インスール軍の奇襲により、平原は混乱極まる戦場となった。
どれほどの時間がたったのだろう?いつの間にか、騎兵の突撃がやんでいる。ローリーは、システムの作用によって戦場の状況を把握した。はるか前方では、遊撃隊の馬が駆けまわっている。アンドラスとその追随者が、機動力を生かして敵を
「あと少しだ!希望を捨てるな!僕たちこそ、最強の騎士だ!」
ローリーは激励するものの、味方騎士たちの動きは鈍っていた。激しい戦闘で疲労が急速に蓄積したのだ。槍にもたれかかっている者すらいる。システムは戦場の状況を伝えている。敵の数が一向に減少していない。斥候部隊とはいえ、相手は百人を超える大きな集団だったのだ。もしこの状況で、再び敵騎兵が突撃をかけて来るならば、損害が大きくなる…ここに敵を近づけてはならない。ローリーは馬車の裏につないでいた、愛馬のユニコーン、星の光号にまたがる。ローリーの愛馬はぶるっと身を震わせる。
「さあ、行こう!君の力が必要なんだ!」
星の光号はその一本角に燐光をまとわせて、軽やかに駆けだした。ユニコーンの角には不思議な力があり、矢が避けて飛んでいくという伝説があった。ローリーはそんな迷信にさえすがる。
「危険です!ローリー様!」
ローリーを呼び止める騎士達。前方では、アンドラスやサガンの騎馬が奮戦していた。
「お兄さま!」
「ローリー!」
兄弟、二つの騎影がくるくると回りながら並んでとまる。
「奴ら、まるで
アンドラスとその馬は、どちらも呼吸が荒く汗に濡れていた。突然、前方からインスールの黒い騎兵が突撃を仕掛けてくる!
「ローリー、退いていろ!」
アンドラスが剣を投げつけると、それは驚くべき正確さで騎兵の喉に命中した!
槍を取り落とす敵騎兵。そのまま突っ込んでくる。が、アンドラスが騎兵に近づいて剣を引き抜くと、地面に落ちて動かなくなる。馬は主人を失ったまま、駆けていった。
「…ま、まるで魔法だ!」
「驚いたかい、ローリー」
アンドラスが笑う。
「一番驚いているのは、何を隠そう、この僕さ」
不意にローリーは左腕に鈍い痛みを感じる。見ると、矢が二の腕に刺さっている。
「うわっ…」
「ローリー!」
兄弟の側に、審問官の騎馬がやってきた。サガンである。
「ローリー。ここは僕とサガンで食い止める。君は、ステフォンに応援を求めに行くんだ」
「そんな…!」
「戦略的判断だ」
「ここで死ぬ気ですか!?お兄さま!」
「馬鹿な。さあ、腕を見せろ!ローリー」
アンドラスはローリーの血に染まった左腕を取る。
「矢を抜いたのか!?痛むか?」
「ええ、しかし、何とか…」
アンドラスはスカーフを取ると、それできつくローリーの左腕を縛った。
「化膿すると危険だ。早く処置しなければ」
馬のかける音が響いてくる。前方から2騎の騎兵が突撃を仕掛けてくる!鋭く、長い槍がすさまじい威力で迫ってくる。サガンが素早く前に出る。
「ぬあああああああっ!」
サガンの愛馬は足が短いが、スタミナがあり、力強い。馬上のサガンは
「まだまだぁ!」
すれ違ったインスールの騎兵を追撃するサガンと、部下の審問官。
「ははっ…たいした爺さんだ。さあ、そろそろお
アンドラスは笑いかけるが、ローリーは笑わなかった。
「お兄さま。貴方は僕の命の恩人です。僕も一緒に、戦いたいんです!」
「行けよ。ローリー。お前は諸侯になる。違うか?父はそう望んでいるのだろう?」
「お兄さまは、諸侯となるために、モンテスに戻られたのではないのですか!?」
アンドラスはちらと戦場に目を戻した。すでに騎馬の姿は無く、インスール兵たちは遠巻きに集まってこちらをうかがっている様子である。
「うん。最初はね…ローリーっていう神童くんをこの目で見てやろうって、思っていたのさ」
「なぜ、僕の命を助けてくれたんですか?お兄さま」
「…お前を、誰にも殺されたくなかったからさ。お前を…殺すのは、僕の役目だと思っていたからね」
アンドラスは笑った。戸惑う、ローリー。
「でも反対に僕がやられてしまったよ。お前にね。お前のその、美しい瞳に」
