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第53話 領主の決意

「お父様!」

返事はない。ローリーが父の私室に入るのは、ほぼ一か月間ぶりであり、モンテス八世はすでに会話が困難なほど衰弱していた。

ベッドには目隠しが引かれており、ローリーはそこに横たわる父の、うすぼんやりした姿を認めた。

「ローリー様、最後のご挨拶を」

医師でもある、メディナ領の諸侯、ユディスに告げられる。ローリーは茫然と父の姿を見つめた。生きているのか、死んでいるのか、判別できない。

「お父様!ご心配なく。私は、諸侯としての責務を果たします」

ローリーははっきりと父に告げた。しかし、やはり父からの返答はなかった。

「お父様は聞いておられますよ。ローリー様」

ユディスは目隠しを避けて、モンテス八世の手を取った。近づき、父の手を取るローリー。

父の手は冷たく、肉が削げ落ちたように細く、ローリーは父の死が避けようのない事実であることを実感する。

「お父様…」

ユディスが再び目隠しを閉じる。脇の机から封筒を取り、ローリーに手渡した。

「ローリー様。お父様からのご遺言です」

頷き、受け取るローリー。その時、覆いの内から、はっきりとした声がした。

「ローリー。報告は受けた。見事…」

駆け寄るローリー。

「お父様!」

目隠しに手を掛けようとするが、ユディスに止められる。父はきっと、衰えた自分をわが子には見せたくないはずである。そんな思いから出た行動であった。

「モンテス領の事は、僕にお任せください!お父様に受けたご恩は、終生、忘れません!」

「ローリー。王道を行け。覇道より、王道こそ、お前にふさわしい」

「お父様!」

「もはや悔いはない。行きなさい、ローリー」

ローリーは部屋を退出した。不思議と涙は出なかった。覚悟していたせいであろう。もう、お父様を頼ることはできない。これからはモンテス領の全ての人間が、僕を頼って生きていくことになるだろう。

「後のことはお任せください」

ユディスがローリーに告げた。頷くローリー。

「ユディス先生、ありがとうございました。父に、手を尽くしてくださって」

「…お父様は、実によい生き方をなされた。これから苦しむこともありません。もうお休みになられるはずです」

「諸侯として、お忙しいのに」

「それはお互い様でしょう」

ユディスは微笑んだ。

「念のためもう一度、左腕の傷を見せてください。私は、明日の馬車で戻ります」

「落ち着いたら、改めて、ご挨拶に伺いたいと思います」


ローリーはユディスと別れ、トレッサを連れて私室に戻った。引っ越しはおおかたすんでいたが、ローリーのベッドは未だそこに置いてあった。

ローリーが一人になれる場所は、もはやこの部屋しか残っていなかったが、ここもじきに引き払うことになる。

ローリーはベッドに仰向けに倒れ込み、父の遺書を読み始める。するとトレッサも真似して、ローリーの横に寝転んだ。トレッサの頭を優しく抱いてやるローリー。

それはモンテス八世の筆によるものであったが、財産の目録など相続についての取り決めを、すでに法律顧問のパルンに託してあるとの簡素な内容であった。父の最期の言葉を思い出すローリー。

「…王道」

どういう意味なのだろう。バスチオンの顔が浮かぶ。バスチオンは謹慎処分という事で、モンテス八世の執務室の一つに閉じこもっているはずだ。

ローリーはバスチオンを訪ねることにする。聞きたいことは山ほどある。

「ねえトレッサ、夕ご飯を、一緒に食べようよ」

「いいわ!」

ローリーはこれ以上、トレッサとの約束を破りたくはなかった。小さな約束を交わして、独り、バスチオンを訪ねる。


「バスチオン、いますか?」

ノックし、扉をそっと開ける。老執事は広い部屋に独り、読書をしていた。執務机には大量の本が積んであった。

「ぼっちゃま」

「やあ。久しぶりだね」

ローリーは扉を閉める。親のようにバスチオンを頼ってきたローリーであったが、久しぶりの再会に少し気恥ずかしさを覚えた。

「もう、じいって呼ぶのは止めようかな。僕は諸侯になってしまったし」

「ではバスチオンとお呼びください。ぼっちゃま」

バスチオンは笑って、本を閉じると立ち上がった。

「お怪我はよろしいので?」

「うん、ステフォンのお医者さんの、腕が良かったみたいだ」

一時期、はれ上がっていたローリーの矢傷は快方に向かい、今では痛みもひいた。

じい…君は、あの時、ファルドン先生に刺されたように見えたんだけど…。ローリーは何故か、バスチオンに尋ねることができない。

「お父様にあった。きっと今は安らかに、眠られている」

バスチオンは頷く。

「じい。王道って、何かな。覇道という言葉と、何が違うのかな」

ローリーは、父の最期の言葉の真意が分からなかった。バスチオンは少し、考えた。

「王道とは、徳をもって人をつなぐ事。覇道とは、威をもって人を制する事、ではないでしょうか」

「…徳をもって、人をつなぐ…僕にできるのかな…」

「それはぼっちゃまが、グザール総督としてやっていた事、そのものではありませんか」

はっとローリーはバスチオンを見つめる。いつもの微笑がそこにあった。

人を、つなぐ。そうかもしれない。僕は、自分の無力を感じていた。だからバスチオンを頼り、騎士団の仲間を頼り、そして、管区の大勢の人を頼っていた。それは恥ずかしいけれど、仕方のない事だった。確かに、僕にはシステムの力がある。だから僕は神童と呼ばれた。でも、システムは万能なんかじゃない。僕ができないことは山ほどあった。でも、いつだって皆が助けてくれた。そういう事なのかな…。

