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第64話 国葬にて

さて、かつてバスチオン裁判が行われた、モンテス宗教裁判所。ここは礼拝堂としても利用されており、故人モンテス八世のために様々な人が花を手向けにやってきた。

裁判所の法廷へと続く廊下には、様々な美術品が並べられており、ひときわ目を引くのは巨大な油彩の絵画である。

王女アストレアの代理として出席していたユスティア姫は、献花を済ませると、壁に掛けられた巨大な絵画の前で足を止める。

恐ろしい絵であった。しかし、ユスティアは目をそらすことができない。


それはおよそ半世紀前、モンテス領を襲った大規模な食糧難の様子を描いた作品である。

情景は夕闇の迫る、荒涼とした灰色の街並み。痩せて病に侵された大勢の人々が、路上で死を待つように座り込んでいる。

特に恐ろしいのは、雲や、建物の影など、暗がりにはうっすらと、恐ろしいものが描き込まれている点である。それは、ぼろをまとって刈り取り鎌を持った、死神であった。 

かつてモンテスの広大な農耕地は、戦争や人口増加に伴い、急激に耕作頻度を上げた。それによって土地の栄養分が失われた。麦の収穫量は年々、減少していき、とうとう、痩せた麦は一斉に病気にかかって死滅してしまった。

領内の人々はわずかな蓄えを切り崩しながら食べ繋いだが、近隣の領から多くの人たちが食べ物を求めて、モンテス領に殺到した。

そんなこの世の地獄を、この作品は油彩ならではの荒々しくも精緻な筆使いで表現したのである。

幼いモンテス八世の心に刻まれた恐怖。その感情を領主として忘れまいと、彼は高名な宮廷画家に作品を描かせ、飾ったのであった。

「王女様」

呼びかけられて、ユスティアが振り返る。そこにローリーが立っていた。

「この絵は、僕もとても怖かったんです。モンテス八世が描かせた作品です」

ユスティアはゆっくり、頷いた。

「お父様は戒めのために、この壮大な作品をお飾りになったのですか」

「ええ、そうです。このような惨劇を、二度と引き起こさせまいと」

「私、絵が好きなんです。見つめていると、描いた方の心の内が、伝わってくるような気がして」

「僕もそうです。図書館で、挿絵を見るのが好きでした」

不意に、ユスティアが眉をひそめた。

「聖典には、4つの死神が登場しますね」

「ええ、その通りです」

「時の死神、戦争の死神、飢えの死神、疫病の死神。しかし、この絵には…」

ユスティアが指さす。

「死神が3体しか見つからないんです」

姫君のやわらかなピンクのグローブ、その指が三角形を描き、さまよう。

「さすが、鋭いですね。ブレイク王女様」

ローリーは微笑んだ。少年も指をさして説明する。

「その通りです。この絵画に描き込まれた死神は、3体だけです。戦争と飢えと、疫病。残りもう1体、時の死神は…どこにいるか、お判りになりますか?」

ユスティアは絵をじっと見る。

先代モンテス公は、戒めのために、これを描かせた。死神は暗がりに潜んでいる。普段、姿は見せないが、誰もの傍らにいる…。ユスティアは、はっと気づいた。

「…絵を見る者の背後に、いるという事ですか?時の死神が…」

「よくお分かりになりましたね!王女様の教養の深さと、洞察には感服いたします」

ローリーはとても嬉しそうに、ユスティアを見つめた。

「父がまさに、そう教えてくれたのです。私に」

ユスティアも嬉しく思った。少年と少しだけ、心が通じ合ったような気がしたのだ。二人は再び、絵に目を戻した。ローリー、その空色の瞳が輝いている。ユスティアは改めて、その幼い容姿に驚く。

この様な少年が、モンテス領の諸侯に選ばれているだなんて。

ユスティアは、少年をかわいそうに思った。モンテスといえばブレイク王国でも屈指の名門。その行く末をたった一人、背負っていかなければならないとは。もちろん、周囲の大人たちのサポートがあってのことであろうが。

