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第52話 父との別れ

ファルドン司祭が謎の死を遂げてから数日後。モンテス領では大きな政治的な動きがあった。

そう、ローリーがついに諸侯となって九代目のモンテス公となったのである。

ローリーは遠征で左腕を負傷しており、安静状態を強いられたが、その間に竜討伐隊の報告書をまとめ、文書は直ちに父に上奏された。

ローリーは北方山脈の巨大洞窟で、本物の竜と出会い、システムを用いて会話した。振り返ってみれば、荒唐無稽な出来事であり、とてもではないが信じられる内容ではない。ローリーは自嘲しながらも、できる限り詳細に竜との邂逅かいこうを文書化し、さらにそれに続いて起きたインスール帝国との戦闘についても記述していった。

ローリーの文章すべてが真実であるとすれば、これは諸侯の武勇を示すに十分な内容である、とヤグリスは判断した。

竜討伐隊の中で、洞窟へと入っていった選抜隊のメンバーが極秘に事情聴取を受けた。巨大な竜が生息している事、それは眠ってはいるものの退治されてはいない事、何らかの方法でローリーと意思疎通し無害な存在であると明らかになったこと。これらの事実は結局のところ、公表することができず、竜の存在は再び物語の世界へと封じ込められてしまった。

代わりに、ローリーの武勇を示す証拠として、インスール帝国の偵察軍との戦闘が取り上げられることになった。

ローリーの諸侯就任の儀式は、異例と言える速さと、小さな規模で執り行われた。すなわち、モンテス公である父が危篤状態である事。大掛かりな国家行事であるマヌーサの祝祭が迫って居た事。今は財政状況が不透明であってローリーが質素な儀式を好む事。さらに大きな理由の一つが、ファルドン司祭の不可解な死である。

ファルドン司祭の死は、自殺として処理された。事件の現場にいたすべての人間が、バスチオンに向かって剣を突き立てるファルドンを目撃していた。しかし、その結果として、ファルドンは胸に刃を受け死亡した。一体あの時、何が起きたのかを正確に把握している人間は独りとしていなかった。

しかし、バスチオンは全くの無傷であって、さらに、ファルドンの死の間際の謎の言葉、バスチオンは人間ではない、という言葉が、皆の心に暗く、晩鐘のように今でも響いていた。

ファルドンは実質的にモンテス領の宗教界を率いる人物であった。なぜなら最高権威であるティロン司教はかなりの高齢であり、その発言力も弱まっているからである。もっとも、ファルドンの次に有力な律法学者であるルディン司祭は、もとよりヤグリスや、ローリーに友好的であり、宗教界の動揺は最小限と言えた。

ヤグリスはバスチオンの扱いに困惑していた。ファルドン自殺の重要参考人として、老執事には謹慎が命じられた。

さらにヤグリスはアンドラスの身柄も抑えてしまった。サガンら、ファルドンの盾による報復を恐れての事であった。

ローリーに尊敬する師の最期を悼む暇はなかった。また、バスチオンが何者かについても、立ち止まって考えるような時間は持てなかった。

状況はファルドンの言うとおりである。モンテス八世が退いた今、手をこまねいていては、このモンテス領はバラバラになってしまう。それはローリーが愛し、築き上げた家族関係が失われてしまう、という事を意味した。

ローリーは次々に官僚と個別に面談を行っていた。諸侯となる覚悟はできていたが、準備はほとんど整っておらず、またそのタイミングはあまりに急であった。

ローリーは合間を縫って、父との面会を求めたが、父はすでに衰弱しており、会話をすることも難しい容体に陥っていたのである。

そんな冬のある日、ローリーは医師に呼ばれて会議室へと向かった。そこで、一人の青年と出会った。

青年の名は、ユディス。ユディスはメディナ領の諸侯であり、また医師でもある。

ユディスは窓際に座ったまま、ローリーを迎えた。傍らに彼が使用している松葉杖が立てかけてある。彼は左足が麻痺して不自由であった。

窓から差す、冬の低い陽光が、ユディスの刈り上げた美しい銀髪を輝かせていた。

「座ったままお迎えするなんて、ごめんなさいね」

「ユディス様、そんなことはありません。父のために手を尽くしてくださり、感謝します」

ローリーはユディスの側に近寄って、跪こうとする。

「やめましょう、ローリー様、貴方はモンテスの諸侯だ。モンテスと言えば、ブレイクでも名門中の名門でございます」

ユディスはローリーの肩を支えて立たせた。

「私たちが他の者からどの様に見られているか、もっと意識する必要がありますね」

ユディスは笑った。

「様々な変化が立て続けに生じ、混乱するお気持ちはよくわかります。ええ、私にはよくわかりますとも」

ユディスもまた諸侯となって日が浅い、若きエリートなのである。政治の世界に縁遠いものが発する、謙虚さがその言葉ぶりにも表れていた。

しかし、ユディスはここで表情を切り替える。

「はっきり申し上げますと、お父様の回復は困難です。お父様は誇りある最期を望まれている。あなた次第です。ローリー様」

「…わかりました。ユディス様。父と会話することは、可能でしょうか」

「ええ、今ならば。お父様もそれを望んでおられる。一刻も早く、参りましょう」

その時、ノックとともに扉が開かれた。

「カマラさん」

メイドがそっと顔をのぞかせると、隙間からローリーの妹、トレッサが入り込んでローリーにしがみついた。

「トレッサ…」

「ひどいわ…おにいさま。トレッサは待っていたのに。おにいさまを、いい子で、ずっと待っていたのに」

「申し訳ございません、ローリー様。どうしてもと言うものですから」

「いや、ありがとう、カマラさん。いいんです」

トレッサ、ごめんね。ローリーはつぶやくと、トレッサを抱きしめ、その頭を撫でてやった。あまりに多くのことがいっぺんに起きて、もはやローリーには管理しきれない。

僕は何のために生きているのだろう。騎士になったら、一番に、トレッサを守ってあげると約束したのに!そんな小さな約束さえ、果たすことができないなんて…。トレッサを安心させてあげたい。しかし、ローリーが、愛する妹とする約束、どれも守り通せそうにない。だからローリーはただ、黙ってトレッサを抱きしめるしかなかった。

「素敵な妹さんだ。私にも妹がいます。もう成人して子どもがいますけどね」

ユディスは立ち上がって、松葉杖をつく。

「兄妹はいい。大人になっても、助け合う」

ユディスは促すこともせず、それきり、黙った。誰も口を開かなかった。ローリーはそんなユディスの態度に、好意を抱いた。

「トレッサ。僕はお父さんに会いに行く。お父さんはもうじき死ぬ。わかるかい?」

トレッサは答えなかった。

「僕がお父さんの代わりになる。僕がこのモンテス領のリーダーをやるんだ。わかるかい?」

「…わかるわ」

「いつでも一緒だよ。トレッサ。待っていてくれ。僕はいかなきゃならないんだ」

トレッサはローリーを離した。ローリーは妹にキスしてやると、ユディスとともに部屋を出て行った。

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