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第56話 パーティーの夜に

ローリーの諸侯就任とほぼ時を同じくして、モンテス領の隣、同盟関係の強いグザールでも、大きな政治的動きがあった。

高齢であったグザール公が引退し、新たな諸侯に、マイネン・グザールが就任したのである。

これはローリーが諸侯として初めて、公の行事に参加する機会となるはずであった。

しかし、未だ、モンテス八世の死は周辺には公にされておらず、ローリーはいわばお忍びで…諸侯としての身分を公にせず、就任の宴に参加することとなった。

ローリーは久しぶりに総督事務所を訪れた。

昼下がりの事務所は受付をすでに終えたようで、来客は少なく、職員のみが動き回っていた。

ローリーはフリージアを探した。庭を横切って、裏口に回る。

「あっ…」

厨房に入ろうとしたローリーは、庭でフリージアを見つけた。

防寒のため男物のコートを着て、しゃがんで薪を集めている。以前は肩より上で切りそろえていた、美しい金髪が伸びていた。ローリーは声を掛けずに、しばらくフリージアの横顔を見ていた。

ローリーは、メイド服を着ていないフリージアをほとんど見たことが無い。

フリージアはローリーにとって、姉のような存在であったが、こうして久しぶりに目にするフリージアはとても大人びて、美しかった。

フリージアが振り向き、立ち上がる。吐く息が白い。

「ローリー様!?」

「やあ!フリージア!」

フリージアに近づく、ローリー。なんだか気恥ずかしい。

「ローリー様。ひどいじゃないですか!私だけを仲間はずれにするなんて」

フリージアは笑った。その鼻や頬は寒さのために少し赤くなっており、薄紅を引いたかのように少女の愛らしさを引き立てていた。

「ごめんなさい、フリージア。僕だって会いたかったです。でも、色々なことがいっぺんに起きて…」

フリージアはローリーの手を取る。ローリーの手は温かく、柔らかだった。

「わかっています。ごめんなさい。ローリー様。待ってたんです。ローリー様が迎えに来てくれるのを」

「じゃあフリージアをここから連れ出して、いいのかな」

「あなたがその気になれば」

「そうか、それならそうするよ。僕はモンテス領の諸侯だからね」

「ええっ!」

ローリーは慌てて、声を小さく、とジェスチャーする。

「す、すみません…」

「いや、ごめん。まだちゃんとしたお祝いをしていないんだ。色々、やらなきゃならないことがあって」

「ローリー様は騎士になられてから、すごいスピードで成長されていますね」

「そうかな」

ローリーは照れて笑った。

「そうだ、フリージア、お願いがあります」

「ええ、何なりと」

「僕と一緒に、お城のパーティーに行きませんか?」

「え?…ええっ!?」


ローリーとフリージアは、護衛に案内されて、グザール城に到着した。

ローリーは退位したグザール公のひ孫であり、かつて第一管区では小さな聖騎士と呼ばれ慕われていた。その政治手腕、人望はグザール城でも認められるところとなり、来賓としても異例の厚遇を受けている。

フリージアもかつて、ローリーの下で一生懸命に働いてはいたが、ローリーの活躍そのものを直接目にすることはなかった。ローリーの功績が、こうしてグザールの人々に敬意として現れて初めて、ローリーの行ってきた仕事を、彼女は理解した。ローリーはそれが誇らしく、嬉しかった。姉のように慕っているフリージアの前で、自分が重んじられることに。

フリージアはローリーと別れ、グザールのメイドたちにパーティードレスを着せてもらう。

まるで夢のようだ。おとぎ話の、貧しい娘。それが魔法の力で、お姫様になる。

そんな夢物語が、現実のものになろうとしていた。

だが、そんな状況を素直に喜べるほど、フリージアは無邪気な少女ではない。長い側仕えの経験は、彼女に用心深く、慎重な一面を与えてもいたのだった。

どうしよう…パーティーの席で、私の出自がみんなにバレてしまったら…もし私が追い出されたりなんかしたら、ローリー様に迷惑が。

着付けを手伝ってもらいながら、彼女の不安はどんどん大きくなる。

「さあ、出来ました。フリージア様。いかがですか?」

年配のメイドが微笑む。フリージアは鏡の前に立たされ、ドレスで着飾った自分と対面する。

「…!」

不安は消えてなくなった。綺麗…素敵だわ。

それはグザールの伝統的なベージュのドレスだった。一見地味な配色ながら、刺繍で美しい花の意匠が取り入れられており、それはフリージアの長く美しい金髪を引き立てている。

