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第66話 二人の姫君、後編

アストレア姫の提案に、ローリーの好奇心は刺激された。

「それはどうも。なんでしょうか?」

「少し宮中を、ご案内いたしますわ」

女王ミディアは不安を覚え、アストレアを睨みつけるが、一人娘は母親の腰を押して部屋から出してしまった。

「ささ、あとは若い人に任せて任せて…」

従妹のユスティアとローリーの手を取り、アストレアは三階へと上がっていく。すれ違う召使い達が低頭する。

たどり着いたのはユスティアの部屋の前である。

「アストレア様、さすがに、お姫様の私室に入るのは、ちょっと、僕には…」

「いいんです、いいんです、見られて減るようなものはありませんし。ね?」

「しかし、人目がございますので」

ローリーは固辞し、踵を返す。その手を、ユスティアが取ったのだった。

「ユスティア様?」

「ローリー様。その…ご、ご相談がありまして」

ユスティアの顔が少し、紅い。

「わかりました。しかし、長居は致しませんよ?失礼に当たりますので」

ローリーは理屈になっていないと苦笑しつつも、部屋に招き入れられた。

ユスティアの部屋は綺麗に片付いており、甘い、良い香りがする。

扉の左、床に絵が立てて置いてある。それは飾られず、壁に立てかけてあった。それはユスティアを描いた、肖像画であった。

「これはユスティア様でしょう。素晴らしい。素敵な絵です」

「実は、ご相談が」

「ええ、私にできる事でしたら」

「その前に、ローリー様に、クイズがありますよ。ドキドキクイズターイム!」

アストレアは嬉しそうに、肖像画を持ち上げる。その裏にもう一枚、肖像画があった。

それはほとんど同じ、二枚の絵である。どちらにもユスティアが描かれている。片方は複製品なのだ。

「これは、同じ絵ですね、どちらも素晴らしい出来だ」

全く同じ絵を、2枚、発注したという事であろうか。ローリーはしかし、すぐに気づいた。片方にだけ、サインがあるのだ。ピエールと。それはモンテス八世の遺影にあるサインと同じ筆跡である。

「なるほど、ピエールさんの絵ですね。あのとき、ユスティアさんとお話しした、若い画家の方でしょう。素晴らしい腕だ」

「そうです。話が早いですなあ。ローリー様は」

アストレアはにやにやと笑みを浮かべて、ローリーを両方の絵の前にいざなう。

「このユスティアちゃんの肖像。どちらか一方は、レプリカなのですよ。どっちが本物でどっちがレプリカか、お分かりになります?」

「なるほど、面白い問いかけですね」

ローリーは絵を見比べる。どちらも全く一緒に見える。

少し気がとがめたが、ローリーにしか見えないシステムのディスプレイを開いて、二つの絵を比較分析してみる。油彩の絵であるが、どちらも近い時期に作成されたもので、油の乾き具合から新しいほう、つまり、複製品を判別することはできなかった。

肖像の顔、その表情に注目してみる。筆使いもよく似ている。まるで同一人物が描いたかのようである。というより…おそらく、同一人物が複製したに違いない。システムで分析できることは限られている。ローリーは光のディスプレイをしまう。

「この問題に正解したら、なにかご褒美があるのでしょうか」

「ええ、ビッグなプレゼントがありますよ」

ローリーは笑った。少し離れて、絵を見比べる。

ふと、国葬でのユスティアとのやり取りを思い出す。彼女はなんと言っていたか。そう、絵には描いた人の心の内が現れると。これは学術スケッチではない…そう、絵画表現にヒントがあるはずだ。自分の頭で考えるんだ、ローリー。

システムは先ほど、二つの絵の主な相違点を算出していた。

片方の絵には、はっきりと砂時計が描かれている。しかしもう一方の絵には、砂時計が描かれていなかった。

つまり、何らかの理由で、複製品には砂時計が描き足されるか、もしくは、あえて描かれなかったのだ。

時計、つまり時間…そうか、時の死神。

砂時計は、老いや、死を暗示するものではないのか。老いは悪とまでされている貴族社会において、若い女性の傍らに描くようなものではない。それに気づいたものは、複製の際にあえて、それを取り除かせたに違いない。

