時は流れ、主人公ローリーは九歳の誕生日を迎える。彼は父の跡を継ぎ、諸侯の座に就き、それを公にした。
諸侯とは、ミッドランドを支配するブレイク王国、その最高意思決定機関を構成する、8名の領主である。
つまり、ブレイク王国は現在8つの有力貴族が合議制によって、統治をおこなっているのだ。
その中でも、ローリーが主導するモンテス領は穀倉地帯であり、法律を司り、さらに軍事や馬の飼育に秀でた領地と同盟関係にあるため、大きな影響力を持っている。
さて、ブレイク王国の版図、その中央に位置するのがブレイク王室領である。
ブレイク王国の女王、ミディアは全ての領地を総覧する立場にはあるものの、直接政治的権力をふるう事はない。
ブレイク王国の女王すらも、法に従う。法律は王国の諸事につき、諸侯で構成する会議で決定すると定めているからである。
とは言え、王室領は影響力を失っているわけではない。
王権とは全土に広まる信仰対象、女神マヌーサが与えたものであり、ブレイク王室には神が認めた、君主としての正当性があると、誰もが信じて疑わないからである。そう、少なくとも、ブレイク王国の全ての人間が、そのように行動している。実は、その集団意識が、ブレイク王国をしてミッドランドの覇者と言わしめた原動力なのだ。
王室にはブレイク王国が海洋交易…あるいは略奪…で得た富が、集積している。
それは果て無き海を越えた地よりもたらされた物資だけではない。様々な知識、文化、技術。世界中のあらゆる知恵が、吸い上げられ、この王室へと蓄えられていく。王室領の人々はその様に考えている。そう、世界の全てが、ブレイク王室領にはあるのだと、信じている。
ブレイク王室の栄華は、ここに今、絢爛たる花として咲き誇っているのであった。
ブレイク王室領にある、ブレイク宮殿。船で運び込まれた異国の美材や化粧石がふんだんに使われた、大きく美しい建造物である。設計、施工にあたったのは、技術者を多く抱える領地の、指折りの技能を有する職人たち。ブレイク王国の権勢を誇示するがごとき優美さと威容を兼ね備えている。
内部、一階は回廊状になっており、天井がどこまでも高く、つやと透明感を有する石材で床が飾られ、訪れるものを驚かせる。
その中央、赤い絨毯が敷かれた広間には、幅広の巨大な階段。開放感のある吹き抜けになっており、そこから二階まで含め周囲を展望できる。最上階である三階は寝室。この巨大な宮殿を、王家の人々は生活の居とし、また王国全土から代わる代わる要人が招かれ、日ごとのパーティーは絶えることが無かった。
本日、クロイス家の諸侯キマリーの息子2名が、宮殿の昼食会に招かれていた。
その隠された目的は、ユスティア姫の結婚相手探しにある。
ユスティア姫は今年で十五歳。クロイス家の兄弟、レオンとバルカスは父である諸侯に命じられて昼食会に参加したのであった。
レオンはすでに妻帯者。
しかし弟のバルカスは未婚。現在、王室の法律部門で活躍中であり、その手腕は若き天才と評されている。バルカス青年はすらりと足が長く、整った顔立ちで、その話しぶりは優雅で、自信に満ち、整然としている。
家柄もよく、ユスティアの相手としてふさわしい立場である…しかし。
その自惚れ、とくに女性を見下すその態度が、姫君には我慢ならなかったようだ。
当然、バルカスがあからさまにそのような態度を示すことはなかったが、言葉の端々に、女性などと、まともな会話は出来ない、という意識が垣間見えるのである。
確かにこの時代、女性の社会的地位は不安定である。何故なら、女性の価値は若さと美しさという、単純な尺度で見られがちだったからである。
その反動か…ブレイク王国の姫君は賢くも、おてんばと評されるような少女に成長していた。
クロイスの御曹司を見送ることもせず、会食を終えた姫君はハイヒールを脱いでしまうと、裾をつまんで速足で階段を駆け上がっていく。厳格な王室のマナーに照らせば目を疑うような光景であるが、これはもはや宮殿の日常であり、だれも顧みることはない。
「ユスティアちゃん、いる?」
姫はノックもせずに、私室に入っていく。しかし、会食に出席していた彼女が、ユスティアではなかったのか?
部屋の中にいたのもまた、ブレイク王室の王女である。二人の姫君。とても良く似ている…見慣れぬものには区別がつかないくらいに。確かにこれでは、入れ替わっていたとしても誰も気づかないだろう。
「アストレアちゃん!」
二人は手を取り合う。
「…どうでしたか?バレませんでしたか?」
「大丈夫だよ。あのね、お見合いはちゃんと断っといたから大丈夫。イケメンだったけどね。気に入らない奴だったよ。あんな奴に、ユスティアちゃんを任せられないね」
どうやら、今までユスティアとしてふるまっていたのは、アストレアという少女であったらしい。
アストレアはドレスを脱ぎ始める。
「ちょっと、アストレアちゃん?」
「久しぶりに着たんだけど、やっぱ小さくなってる。私も一応、背が伸びたのかな」
ユスティアの衣装棚に歩いていく。どうやら、おてんばと評されている王女がアストレア。よく似ているユスティアという少女はおとなしいタイプのようだ。
「お洋服、借りるね。汚れてもいいやつ、あるかな」
「なんでも着て行って。ねえ、どんな人だった?」
「なんか法律の天才とかって言われている、気取ったお兄さんだったよ。顔はわりかし、かっこよかったけどね」
「優しそうだった?」
「いや、全然」
ユスティアの衣装棚から、一番質素なワンピースと取り出すと、アストレアはそれを素早く着込んだ。
「…怒られちゃうかな…みんなに」
つぶやくユスティア。着替えたアストレアがユスティアに歩み寄っていく。優しく、その頬を両手で包む。
「だいじょぶだいじょぶ。お母様やおじ様には、私が強く言っておくから」
アストレアは、壁に掛けられた少女の肖像画に目をやる。部屋の主であるユスティアを描いたものなのである。右下にピエールと署名されている。
「…ねえ、ユスティアちゃんってさ、ピエールの事、今でも好き?」
ユスティアは答えなかった。
「とにかく、大丈夫だから。私に任せておいて。素敵な人と出会えるから。ユスティアちゃんなら、絶対に!」
「ありがとう、アストレアちゃん」
「そのかわり!今度のモンテス領のお葬式は、お願いね」
「うん、大丈夫、任せておいて!」
ブレイク王室領とモンテス領は、河川を隔てて隣接している。モンテス騎士団の護衛の下、モンテス八世の国葬の儀式にブレイク王室の代表者が招かれていた。もちろん、諸侯会議を構成する諸侯たちも、各地からモンテス城を訪れる。今は無き領主の影響力は強く、葬儀はかつてない規模で執り行われた。
モンテス城の正門を抜け、一階の広大なホールにモンテス八世の棺が安置され、生前を忍ばせる巨大な肖像画が飾られている。この巨大な絵画は、王室領とつながりの深い画商の紹介でローリーが購入したものである。
王室貴族や、諸侯が訪れては、祈りをささげる。遺体そのものは、すでに埋葬されている。
国葬には莫大な費用が掛かった。それらの費用については全く資金積み立てを行っておらず、ひとまずは借金で賄う事となった。ローリーは新たな地位に就くたびに借金をしている自分に気付き、思わず苦笑いを浮かべる。
領主としてのスタートを切ったローリー。周囲に希望を持たせるよう、少年は常に自信に満ち落ち着いた態度を装っていた。