「フリージア様は、お若く、スタイルがよろしいから。グザールのベーシックなドレスがとても、お似合いですわ」

羞恥に耳が朱くなる、フリージア。

「アクセサリーはどうしましょう。控えめなものにしましょうか」

メイドが銀のネックレスを2、3用意して首にかけてみる。

「だってフリージア様の唇よりも美しいアクセサリーは、ございませんからね」

これにはフリージアも、俯いて黙ってしまった。

まるで夢物語。そう、これは夢なんだ。一夜限りの、夢。私はローリー様のお側仕えにしかすぎず、偶然、この様な機会が巡ってきたにすぎない。

にっこりと笑うフリージア。楽しまなければ、損だわ!こんど姉さんたちにあったら、盛大に自慢してやるんだから!でも…ふふっ…とてもじゃないけれど、信用してもらえないだろう。姉さんはこういうだろう。フリージアのほらが始まったわって!

思わず、吹き出してしまうフリージア。

「あら!お世辞なんかじゃありませんわ!私はグザール中の貴婦人の着付けをさせていただいてるんですからね!」

慌ててとりなす、フリージア。しきりに詫びる。

「申し訳ありません!そうではなくて、その、普段はこんな素敵に、着飾って出かける機会がありませんので、緊張してしまって」

今日は素敵な夜になるんだから…ローリー様に恥をかかせないようにしなきゃ。レディーよ。レディーになるのよ、フリージア。

その時、衣装室に一人の貴婦人が現れる。青いドレスの長身の女性。諸侯の夫人、エリカであった。フリージアに向かって会釈する。フリージアは慌てて、お辞儀をした。

「この度はお招きいただき、ありがとうございます」

「よくお似合いですね」

エリカが優しく声をかける。この部屋はエリカ夫人の衣裳部屋なのである。

「ありがとうございます!」

フリージアはグザール領で長く働いていたが、エリカ夫人と出会うのは初めてである。

「今日はぜひ、楽しんでいらしてください」

微笑むエリカ。メイドたちと何事か相談し始める。フリージアは礼を述べてから衣裳部屋を後にする。

新たな諸侯の就任パーティーは城の一階の会議室で行われることになっていたが、来賓すべてが収まりきらず、中庭にテーブルセットなどが持ち出されて一部ガーデンパーティーのような状態となっていた。

松明の温かな光に照らされた中庭は情緒的な景観であったが、寒さのために女性は皆会議室の方に誘導された。

ローリーを探すフリージア。大勢の貴族にまぎれてしまい、不安を覚える。パーティーを楽しんでやるんだと、意気込んでいたフリージアではあったが、ローリーを見失い、心細くなる。

庭で楽団が演奏を始めた。優しく、どこか寂し気なメロディー。不意に悲しくなるフリージア。やはり、自分は場違いだ、というような気持ちが沸き上がってくる。会議室の、庭に通じる開け放たれた大きな搬入口付近に、人だかりができている。フリージアは近づいていく。

その中心に、ローリーがいた。左右にボディガードの男性を従えている。周囲には貴婦人や、貴族たちが群がり、ローリーの話を聞いている様だ。ローリーはグザールの伝統的な紺のスーツを着ている。やや丈があっておらず、足元はしわになっているが、その姿はとても華麗で、印象的である。

ローリーが笑う。すると、周囲でも大きな笑いが起きる。照れて俯くローリー。拍手が巻き起こった。

フリージアは遠くからローリーを見つめる。なんて素敵なんだろう、ローリー様。

胸がときめく…けど、疎外感が大きくなっていく。ローリー様、私を見ていただけますか。私だって、メイドさんに褒められたのに。貴方のために、このドレスを着てきたんですよ…?

すると、遠くのローリーが不意に顔を上げ、まっすぐにフリージアを見つめ返してきた。驚くフリージア。周囲の人々が道を空け、ローリーとフリージアを隔てる物は今や何もない。フリージアの鼓動が早まる。フリージアのもとにローリーが歩み寄る。

「フリージア、素敵だよ」

少年はいつもの笑顔を見せた。

「ローリー様!お気づきになったんですか?」

「もちろん、さあ、みんなに紹介するから」

手を引かれていくフリージア。ローリー様が、私を見つけてくれた!ローリー様と私の心は、つながりあっているのかもしれない…。

「私の秘書の、フリージアと言います。頼れる女性なんです」

お辞儀をするフリージア。皆がフリージアを笑顔で認める。

すると、給仕たちがグラスを乗せた盆を運んでくる。マイネン・グザールが演台に立った。

「フリージア、お酒は飲めるよね?」

「ええ、多少は」

「じゃあ、僕の代わりに頼むよ」

「もちろんです、ローリー様」

フリージアはローリーにグラスを手渡される。マイネンのスピーチを聞くローリーの横顔を、フリージアはじっと、盗み見ていた。

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