目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報

第67話 ベスチノ諸島への旅

ローリーの異母兄、アンドラスは、モンテス家が所有する帆船、波娘号の甲板で、久しぶりに西海の季節風を感じていた。

かつて彼は、モンテス家が実効支配するベスチノ諸島の総督を任じられていた。

その後アンドラスは諸侯となるべく、ファルドンによりモンテス城に召還され、ローリーと出会ったのであったが、ベスチノでの経緯については誰にも語ろうとはしなかった。

ベスチノの支配。それは先住者たちの生活を破壊し、労働力として搾取する、とても罪深いことであった。口に出すことさえ、憚られると思っていた。そう、ベスチノに駐屯していたモンテス騎士たちは、先住者たちを奴隷のように扱っていたのだった。

ベスチノ周辺の地層からは銀が採掘され、また温暖な気候ゆえ様々な珍しい香辛料の産地となっている。そこは帝国主義が根付く以前から、自律的交易が興っており、船が大型化されてからというもの、貴重な資源を求めて様々な人間が訪れる場所となっていたのだった。

モンテスの騎士たちはそこに乗り込んでいくと、手当たり次第に資源をむさぼり、異を唱える者は皆殺しにしてしまった。

アンドラスは総督時代、その様に悲惨なベスチノの状況に、何ら疑問を抱かなかった…。結局、この世界は残酷な場所であり、弱い者は強いものに喰われてしまうのだから。

だが、今になって、アンドラスの心には悔悟の念が湧き上がっていた。

彼の心変わり、それはおそらく、ローリーとの出会いによって生じていた。

アンドラスは思う。自分は弱くなったのだろうか。それとも、強くなったのだろうか。答えは出ない。

彼はベスチノでのモンテス騎士の振る舞いを、改めたいと思った。たしかに、ベスチノでは敵国インスールの海軍との戦いも頻発していたが、吹き荒れる暴力が、無関係の人々を巻き込むことがあってはならないと、強く思うようになっていた。


アンドラスは諸侯ローリーより命令を受けて、ベスチノへと旅立った。

なぜなら昨今、ベスチノからモンテスに物資が届かなくなり、さらにベスチノ総督府からの連絡が全く途絶えてしまっていたからである。

アンドラスの心に一抹の不安が宿る。アンドラスはベスチノを去る際に、後任に部下のゼパルを立ててその事務を引き継いだ。

つまりアンドラスが居なくとも、ベスチノとモンテス領の交易ルートは確立しているはずなのだ。

現在、何らかの問題が生じているに違いない。

暴力が、薄っぺらい秩序を形作る、植民地ベスチノ。かの地は、かつての総督アンドラスをどのような表情で迎えるのだろうか。

春、ミッドランドから西海に向けて吹く季節風。柱いっぱいに張られた、大小さまざまな帆は風を受けて、船をベスチノへと導く。海上は天候も安定しており、シュペンより二日もすれば、ベスチノに建造されたモンテス家の港にたどり着くはずである。


アンドラスの傍らに控えているのは、猛虎の刃冒険団の3名の女性。

オルガナ、エレノア、リッサンドラ。

女性のみで構成された冒険団。その名を高めているのは物珍しさではなく、その実績である。猛虎の刃冒険団は主に危険な船旅に随行し、ことごとく生還している。

アンドラスとメンバーは、いずれもが古い仲である。

リーダーのオルガナと、薬物の扱いに長けたリッサンドラはしばらく二人組で活動していたが、そこにエレノアが加わった。エレノアはモンテス騎士団長を務めるヤグリスの侍従であったが、主人の命令を受けてアンドラスの冒険に加わることとなった。エレノアはヤグリスを尊敬し、女性でありながら騎士になる夢を持っていた。そんなエレノアに、ヤグリスは自分の姿を重ねていたのかもしれない。アンドラスのモンテス帰還とともに、ヤグリスとエレノアは再会する。二人の信頼は揺るぐことなく、再びヤグリスはエレノアに、ベスチノへの旅という、危険な任務を依頼したのであった。