「王道を生きたものと、覇道を生きたもの。私は、どちらのお方も、よく存じ上げているのですよ」

ノックとともに、メイド長のカマラが入室してきた。バスチオンはカマラに、お茶を頼んだ。

「怖いんだ。不安なんだ。僕は、父の代わりをしなきゃいけない。父に、そう約束をしてしまったんだ」

「ええ、そうでしょうとも。ぼっちゃまはそういうお方です。でも、ぼっちゃまならそれが可能だ」

バスチオン、どうか僕を助けてください。ローリーはそんな言葉を飲み込んだ。

バスチオンの傀儡にすぎない…ファルドン司祭に投げかけられた言葉が、重く、心にのしかかる。モンテス城の誰もが、僕をそう思っているに違いない。今この瞬間にあっても。

「もはや私のような年寄りがあれこれ言わずとも、ぼっちゃまなら、一人で充分に、職責を果たされることでしょう」

「だけど…」

「今のままでよい。ローリー様は、何ら変わる必要などございません。今のままで十分でございます」

「そんな」

「では、グザールでのことを思い返されるとよい」

「うん…」

「あなたは、人と人をつないでこられた。素晴らしいことではないですか。ところで、ここ、モンテス領にも多くの人々が存在する」

バスチオンは続けた。

「律法学会、騎士団、官僚、召使…すべての人たちには、居場所がある。それぞれの仕事、地位、役割がすでにあるのです」

「…」

「諸侯などいなくとも、彼らは生きていく。モンテス領は、動き続ける」

バスチオンは微笑んだ。ローリーは戸惑う。諸侯の存在こそが、領地をまとめるのではなかったのか?

「…では、諸侯なんて、ただのお飾りのようなもの…という事でしょうか?」

バスチオンは首を横に振った。

部屋にカマラが入ってきた。お茶を渡されて、礼を言うローリー。温かい。ローリーはバスチオンと話す時間が好きだった。いつの間にか、ローリーは諸侯という重荷を忘れて、知的好奇心あふれる生徒となってバスチオンと語らっていた。

「諸侯に、リーダーに必要な資質とは。皆に希望を与えることです」

「…ええ、そうです」

「では一つ、お金という側面からものを見てみましょう」

バスチオンが微笑む。

「思い出してください。あなたが就任する前の、グザール第一管区を。財政はひっ迫し、借金が多かった。あなたはどうしましたか?」

「どうしましたって…うーん。…でも、結局、お金を借りた気がします」

「ええ、そうでした。ところで、ぼっちゃま。人は何故、お金を貸すと思いますか?」

「それは…もちろん、いつか返ってくるからですよね?」

「その通りです。ただし、貸したお金は必ず返ってくるとは限らない。だから貸し付けは、短期、少額、高利が基本です」

ローリーは首肯する。

「しかし、あなたが総督となってからはどうでしたか?商人や貴族は、あなたにどのような条件で貸し付けを?」

「…逆でした」

ローリーははっと気づく。

「高額でした。返済期日なんて決まっていなかった…お礼の利息もそこまで高くなかった。なぜなんだろう…」

「簡単に申し上げると、貸し付けとは、借りる者が歩む未来に対する期待です。将来には良い結果が出るという期待が、グザールの状況を動かしたのではないでしょうか」

「なるほど、そして、社会の将来に期待を持たせることが、リーダーの責務であると!?」

「その通りでございます」

バスチオンは微笑んだ。

「打てば響く、という言葉がありますが。まさに、ぼっちゃまだ」

「僕は、そんなことをしていたんでしょうか…」

「ええ。あなた様の誠実さ、ひたむきさ、そして、管区の住人を思う気持ち。これが、人々の期待となって、社会を動かしたのです」

そうか、わかってきた気がする。

「じい、ありがとう」

ローリーはバスチオンを見つめる。不思議だ…バスチオンは悪い人なんかじゃない。絶対に。僕を愛してくれている。僕を正しい道に、導いてくれているんだ。なぜ、ファルドン先生は…。

ローリーは不意に、バスチオンをシステムで走査スキャンすることを思いついた。今まで、考えられないような試みであった。システムなら、真実を語るかもしれない。バスチオン。貴方は、ファルドン先生に刺されたはずだ。僕は、見たんだ。貴方は、本当に、人間なのか…?

微笑むバスチオン。ローリーは罪悪感に苛まれながらも、システムを展開した…。

バスチオン、貴方は、人間だ。きっと、そうに違いない。システムの青白い光が、周囲を包む。

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