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第71話 諸侯会議

5月、ローリーが諸侯となって、初めての夏が訪れようとしていた。

正装に身を包んで、馬車を待つローリー。やはり緊張しているように思える。

僅か一年にも満たぬ短い時間の中で、ローリーは急速にその政治的な地位を上昇させた。

かつて…騎士資格を疑われ居城から逃げるように旅立っていった少年。それが今やモンテス領を掌握する主として、王室領に出発しようとしている。

時の流れの、なんと早いことか。

過去に思いをはせるローリーの元に、騎士が駆け寄り一通の手紙を渡す。

それはグザール領で学校を運営している友人、アムリータからの手紙であった。

アムリータは字が書けないはずであるが、どうやらサガンの助けで手紙を完成させたらしい。ローリーへの日頃の礼と、職員としてサガンを紹介してくれたことへの感謝が、彼女らしい丁寧な字でしたためられてあった。

手紙を読み終えたローリー。優しくチョッキの内ポケットに仕舞う。

少年の傍らに、護衛の責任者である分団長ウィリアムがやってくる。

「陛下、よろしいですか。どうぞ」

「ありがとうございます。行ってきます」

整列したモンテス騎士たちが道を作ると、ローリーはその中を歩んでいく。

皆、まっすぐに前を見つめ、微動だにしない。その忠誠はピンと伸ばした指先にまで宿っている。

ローリーは騎士、その一人一人に、目で礼をする。そのたびに、少年の意識が研ぎ澄まされていく。

もし、自分が道を過つならば、皆が、それに従ってしまう。少年はモンテス領民を率いる、諸侯としてのプレッシャーを感じていた。


場所は変わり、ブレイク王国の北東、ステフォン領。その諸侯ムールの元にも手紙が届けられていた。しかしそれは、異国の文字で書かれた奇妙な手紙である。

現在、ブレイク王国と敵対している、インスール帝国の文字でしたためられた手紙だった。

インスール特有の褐色の紙に、三行ほどの文字が書かれており、大型の四角い印影も備えた、公文書のようである。

翻訳するとそれは次のような内容であった。


「インスール帝国の主権は、新たな皇帝ヌヤンカに移った。ヌヤンカ皇帝は改めて、ブレイク王国に宣戦布告する」


すでにブレイク王国とインスール帝国の正式な外交ルートは絶えて久しく、代わりにグザール領の端や、ミッドランド周辺の島しょなどで両国は散発的に軍事衝突を繰り返していた。

ステフォン領もまた、平原地帯を隔ててインスールと接しており、ローリーら竜討伐隊がインスールの偵察部隊と戦闘になったことは、記憶に新しい。

そこで、ローリーが初めて出席する諸侯会議では、戦争状態にあるインスール帝国にどのように対処していくかが、主な議題として論じられる予定なのである。


今回の諸侯会議はブレイク王室領にある、塔を備えた砦で行われる。

そこには諸侯が到着する前から、外交官を任じられた官僚が、すでに事前の打ち合わせを行っていた。このところ、会議は円滑に進んでいたが、今回の議題は各領地に大きな影響を及ぼすため、長期にわたることが予想されていた。


ローリーは王室領の砦に到着すると、モンテスの外交官を束ねる責任者へディオンから、打ち合わせの状況について報告を受ける。

宣戦布告してきたインスールに対し、先制攻撃に出るのか、それとも外交努力を続けるべきか、ブレイク王国の意見が真っ二つに割れて議論は紛糾しているとの事であった。

へディオンは外交官特有の白いスーツを着た五十代の男性。元は騎士見習いであったが、律法学者となり、書記官僚に任じられたという異色の経歴を持つ貴族である。柔和だが交渉ごとにおいては粘り強く、モンテス八世の信頼も厚かった男である。

へディオンは両脇に書記官と、文書管理官の二名を連れ立っていた。

モンテス家に割り当てられた一室にて、ローリーはへディオンから議論の状況を聞く。

「陛下、先に申し上げた通り、先制攻撃の是非について、ブレイク東部と西部で、意見が真っ二つに割れている状況でございます」

へディオンはローリーにすぐさま切り出す。

「西部の領は、先制攻撃すべしとの見解で意見がそろっています。交易を行っている領は、おそらくインスールの海洋進出をけん制するために、そのような主張を」

「そうですか…」

一方、ブレイク王国の東側の領…つまりローリーの収めるモンテス領と、同盟関係にあるグザール、ステフォンは、インスール帝国と隣接している領である。攻撃の準備を行う必要があるし、領内が戦場になる危険を背負っている。当然、ローリーとしては戦争は避けたいとの考えである。

