ローリーは抜身の剣をもって、うなだれ膝をついたサガンを見つめていた。
「ローリー!」
声をかけるアムリータ。それをフリージアは手で制した。
「では最後に、私の話を聞いてください。ファルドンの盾の勇猛なる隊長であった、サガンよ」
ローリーははっきりとした声で、サガンへと語りかけた。
「我々がインスール帝国の急襲を受けた時、あなたは誰よりも先んじて戦場をかけ、馬を持たない騎士達を敵の騎兵から守った」
サガンは目を伏せ、答えなかった。
「私と、あなた方、審問官で、戦死したものを並べて、弔いましたね。貴方のおかげで、モンテス騎士の魂は道を過たず…天上へと召されたのだ。感謝しています。そう、私たちは、戦場から生きて戻った。そして、生き抜いたものには、責があるのです。ところで…」
今となっては、ローリーはサガンに下された命令を知っている。そう、仮に影の冒険団がローリーを仕留めそこなった場合であっても、アンドラスや、サガンが、ローリーにとどめを刺す。その様な計画が立てられていたはずなのだ。だが、その計画は実行されなかった。
「あなたは、あの戦場で…目的をたやすく達することができたはずです。だが、ファルドン司祭の命じを、あなたは実行には移さなかった。なぜです?」
サガンは、黙っていた。黙っていたが、あの時、戦場で、なぜローリーを殺すことをしなかったのか、自身を顧みていた。
なぜアンドラスとともに、ローリーを守ったのか。
「サガン、ファルドン司祭の忠実なる使徒であるあなたが、なぜ、その命じに背いたのですか?」
サガンの心に、様々な思いが去来し、あふれたが…この実直で頑固な老人の口を開くことはなかった。
抜き身の剣を手にしたローリーが、サガンの背後に回る。
捕らわれた巨躯の男は、首を垂れ、微動だにしない。ローリーはサガンの腰縄を断った。そして…剣を鞘に納める。
サガンは解放され、身柄を運んでいた第六分団員は、驚いた。
「審問官サガンは、あの戦場で殉死しました。彼は誇り高い戦士でした」
「…どういう意味でしょう。ローリー様」
「生きてください。あなたはまだ、必要とされている」
サガンは驚きに目を見開いた。過去、全く同じ言葉を、彼は別の男から掛けられた。そうして、騎士資格をはく奪された男は、審問官として生まれ変わったのだった。
サガンは突然、地を両拳で叩く。苦悶の唸り声をあげながら、言葉を絞りだす。
「愚生に、不忠者として…!生き恥を晒せと…!言われるのですか!?」
「言ったでしょう。サガンという男は、名誉の戦死を遂げたと。晒す恥など、どこにありますか」
ローリーはサガンを見下ろすと、言った。
「かつて、私の敬愛するグレース司祭補がここで戦いを始めた。最も恐ろしい敵…飢えと」
サガンはマザー・グレースをよく知っている。
サガンは幼いころ、グザールで徴兵されて褒賞騎士となり、モンテス騎士団に入団したのだ。ローリーはその過去をすでに調べあげている。サガンの出身は不明であるが、彼は確かに幼少時、このグザールで過ごしていたのだ。
「彼女の始めた戦いはまだ続いている。目の薄い戦いかもしれない、終わりも見えない…しかし、希望はあります。ここに」
ローリーはアムリータへと視線を送る。アムリータは頷いた。
「このアムリータさんはお若いですが、副校長を務めています」
ローリーは手をついてうなだれるサガン、その肩に、手をかけた。
「さあ、立ってください。審問官は死にました。いかに諸侯であっても、死者に命令を下すことはできない」
ローリーは心を込めて語りかける。その言葉はまるで残雪を溶かしてしまう、陽光のようであった。
「だから命令ではなく、お願いをします。学校を助けてください。子どもたちを助けてください。アムリータさんが協力してくれるでしょう」
サガンはゆっくりと顔を上げる。ローリーと目が合う。少年は微笑む。
「マザー・グレースが言っていたんです。自分の中の輝きを、恐れるなと。それを、空高く、掲げよと」
