アンドラスが海賊と手を組むならば、彼をベスチノの王とする。荒唐無稽な提案に、アンドラスとオルガナは目を見合わせた。
「ベスチノは今でもモンテスの支配地域だぞ?王というのは、何だい?」
航行専務を自認する男は、鋭い視線をアンドラスに向けた。その表情は真剣である。
「現実をしっかりと見たまえ。モンテスの支配など、ここには及ばんよ。アンドラスさん。ここにはブレイクの王権ですら及んでいないのだ」
アンドラスは男の言いように、驚く。
「どういうつもりかね。ゾーガン。君はモンテス領を、いや、王国を敵に回すというのか?」
「モンテス家を敵に回すことなど、考えてはおらん。しかし、会社の計画にとって障害となるものは、排除する。それが私の仕事なのだ」
「大した自信だな。会社というのはそこまで大きな勢力なのか」
「ああ、君の様な貴族には、思いもよらぬ力を持っているよ」
ゾーガンは笑った。
「ブレイク王国は、我らのもたらす富でより強大になる」
アンドラスにはゾーガンのこの態度が、根拠のない虚勢なのか、それとも実行力に裏打ちされた自信の表れか、判断がつかない。
「やれやれ…インスールとモンテスの戦いに乗じて、君の様な海賊がここをおさえたという事か。泥棒のやり方だね」
ゾーガンはアンドラスの挑発を鼻で笑う。
「泥棒か!これは傑作だ。モンテス騎士どもが、ここに乗り込んで非道の限りを尽くし、我が物顔で闊歩していたのだぞ。それに比べれば我らの行いなど、些末なものだ」
ゾーガンは手振りで背後の部下に、何事かを命じる。オルガナが素早く立ち上がったが、アンドラスは彼女を座らせる。ゼパルはアンドラスを見つめ、黙りこくっている。その瞳は好奇心でキラキラと輝いていた。
「おもてなしに良い酒をお出ししましょう。さて、アンドラスさん。お分かりになったと思うが、私は寛大だ。なぜかわかるかね?私は効率を重んじるからだ。あなたをここで消してしまうのは簡単なことだ。しかし、それは効率的なやり方ではない」
ゾーガンは威圧するようにアンドラスを睨みつける。
「会社というものは、効率を重んじる。素晴らしいことだよ。効率は古臭い道徳や、差別主義的な価値観、腐敗した宗教的権威とは無縁なのだ」
アンドラスはゾーガンの真意を探ろうと、黙ってその話を聞いていた。
「会社は貴族共のように、下っ端を見捨てるというようなことはしない。会社に属する者たちすべてが利益を享受し、豊かになる」
部下らしき男が、グラスに酒を注いで戻ってきた。ワインではない、透明な酒である。異国の蒸留酒のようであった。
「さあ杯をお取りなさい、アンドラスさん。あなたが協力してくれるのなら、ベスチノでの事業はさらに大きくなる。ブレイク王国は、さらに強大になる」
アンドラスはゾーガンに向かって笑みを浮かべたが、その内面は動揺していた。
ゾーガンの自信はどこからやってくるのか、彼は素早く分析していた。
要は、会社というものはブレイクの貴族などから多額の資金提供を受けて、海軍戦力を整えているのだろう。それはベスチノの港を見れば明らかな事実である。そして、ゾーガンの指揮している船団に対抗できるような、海軍戦力を有している諸侯は、おそらく一人としていない。モンテス領はブレイク最強の軍隊を有していると言われているが、それはあくまで、陸の上での話である。それこそが、このゾーガンという男の自信の源なのだ。何が何でも、まずベスチノを実効支配してしまう。そして資源を事業化し、生み出した富で軍備拡張する。そのようにして会社はさらに巨大になっていくのだろう。
それはアンドラスには思いもよらぬ方法であった。
モンテス領では、規範があり、欲望は押さえつけられて、騎士団は鉄の結束で戦う。これこそがモンテス騎士達が恐れられている理由、強味なのだ。