順風は波娘号をベスチノの南端、モンテスが支配する岬に導いた。

アンドラスはモンテスが建造した港に、多数の帆船が係留されているのを目にした。それは巨大なブレイク王国の帆船からなる集団であったものの、アンドラスは奇妙な胸騒ぎを覚える。

「おや、先客がいるようだ。しかし、あれはどういう意味かな」

傍らの航海士マッサンは望遠鏡を手渡され、船を確認した。

「おそらく…西部海商株式会社の船団だと思いますよ」

「なんだって?なんて言った?あれはどこの領の連中なんだい?」

「いえ、会社っていう集団ですよ。王国騎士の船ではないんです。金持ち連中が、資本を集めて雇った海賊どもですよ」

「あれがみんな、海賊だというのかい?」

「そうですよ。アンドラス様」

マッサンは笑う。

「もう無頼の時代じゃないんですよ。海賊どもは、金持ちの用心棒のほうが食えるってことに、気づいたんでしょうね」

「そんな荒くれ者たちの所に乗り込んでいって、大丈夫かな?」

「アンドラス様の言葉とは思えませんね。どうしたんです?船酔いしましたか?」

「いやいやいや、冗談じゃないよ。マッサン。僕が怖がりなのは、君も知っているだろう?その会社とかいう連中は、ちゃんと統制が取れているのかい?」

「もちろんですよ。ええ…多分…ね。モンテスは西部海商に出資していないんですか?」

「それについては、僕は知らないんだ。僕は仲間外れ、はぐれ者だからね」

「とにかく、敵ではありませんよ。多分ね。金持ちの味方なんですから。どちらにせよ、船をつけなければ」

アンドラスは驚いた。自分が数か月、ベスチノを離れたその間に、状況がずいぶん変わっていたらしい。だが今でも、モンテス騎士の詰め所が防風林の中に建っているはずだ。

ここからモンテスへの連絡は一斉、途絶えてしまっている。用心に越したことはなかった。

「みんな、聞いてくれ。知っての通り、ここはモンテスが支配していた植民地なんだが。今は御覧の通り、海賊たちも港に自由に立ち寄っている。気を付けてくれ。そして僕は状況を確かめに来ただけなんだ。戦いに来たわけではない」

オルガナが頷く。

「僕の後任にゼパルを立ててあるから、アイツが総督をやっているはずなんだ…今でも生きていればね」

アンドラス、オルガナ、エレノア、リッサンドラの4名は船から降り立つと、すぐに林に向かって歩き始めた。

アンドラスはベスチノの港の変わりように驚いた。というのも、数か月前、彼がモンテス帰還する前は、毎日のように海岸の村の住民が荷物運びに駆り出され、船へと長い列を作っていたからである。今は打って変わって人けがなく、一方で港にはおびただしい数の船が並んでおり、その静けさは不吉な印象を与えた。それに気づいたのはアンドラスだけではない。猛虎の刃冒険団の女性たちは大抵、ボディガードとしてアンドラスに付き添っていたのだから。

「どうしたっていうんだろうね。この静けさは」

「さあね。どうも悪い予兆に感じるね」

オルガナは立ち止まった。

「アンドラス様。どうするんだね?ここは以前のモンテス領とは違っている気がするよ。危険と知って進むのかい?」

「ゼパルは、生きていると思うかね?」

「…あの頼りない男かい?あいつはやすやすと死ぬ人間ではないと思うけど」

「アンドラス。総督府は西部海商株式会社にのっとられてしまったんじゃない?」

エレノアが告げる。皆、エレノアを見つめる。

「港にあれだけいたモンテス騎士が、一人もいないなんて。不自然よ」

「…君も、そう思うか。僕は、考えていたんだよ。ゼパルの奴は…」

アンドラスは笑った。

「仕事を放り出して、海賊どもの手下になったんじゃないかってね」

「私もそんな気がするねえ」

「あいつはどうも信用ならない奴だわ」

「…あの人なら、やりかねないわ」

アンドラスは肩をすくめる。

「やれやれ。満場一致じゃないか…」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?