「…愚生のような…不忠者に!何が…何が、務まりましょうか…!」
「何でもいい。出来ることからでいい。あなたは自由なんだ」
ローリーはアムリータと目線を合わせて、頷く。
「学校の子どもたちが仕事をどっさりくれるはずです。みんな、先生を心待ちにしているんですから」
ローリーは笑った。
「アムリータ。この方をお預けいたします。私の先輩で、顔はとても怖いですが、良い方です。読み書き、聖歌も知っています。律法の知識もある」
「それは助かります!グザールの騎士様は、先生が出来る人がいないので!」
アムリータはサガンに近寄り、手を取って立たせようとする。アムリータは気が強く、物おじしない性格である。何より、ローリーを心から信頼しているのだ。サガンはばつが悪そうに周囲を見回すと、しぶしぶ、立ち上がった。
「はじめまして、アムリータと言います。これからよろしくお願いいたします、騎士様」
「…我は、騎士ではない」
「では、律法学者様ですか?」
「なっ、何を言いますか!我は…死に際を見誤った、老躯で…」
アムリータが面倒くさそうにさえぎる。
「では、先生とお呼びしますね!聖歌は教えられますか!?もう時間がありませんが、祝祭に合わせて、子どもたちに聖歌を歌わせたいのです!」
「…ならば、誕生の聖歌がよろしいでしょう」
「助かります!さすがはモンテスのお坊様だわ!」
「いや、我は…」
「指導はできますか!ここでは誰にだって、仕事があります。幼子でさえ、仕事をします」
「…先唱者を務めていたので、指導できます」
アムリータはぐいぐいとサガンの手を引き、校舎へと歩いていく。その後を、コモドー、ブレーナー、フリージアがついていった。
ツバートに向き直る、ローリー。
「諸侯として、サガンの件はこのように収めます。ご意見はおありですか?第一分団長」
「いえ、私から申し上げることなど、ございません」
ツバートは驚きをもって、少年を見つめていた。あの獰猛でもって恐れられていた、サガンが…まるで憑き物が落ちたように。
ローリー。この少年諸侯はすでに神童と呼ばれているが、その言葉以上の、なにか、不思議な魅力を持っている。その様な気がしてならないのだ。
「あなたの捜査において必要な事項があれば、出来る限り証言するつもりですが…」
「いえ、もうおっしゃらないでください、ローリー様」
ツバートは頭を下げる。
「恐れながら…私は、ファルドン司祭は殺害されたのではないか、という嫌疑で捜査にあたっていましたが…貴方様の振る舞いを目にして、考えを変えました」
ローリーは頷く。
「…サガンは処刑され、聴取は取れませんでした。その様に、まとめたいと思います」
「よろしいんですか?あなたの神聖なる職務に、反する行いに、ならないでしょうか」
「いえ…小義を捨て、大義を生かした、諸侯の御下知に、従います」
ローリーの顔が明るくなった。
少年のやり方は、規律に反している。処刑でも、恩赦でもない。きわめて、あいまいで、その場しのぎともいえる判断である。だが、規律厳正なる騎士の模範、モンテス騎士団の第一分団長は、それを認めたのだった。
「そう言ってくれますか。ありがとうございます。ツバート」
ローリーはツバートと第六分団を見渡す。
「お疲れさまでした、ありがとうございました。さあ、国葬の準備にかかりましょう。よろしくお願いいたします!」
人間世界の真実とは、探求によって作り上げられるものだという事を、ツバートは知っている。目に見えぬ真実、その輪郭を作るのは、目に映る人間の営み。
そうだとするならば。よき人の営みには、よき真実が隠されているのではないか。
ローリーがなぜ、沈黙してしまったのか。それはきっと、モンテス領すべての人間を思っての事、もしかしたら、ファルドンの事も、思っての事なのではないか。
ツバートは第六分団の騎士らとともに、駅馬車に乗り込むと、報告書の原稿を書き始めた。