だが、この会社というものは違う。真逆なのだ。その欲望を隠そうともしない。欲望を吸い上げて、人や船を集めて、膨れ上がる。規範はなくとも、集団の力で戦う。
いや、会社にも規範はあるのかもしれない…つまり、ゾーガン自らが語っていた。効率、という規範が。
アンドラスは恐れを抱く。ゾーガンの自信に満ちた態度が、はったりでは無いことを悟ったのであった。
「嬉しいよ、君の提案は。だが少し、考えさせてほしい」
アンドラスがゆっくりと席を立つ。すると、ゾーガンも立った。大柄な男である。アンドラスを見下ろす。
「今、決断するのだ!アンドラス!時間は有限である。腰抜けは即断しない。先送りにして、チャンスを逃す。それは効率的な態度とは言えん」
空気が変わった。オルガナはそれを肌で感じた。狭い部屋である。武器を振り回すことはできない。危険な状況であった。
「さあ、杯を受けろ。ただでは帰れんぞ、アンドラス。私は航行専務、つまり、西海方面部隊の将軍だ。誰もが私を恐れる。私の目に触れ、何事もなく、帰れるとでも思ったかね?」
「動くな!女!」
いつの間にかオルガナの背後に回った男は、短刀を抜いていた。
「…私はベスチノ総督様のつれあいなんだ。手荒な真似はやめてほしいね」
「黙れ。剣を置けよ。お前、名前が知れてる冒険団じゃないか」
オルガナは剣を革帯ごと外して、床に置く。
「けっ!女のくせにこんなもん振り回しやがって」
男がオルガナの身体を撫でまわす。だが彼女は涼しい貌だ。
アンドラスは丸腰である。絶体絶命だ。アンドラスはポケットに手を入れて、呼子を弄る。
後悔先に立たず、だ。ひとまず、ゾーガンの指示に従うしかない。
「ゾーガン、君という男はなかなか興味深い。しかし、ここに君の王国を作るなんて、大それたことを考えつくものだね」
アンドラスはゾーガンのよこした杯を手に持つ。
「一つ、条件がある」
「なんだね?」
「このオルガナは、僕の雇った冒険団だ。彼女はここから無傷で返せ」
「それはできん相談だな。この島に上陸して、私に従わぬものは、生きては返さん」
「あくまで強気か…後悔するぞ、ゾーガン」
「ふん、後悔なぞ、効率的ではない」
「よしなよ、アンドラス様」
オルガナが言う。
「冒険者なんかに、こだわることはないさ」
アンドラスは己の軽率さを悔いた。
「すまない、オルガナ」
「私はあんたに好きでついてきたんだ。そんな顔、しないでもらいたいね」
「悪いようにはせんよ。アンドラス。君や、ゼパルの協力があれば、ベスチノの事業は安泰というものだ」
「…安泰ね」
ゾーガンとアンドラスは、互いに杯を掲げた。その時であった。
アンドラスの持ったガラスの杯が音を立てて砕けた!
ゼパルはそのしぶきをまともに浴びて悲鳴を上げる。アンドラスには一瞬、何が起きたかわからなかった。一方、ゾーガンの顔には小さなガラス片が突き刺さっており、彼はうずくまって呻いた。
同時に部屋の奥から、場違いな格好をした一人の男が歩み出る。
その居住まいは、むさくるしい海賊たちの巣窟では、あまりに品がありすぎるものだった。
後方になでつけて整えたグレイヘア。彫が深く、形の良い高い鼻の下、切りそろえられてぴんと張った口ひげ。黒いスーツを着こなした初老の紳士である。部屋の誰もが驚いた。それはまるで、影から生じて現れたかのように不自然な登場であったから。
「アンドラス様、ならず者どもと付き合うのは、おやめなさい」
「…誰だ?君は?」
黒いスーツの男は微笑んだ。
「私はモンテスからの使いです。貴方が毒杯を受けたとあれば、ローリー様が悲しむでしょう」
「なんだって!?」
アンドラスはこの男が誰だか、わからないようであった。
しかし、読者諸氏はこの男をよくご存じのはずである。ローリーを…いや、人間を愛する、高次の存在。
そう、アンドラスの記憶は操作され、変容していた。