ゾーガンの部下たちは驚きに固まってしまった。
突然、アンドラスに渡された麻薬入りの盃が、石で打たれたかのように粉々に砕け散ってしまったのだ!
さらにはいつの間にか、部屋に入り込んでいた、見知らぬ男性。まるで貴族の屋敷にいるような、執事風の、初老の紳士である。
この男の仕業だというのか。
その時、オルガナが弾かれたように立ち上がる。後方の手下の腕をねじり上げ、首筋を掴むと椅子に叩きつける。
「お触りのお代さ。高くついたねえ!」
ゾーガンが呻く。
「クソっ!こいつらを黙らせろ!」
海賊たちは各々短刀を抜く。出口から2名、武装した男が入室してくる。ゾーガンがテーブルを蹴倒すと、アンドラスらは部屋の中央に包囲された。
「生きていても、死んでいても、人質は人質だ!」
「ボス。やっちまって、いいんですね?」
「…かまわん。生きて返すな!」
海賊たちは皆、短刀を手ににじり寄る。オルガナは拳を顔の前で構えると、前に出た。それを、手で制したのは先ほど現れた、黒スーツの男だった。
「一体、どうしたんです?落ち着いて」
可笑しそうに笑う。全ての視線が謎の紳士に集まる。
「皆さん、手に蛇を持っているじゃないですか!?ほら、よく見て!」
溌溂として、よく通る声だった。部屋が一瞬、静まり返る。
すると…海賊たちの手のひらに、ぬるりと動く感触。目を向けると、短刀だと思っていたものは、なんと黒光りする蛇であった!
「うわぁっ!」
全員、慌てて蛇を放り投げる。
オルガナは、その光景を驚きの目で見つめていた。海賊どもが、突然、短刀を見つめたかと思うと、放り出してしまったのだ。
その原因を考えるより早く、彼女の体は動いていた。
背後の敵、その顔面に右ストレートがクリーンヒットする。崩れ落ちる海賊。
「ごめんよ!」
隣の海賊は驚き顔で全く反応しない。その胴に強烈な蹴りが見舞われた。扉に叩きつけられる男、オルガナは倒れた男の胸倉をつかんで脇に放る。
「さあ、お暇するよ!」
言うなり部屋を出て階段を駆け下りる。アンドラスとスーツの紳士が続く。
「一体、何が起きた!?」
「いえ、簡単な暗示ですよ。意志薄弱のものほど、御しやすいのです」
事務所を出て、表に転がりでる三名。アンドラスは呼子を吹く。港に向かって駆けだす。もはや、ベスチノに長居しては危険である。背後から武装した集団が、追いかけてくる。
「助かったよ。君は一体、誰だい!?僕を付けて来たのか?」
「モンテスに戻ってから、ゆっくりお話ししましょうか」
男性は微笑むと速度を上げ、アンドラスたちを引き離して林の中に消えた。
「なんだい!あの人は?馬みたいに早いじゃないか!」
「わからない。だが…彼は味方だ」
エレノアとリッサンドラが前に飛び出してきた。
「早かったわね!アンドラス!」
「ちょいと問題が生じてね。さあ、行くぞ!」
駆けていく、アンドラスとオルガナ。エレノアとリッサンドラは目を見合わせる。
「さすがはモンテスの問題児ね!」
4名は必死に海岸を目指して走る。
「くそっ…まずいな」
係留されている波娘号、その周囲に武装した戦闘員ら20名ほどがたむろしている。
ベスチノから逃げ出そうとする者は、こうして殺されていったんだろう。間違いない。会社だって?海賊よりも断然、質が悪い連中だ。
「こんな時に、アイツがいたらな…」
アンドラスの魔剣、カタハルコン。それはすでに没収され、モンテスの地下保管庫に収蔵されている。まさか海賊と斬りあいになるとは、アンドラスは思っていなかった。
「チッ…あたしの剣を、置いてきちまったよ!」
オルガナが舌打ちする。アンドラスらは追われている。このままでは挟み撃ちだ。
「奴らは幸い、弓を持っちゃいない。このまま一か八か、突っ込むぞ」
「アンドラス!武器が無いじゃない」
エレノアの小剣が二振り、リッサンドラの鞭と短剣が、このパーティーの武器の全てだ。
「エレノア、すまないが、僕とオルガナに剣を!僕が先頭を行く!」
「船員が殺されていたら、どうするね?船は動かないよ?」
「その時はその時さ」
アンドラスは笑って、皆を見渡した。
「かわいこちゃんたち、ごめんね。僕が無能なばかりに、いつも君たちを…」
「わかったわかった!アンドラス様、挟まれないうちに、行こうじゃないか!」
オルガナが先頭に立って駆けだす。
「まて!オルガナ!」
全員が走り出す。
不意に、アンドラスの頭の中に声が響く。先ほどの老紳士の声であった。
―魔剣を欲しているのですか?アンドラス様。
そうさ…恐ろしい奴だけどね。こういう状況になってしまうと、正直、ああいう剣が役に立つんだ。
―ふむ。では、種明かしをしましょうか。あれは今、あなたの手の中にありますよ。
何だって?…これはエレノアの持っていた、小剣じゃないか。カタハルコンではない。あれは今頃、モンテスの…。
―あれは、剣ではありません。剣の姿をしていますがね。あれは、私があなたに与えた、力ですよ。あれは、向けられた敵意をそっくりそのまま、相手に返すのです。
何だって…!?君は、何者だ?なぜ僕の事を、そんなに良く知っているんだ?