しかし、ローリーの表情はあくまでも柔らかく、諸侯の重圧を感じさせない、親しみやすいものである。

ユスティアは事前に聞いていた。ローリーは幼いころから抜群の記憶力で、神童ともてはやされていたのだと。

ローリーは約束されていたのだろう。輝かしい、未来を。その表情には、背後にある時の死神の姿など、全く感じさせない。

ふと、自分をかえりみる、ユスティア。

私は女の子としてこの世に生を受けた。女の子は王国の世継ぎにはふさわしくない。ましてや、私は女王の弟の娘。本来、ここに立つべきはアストレア王女なのだ。私はアストレアちゃんの代理にすぎない。

結婚相手さえ、選ぶことは許されなかった。私には、何ものも、決定することができない。言われるままに服を着て、食事をし、言葉を交わす。生きることと、死ぬこと…それだって、私の背後の死神が決めることなのだ。

傍らの少年も、そうなのだろうか…そう感じているのだろうか。歳不相応に、落ち着き払っているこの少年も。

「ローリー様。お父様の御尊影は、見事な出来栄えですね。本当に、生前の御威光そのままに」

ユスティアはモンテス八世を全く知らない。諸侯会議は大抵の場合、彼女の宮殿で行われていたが、王以外の親族は、実質的に政治的決定にはかかわらないしきたりとなっている。ユスティアは、台本通りのセリフを口にする。ローリーは微笑みを返す。

「ご紹介していただいた、レライエ様のサロンに、依頼したんです。描いたのはピエールさんという、とても腕の良い、若い画家さんだそうです」

ユスティアは驚いた。

「ピエールさんが…そうですか」

「お知り合いなんですか」

「え、ええ、そうです。少し交友がありました」

画家ピエール。ユスティアにとって今は、聞きたくない名であった。この二人は、恋愛関係にあったがブレイク王室はそれを許さなかったのであるから。

その時、二人の背後から、ブレイク王室の女王ミディアが、ローリーの母であるヤグリスを伴い、歩んできた。

「これは、女王陛下」

ローリーは跪き、敬礼する。

「この度は心からお悔やみ申し上げます。そして温かいお招きに、感謝いたします。モンテス公ローリー様」

「おかげさまで、葬送の儀式を滞りなく終えることが出来ました。ありがとうございます」

「お立ちになって、ローリー様。驚きです。お若いですね。モンテスの神童とお会いするのは、初めてです」

「ミディア様、私は神童などではありません。確かに、記憶力には自信がありますが、私の頂いた名声すべて、周囲で支えてくれる人々のおかげなのです」

「慎ましいお方。功を立てて語らず。騎士の模範のような御方ね」

ローリーは照れて、少し俯く。

「団長とお話していたところです。モンテス家は王国でも特に重要な地位を占める名門。ぜひ、王室との親交を深めてまいりましょう」

ヤグリスが頷く。

「モンテスこそは、ブレイクの信仰と、富を守る盾にございます。諸侯は若きローリーに引き継がれましたが、その使命にいささかも変わりはございません」

ミディアは微笑み、ローリーに声をかける。

「お母様はね、宮中では社交界の華と呼ばれておりましたわ。その凛とした居住まいは、女性の心さえ、捕らえてしまうのでございますよ」

ヤグリスは何事か言いかけたが、面はゆい様子で沈黙した。

「これからは若きモンテス公にも、ぜひ、宮殿での語らいに、おいでいただきたいと考えております」

「ええ、もちろんです。ミディア様。亡き父も、それを望んでいることでしょう」

ローリーはユスティアに向き直って、微笑む。

「お姫様にもお会いできて、良かったです」

いくら見分けがつかない従妹とはいえ、まるでローリーを騙すように入れ替わってしまい…ユスティアの返した笑顔は少し、ぎこちなかった。

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