砂時計が描かれた、ユスティアの肖像。その右下にはまさしく、ピエールの署名があるではないか。署名の有無は複製か否かの直接的な証拠にはならないが、それはローリーの考えを補強する事実であった。

「こちらですね。この、砂時計が描かれている方。署名もあるし、本物です。砂時計が無い方、こっちは複製品ですね?」

アストレアは驚いてローリーを見つめる。その顔にじわじわと笑顔が広がっていく。

「御名答。いやはや、ローリー様。感服ですよ。あなた本当に、素敵ですね」

「これは同じ人物の作品とお見受けしますが…」

アストレアは笑った。

「いえいえ、実は、工房で作らせたレプリカです。別人の作品ですよ」

「ええっ!」

今度はローリーが驚く番であった。

「そんなに驚く事でしょうかね。ローリー様から頂いた図録のほうが、よほど驚嘆に値する完成度であると思いますよ」

アストレアはローリーに向き合う。

「閑話休題です。この作者であるピエールは、さる美術サロンから宮廷画家として紹介されたのです」

「ええ、聞いています」

「ピエールさんは、しばらくここで住み込みで仕事をしていたのですが、出ていく事になりまして」

「ええ、ここでユスティアさんの肖像を、描いてらっしゃったのですね?」

「ユスティアちゃん、さあ、ローリー様に、お話しして」

「うん、ありがとう。あの、ローリー様。実は…ピエールは宮殿から追放されたんです」

「なるほど、そうですか…その理由は」

「実は、私と、ピエールは…将来を誓い合った仲なのです」

「そうだったんですね。それは、さぞ、お辛いことだったでしょう」

宮廷画家であれば、家柄はしっかりしているはずである。富豪と名高いレライエ夫人のサロンに出入りするほどの画家なのだ。なぜ、宮中から追放されてしまったのか。ユスティアも王室の一族とはいえ、女王の娘であるアストレアほど、結婚相手の資格、条件について厳しい基準はないはずである。

「ローリー様。この肖像画は、ピエールが残して行った唯一のものなのです。彼は何も語りませんでした。急に姿を消したんです」

ユスティアがつぶやく。アストレアが代わりに話し始めた。

「結局、ピエールの作品はけしからんという事で、叔父様、つまり、ユスティアちゃんのお父様が、これを元に複製品を作らせて、飾るように命じたんです」

アストレアは、先ほどとは打って変わったまじめな顔で、ローリーに語り掛けた。

「肖像画に添えられた、砂時計の意味、どうか、ローリー様の助力を得て、解き明かしたいと思っているんです」

「なるほど」

ローリーは頷く。

「そういう事でしたら、ちょうど、私もレライエ夫人にお支払いがありますから、それとなく探りを入れてみましょう」

「おお、さすがローリー様!」

「僕にどこまでできるか、わかりませんけどね。ピエールさんにも、お会いしてみたいですし」

ローリーは笑顔で一礼し、部屋を辞する。

ローリーが庭に戻ると、護衛の騎士や宮殿の召使いが整列して若きモンテス公を迎えた。

去り行く少年の姿を、三階の窓から覗き見る、二人の王女。

「ユスティアちゃんの言う通り。凄い子ね!あれで九歳?」

「お母様も、とても素敵な方なの…」

「知ってるわ。ヤグリス様でしょ?女性騎士団長!」

「ええ…ねえ、アストレアちゃん、ありがとうね。でも、私はもう、大丈夫だから」

ユスティアは、アストレアに微笑む。

「あら。もう、ピエールのことは、いいのね?」

アストレアの瞳が好奇心に、煌めく。

「そうね!私も、ユスティアちゃんには、ローリー様のほうがいいと思うわ!」

「…えっ?」

「ユスティアちゃんに、ぴったりの美少年じゃない。実にお似合いですぞ」

ユスティアは恥じらいに目を逸らす。

「もう!私はいいの。…私のことはいいから!」

「はあ…ローリー様って、決まった方がいるのかしら。いるわよね~当然。あのモンテスの、跡取りですもんねえ」

ユスティアはアストレアの言葉に、ショックを受けたように、俯き、黙ってしまった。

そんなユスティアを見て、アストレアはため息をつく。見つめた窓の先、すでにローリーの姿は無かった。

アストレアも気づいたのだった。自分が生まれて初めて、恋をしたことに。


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