「ただ、のんびり構えられぬ、事情が発生しております」

「なんでしょう」

「実は、ここのところ、ステフォン領の境でインスール軍との戦闘が頻発しているのです」

ローリーは、アンドラスらと力を合わせて切り抜けた、先のインスール斥候との戦闘を思い起こした。

「では、ステフォン公ムール様は、どのような対応を?」

「騎士を集め、インスールの拠点に攻撃を仕掛けるおつもりのようで」

「そうですか…」

ステフォン領は、軍馬を多く産出する地域である。この時代、軍馬失くして戦いに勝利することはできない。仮にステフォンが戦場となれば、ブレイク王国軍にとって相当な痛手となる。

「ステフォンがそのような心づもりであれば、ブレイクの大勢は、先制攻撃を支持しているとみてよいと?」

「その通りです。陛下」

ローリーは思案した。モンテス、グザール、ステフォン、このまま時の流れに任せれば、東部のいずれかの領が戦場となる事は、間違いなさそうであった。

「ヘディオン殿。仮に、ブレイク王国軍を組織して本格的な軍事行動が始まった場合、各領地からの支援はどの程度、見込めるのでしょうか」

ヘディオンは腕を組み、黙って目を伏せた。

「…未だわかりません」

あくまで客観的な立場で発言し、軽率に見込みを伝えることはしない。それはヘディオンの外交官としての美点である。

ローリーも黙り込んでしまった。だが、戦争…それは絶対に避けたい事態であった。

もちろん、九歳の少年は、戦争というものの全容をとらえてはいない。

しかし、戦争が領民にどのような影響を与えるのか、この若き諸侯はグザールでの経験を通して、少なからず知っているつもりである。

戦争は人心を荒廃させ、文化を破壊し、生活の糧を奪う。それだけではない。戦争で真っ先に苦しみ、死んでいくのは、兵士ではなく、力のない年寄りや、子どもたちなのだ。そうだとすれば、ローリーがグザールで一生懸命に進めてきた事業すべてが、台無しになってしまう。

しかし一方で、現にステフォン領は攻撃を受けている。しかも、ステフォンはモンテスにとって、いや、ブレイクにとって軍事上、重要な地域である。

今や看過することも、逃げ出すこともできない。

「ヘディオン、ご苦労様でした。確かにこれは、一筋縄ではいかない問題のようですね。夕食の後、あなたの考えも含めて、お話を聞かせてください」

「もちろんです、陛下」


ローリーが砦に到着して、次の日の正午、ついにミッドランドの覇者たるブレイク王国の諸侯が一堂に会した。

モンテス公、ローリー。グザール公、マイネン。そしてステフォン公、ムール。この三名は面識もあり、強固な同盟関係で結ばれている。

さらに、メディナ公であるユディス。ローリーの父、モンテス八世を看取った、医者でもある好青年である。

その他、ワインの名産地であるコルトン、造船が盛んで港を多く有するシュペン、などから計8名の諸侯本人が集結した。

これは非常に珍しい事態であり、今回の議題が国家にとっての重要事項であることの証左と言える。

会議室に指定された空間は、もとは室内訓練場であり、参加者約100名を優に収容可能である。各領地の高位の官僚や騎士が集まる様に、さすがのローリーも緊張する。

議事進行は持ち回りの議長が行うしきたりである。今回はクロイス公、キマリーが担当している。

キマリーはブラウンの髪に、豊かな髭をたくわえた偉丈夫であり、ブレイク王国軍の総司令官を務めたこともある人物である。自信に満ち威圧感のあるその容貌から、獅子公とも呼ばれる男であった。

キマリーは全員が席に納まったころを見計らって、まずはローリーに自己紹介を促す。諸侯としてはあまりに幼いその外見に、出席者たちは驚きを隠さなかった。

「ご存じローリー殿はモンテスでは神童と呼ばれていたお方でしてな」

キマリーは自己紹介を終えたローリーを見ながら続ける。

「裁判で弁護人を務めるほどの切れ者です。各々方、この見た目に、ご油断召されるな」

会議室に失笑が漏れる。

「失敬。余計なことを申し上げた。それでは、始めよう。ご起立を」

全員、席を立つ。

「女神に黙礼を。ブレイク王国に、栄光のあらん事を!」

全員、胸に手を当て、しばしの祈り。着席。

会議が始まる。

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