じきに正午だ。強い日差しと海風を、ベスチノ特有の背の高い木々が遮っている。
アンドラスと3名の冒険者たちは、海岸に近い林の中で作戦を立てていた。
このまま進めば…仕掛けられた罠に落ちるかもしれない。かと言って、ベスチノの支配形態がいかなるものであるのか、アンドラスは調査する使命を帯びている。
「よし、こうしよう。僕とオルガナで総督府に乗り込む。エレノアとリッサンドラは離れて様子を見るんだ。こいつで合図する」
アンドラスはポケットから
「それは何の合図なの?」
「すぐに船でモンテスに戻れっていう、合図だ。アンドラスは殺されたと、諸侯に報告するんだ」
「冗談はよして」
「冗談なんかじゃないさ。僕は本気だ」
アンドラスは笑う。
「僕はベスチノの現状を報告せよとの命令を受けているんだ。たとえ殺されてもこの命令は実行しなきゃならない。いいか?僕は本気だ」
エレノアはアンドラスを見つめる。
「さあ、行こうよ。アンドラス様。リッサンドラ、しっかり頼むよ」
オルガナはエレノアと見つめ合っているアンドラスの二の腕を掴むと、自身に引き寄せた。
「キスしてやらないのかい。いけずな王子様だね」
「そんなのは、僕は嫌いだね。今生の別れでもあるまいにさ」
「そうだね。おや、見えて来たよ。懐かしの総督府が」
木々の間から白い建物が見える。そこはモンテス騎士たちがベスチノの指揮監督を行っていた事務所である。
数人の男たちが建物の前で話している。船乗りが着こむ、風よけの長いコートを着た男達だった。アンドラスは声をかける。
「やあ、調子はどうだい?」
男たちはじろりとアンドラスを睨みつける。
「ゼパルって男を訪ねて来たんだ。僕はモンテスからやってきた、ベスチノの総督さ」
男たちは顔を見合わせた。そのまま沈黙してしまう。
その風貌は、まさにやとわれた海賊といった印象である。体格が良く、日に焼けた肌に、ごわついた白髪交じりの頭髪。シュペン領の船乗りは大抵、このような外見をしているなと、アンドラスは思った。
無言の男たちを横目に、建物に入っていくアンドラス。二階に総督の執務室がある。かつて、アンドラスは日がな一日、部下と賭けカードに興じていたものだ。
アンドラスとオルガナは、目で合図する。その時、背後から二人は声をかけられた。
「女ぁ、何やってる?」
軍服を着崩した男であった。おそらく、拾ったか、奪ったかした軍服の上だけを羽織っているのだろう。髭だらけの粗野な顔立ちであった。
「僕がベスチノの総督、モンテスのアンドラスだ。ゼパルはいるか?」
男は驚いた様子だった。
「あんた、ゼパル様の知り合いなのか?」
「そうだ。しばらく留守にしていたが、戻って来たのさ。ゼパルはこの部屋の中か?」
「へえ、そうでがす」
アンドラスは勢いよく扉を開ける。部屋の中にいた男たちの視線がアンドラスに集中した。
「さあ、アンドラスが戻ったぞ。皆、元気にしていたかね」
部屋の中にはアンドラスの知らない顔が大勢いた。しかし、アンドラスはその中に知己の顔を見つけた。
「ゼパル、元気にしていたか?」
「アンドラス様!久しぶりですねえ!」
モンテスの深緑の軍服を、だらしなく着た男が立ち上がる。額から目を通って頬まである、大きな傷跡。無精ひげを生やした、目じりのたれた中年男である。彼がゼパル。アンドラスがモンテスに帰還する際、後任を命じられた男である。
「いつお着きになったんです?お迎えに行きましたのに!」
卑屈な笑みを浮かべて、アンドラスに近寄るゼパル。握手を交わす二人。
「待っていたんですよ。アンドラス様を。また一緒に仕事ができるなんて、ワクワクしますねえ!」
「聞きたいことがいっぱいあるんだ。ゼパル。いっぱいね」
「ええ、なんですか?なんでもお聞かせしますよ。この連中は…」
ゼパルは興奮している様子であった。続けてしゃべりだす。
「海商会社の船長たちでして…頼れる男たちですよ。海の上では怖いものなしの連中です」
「よし、わかった、とにかく…」
「今や、巨万の富は海からもたらされるという訳でして。陸から金を引っ張ってくれば、交易ですべてが手に入りますよ」
「そうだね」
「そうです。国すらも手に入るという訳でして。私はアンドラス様の国をおっ建てようと思いまして…」
「わかったわかった。ちょっと待ってくれ。なんだい、僕の国というのは?まあ、いい。ゼパル、聞くんだ。少し聞いてくれ。さあ、座るんだ」
アンドラスは椅子を引いて、ゼパルを座らせると、自分もその目の前に座った。
「モンテスに何故、便りをよこさない?モンテス騎士たちはどうした?」
「モンテス…ええ、そうです。確かに、騎士が大勢、駐屯しておりました」
「君は責任者だろう。港には誰もいなかったぞ。人員はどうなっているんだ」
「人員なら問題ありません。全くの問題なしです。海商会社の傭兵団はまさに一国の軍隊に匹敵する規模ですから!」
「そうか、そうだな。つまりお前は…モンテス騎士の監督を放り出したという事か?騎士の皆はどこに行った?」
「いえ、放り出すなんて、とんでもないことです。しかし、アンドラス様の騎士たちは少々、ナイーブになっておりまして」
「僕の部下の騎士達はどうした?」
「アンドラス様の、騎士団でございますか!?」
「ああ。大勢いたはずだ。彼らは今、どこにいる?」
「死にましたよ。みんな死にました」
「なんだって!?」
驚愕するアンドラス。
「インスールの連中がしつこく攻めてきましてね。港は、それはもう、凄い騒ぎでした」
「本当なのか?ゼパル」
「本当ですとも。嘘いって何になりますか。本当です」
ゼパルは周囲を見渡す。
「それから、ブレイクの船乗りたちが大勢、加勢してくれましてね。なんとか総督府を守り抜いたのでございます」
男たちはアンドラスとゼパルを、黙ってみている。
「本当か?ゼパル」
「ええ、海商会社の軍隊は大したものです。皆、命知らずの猛者どもですよ」
ゼパルは笑った。
すると、ゼパルの背後の男が、席を立ち、アンドラスに向かってくる。軍属の様に制服を着ている。鋭い目つきだが、どこかのっぺりとして爬虫類を思わせる面構え。髪はなでつけてあるものの、ひげは整っておらず、どこか残忍な印象を与える男だった。
「アンドラスさん。お話は聞いていますよ。かつてここの監督をされていたという」
男が右手を差し出す。が、アンドラスは握手に応じなかった。
「君は?会社の人間かい」
「航行専務のゾーガンだ。ベスチノ港は現在、我ら西部海商株式会社の指揮監督下にある」
「何を言う。ここはモンテスの支配地だぞ」
「さよう。私がここに、やってくるまではな」
ゾーガンは笑みを浮かべた。
「経緯は、ゼパル君が話した通りだ。インスールの大規模な襲撃があったが、蛮族どもは我々、実行部隊がすでに制圧した」
「君はどこかで騎士をやっていたのかな?それとも、冒険者か」
沈黙。その事がゾーガンの出自を語っていた。大方、マッサンが語っていた、雇われ海賊なのであろう。
「アンドラスさん。武器も持たずに、乗り込んでくる、その度胸に免じて、チャンスを与えよう。私と手を組めば、君をこのベスチノの王として戴こうではないか」
軍服の男は、不敵な笑みを浮かべた。