、老齢の前グザール公に代わり会議に出席し、幾度も発言してきた。この場の諸侯、全員がハインスをよく知っている。
「モンテス公、ローリー様は、グザール領でも最も治安の乱れた管区を治められていた」
ハインスはローリーを引き合いに出して語り始める。
「モンテスの貴族は八歳になれば須らく騎士。つまり、八歳の少年であってさえ童貞を捨て去る」
これは、人命を奪う、という事を意味していた。
「ローリー様はお姿こそ、ある種の幼さを感じさせるが、犯罪者の処刑を直接執り行われるほか、襲撃者を自ら退けてもいる。命のやり取りに関しては、このお歳で、よく理解されているのです」
諸侯らは黙って、ハインスの発言に耳を傾ける。
「我らグザールの民も同じ。ひとたび剣を取れば、対峙するものどちらかが地に伏すまで、戦う。我々、東部の騎士には、覚悟がある。いわんや、諸侯であるローリー様のお覚悟こそ、私には計り知れぬものがある」
グザール公もまた、首肯する。
「だからこそ、落としどころが必須となります。我々は、ブレイクの盾を自認するものである。しかし、インスールの異教徒を、非戦闘員まで含め一人残らず殲滅するなどという、大それたことは考えておりません」
グザール公マイネンも発言した。
「ハインスの言うとおりだ。ローリー殿は我らと同じく、覚悟を決めている。我らとモンテス、一度剣を手に取れば、最後の最後まで戦い抜く覚悟を持っている。だからこそ、戦いの終わりもまた、見据えておられるのだ」
ステフォン公ムールも、賛同する。
「モンテス公は先制攻撃を否定してはおられぬ。弱腰などという批判は、的外れも甚だしい!」
会議室につかの間の静寂が訪れる。敵国と接している東部の領全てが、少年諸侯に賛同したのだ。もはや異議を挟む者もなく、議長キマリーは黙って首肯した。
結局、先制攻撃の目標をどこにするかは情報収集の後に決定する事。そしてインスール帝国との交渉を継続することに関して、諸侯たちの意見は一致したのであった。
まさか諸侯に就任してすぐに、インスールとの戦争問題が噴出する事になろうとは。
ローリーは自分の運命を呪いたくなるが、すべては神の計らいと、自身を納得させる。少年の胸の内にある信仰の光。それは諸侯となった今になって一層、輝きを増したのだった。