―あなたの物語を読ませていただきました。あなたが騎士となった、その日からね。よい物語です。私の好きな物語です。だから私は、あなたの想像力に賭けました。想像力こそ、剣よりも恐ろしい武器なのです。物語の中ではね。
それは幻聴だったのかもしれない。しかし、アンドラスが手元の小剣を見やると、それは昼の陽光の下でもわかるほどに、青白く不気味に光を放っていた。
「カタハルコン…お前なのか!?」
オルガナがすでに海賊と剣を交えている。それを横目に、アンドラスは桟橋めがけて突っ切る。4名の男たちが、一斉にアンドラスに向かって斬りかかっていく!
「アンドラス!よせ!」
無謀な突撃を、オルガナが諫める。
しかし…オルガナが再び目を向けると、アンドラスは無傷でなおも走り続けていた。アンドラスに斬りかかった男たちは返り討ちにあったようだ。腕を斬られてしまったのだろう、みな腕を押さえてしゃがみこんでいる。
アンドラスは桟橋から波娘号の甲板に向けて叫んだ。
「マッサン!居るか!逃げよう!すぐに船を出してくれ!」
オルガナがアンドラスに追いつく。
「アンドラス、あんた、一体…」
「のれ!オルガナ!急げ!引き上げるぞ!」
アンドラスはやってきた方向に戻っていく。エレノア、リッサンドラもやってくる。
「船を出してくれ!マッサン!」
海賊たちは2列になってアンドラスを追ってきた。まだ船に帆が張られていない。アンドラスは桟橋に立ち塞がった。
「さあ、モンテスの破戒卿が相手してやるよ」
笑顔を浮かべて、青白く光る剣の切っ先を敵に向ける。
1人目、刺突剣で向かってきたところを躱し、足をかける。男は海に落ちた。2人目が、山刀を振りかぶって走り込んでくる。紙一重で躱し、横から蹴りつけて、そいつも海に落としてしまう。
「ふう、コイツを使うまでもないや」
「船が出るよ!アンドラス!」
船は向かい風を受けてゆっくりと桟橋を離れ始める。アンドラスは踵を返して、甲板から降ろされたロープに飛びついた。
「やれやれ、ひどい目にあった。誰か、引き上げてくれないか。落ちる。僕はもう、疲れたよ」
陸からアンドラスを呼ぶ声がする。
「ア~ンドラス様~!」
ゼパルであった。桟橋からアンドラスに手を振っている。
「ゼパル!死ぬなよ!またいつか、会おう!」
アンドラスはゼパルに手を振り返してやると、船の縁に背をもたれて、座り込んでしまった。周囲に猛虎の刃冒険団の3名の女性が集まっている。
「みんな、良かった。誰も、怪我していないのか。これは本当に、神様のお導きだね…」
アンドラスは笑う。
「まだ安心するには早いわよ。アンドラス」
エレノアとリッサンドラは用心深く、海を見渡す。オルガナがアンドラスの隣に座り込んだ。
「神様だなんて、アンドラス様。あんた変わったねえ」
「そうかい?」
「あんたの口から、そんな言葉が出て来るとはね」
「…僕は変わったんだ。気づいたんだよ。人はいつ変わったっていい。過去に囚われたら、損だってね」
アンドラスはオルガナとともに、抜けるような青い空を見つめていた。