インスールの独特な角笛の音が響く。インスール兵たちが一つに参集している。
「まずいな。突撃を仕掛けて来るぞ。ローリー。行けよ。ヤグリスによろしく伝えてくれ」
「お母様に?」
「そうさ。僕はヤグリスが好きなんだ。愛しているんだよ」
アンドラスが大きな声で命令すると、周囲に騎士達が集まってきた。そして、ファルドンの盾のメンバーも。
「ローリーは護衛を連れて今すぐここを離脱しろ。緊急時ゆえ、戦闘指揮は僕がとる。異議あるものはいるか!?」
周囲の騎士たちは静まり返る。サガンですら、アンドラスを見つめたまま、黙っていた。その瞳は、モンテスへの忠義に燃えている。
コモドーが息を切らしてアンドラスの元に駆け寄る。
「アンドラス様!この老いぼれめに、どうか一番槍の栄誉を!」
サンダー、レイザーも駆け寄ってくる。再び、インスールの不気味な角笛の音が響いた。
「飛蝶騎士団はローリーの護衛として、ここを離れるんだ。今すぐに」
コモドーが悔しさのあまり、槍で地面を叩いた。
「見ろ!ご主人様が負傷しているんだ。わかるな!?コモドー、ローリーを頼む!」
「ローリー様、参りましょう!命に代えても、あなたをお守りします」
サンダーが言う。ローリーは躊躇っていた。ここに残るのか、それとも逃げるのか。未来が、結末が知りたい。しかし、システムはこの戦いがどのように変化していくのか、ローリーの望む答えを出そうとはしなかった。
その時、インスールの角笛がひときわ大きく、長く鳴らされた。
「コモドー!命令だ!早くローリーを連れていけ!」
アンドラスは覚悟を決める。
そうさ、僕は破戒卿と呼ばれた落ちこぼれだった。しかし、悪い人生ではなかった。
ヤグリスに愛してもらった。
弟、ローリーと出会い、心を通わせた。
悪くない…いや、実にいい人生じゃないか…!我知らず微笑む。
一陣の風。それは汗をかいた身体に心地よかった。
不意に静寂が訪れる。すると、隊列を組んでいた敵騎兵たちが、踵を返し、去っていくではないか!
「お兄さま!敵が…」
インスール兵が引き潮の如く去っていく。アンドラスは茫然とそれを見送っている。
「退いていく…何故だ」
「異教徒どもめ!我らファルドンの盾の恐ろしさ、身に染みたか!」
サガンが吠える。
ローリーの心に安堵が広がっていく。
「さあ、僕たちも引き上げましょう!敵が戻ってくるかもしれません!ここは退くのです!」
アンドラスは頷いた。
「それが賢明だね。逃げるのは得意なんだ。任せてくれ」
ローリーがラッパを吹くと、騎士達が参集した。60名程度いた戦闘要員は、半分近くに減っている。
「負傷者を馬車に乗せて…物資は…投棄します」
馬が疲弊しており、これ以上人を乗せることは難しい。食料も尽きている。果たしてステフォンまで無事にたどり着けるのか。
「ご遺体は…残していきます。皆さん、並べるのを手伝っていただけますか」
ローリーらは戦死した騎士達を並べて、簡素に弔った。味方以上に、敵兵の亡骸が多い。息をしている者もあったが、騎士たちはそれらの者にとどめを刺してやった。
ローリーは戦死者たちに詫びた。
無意味かもしれないが、詫びずにはいられなかった。故郷を離れ、この地に伏した物言わぬ人たち。敵も味方も…国のため、家族のため…いや、己の誇りのために、命を投げ出した人たちなのだ。正しい弔いを行えず、申し訳ありません。しかし、生者には、責があるのです。歩みを止めることは、許されない。
出発の準備を素早く整える。負傷者が馬車に乗り切らず、歩ける者は荷物を捨てて歩き始める。
ローリーは賭けに出た。敵がもし、追ってきたなら…。竜討伐隊にはもはや戦い抜く力はない。
しかし、重い荷物とともに、ここで立ち往生するよりは、賢明な選択であると判断したのだ。
メーヤーの顔が浮かぶ。微笑んでいる。
メーヤー…どうか、僕を助けてください。マヌーサ様、天上の騎士たちよ。どうか、僕たちを助けてください!
左腕にまいたアンドラスのスカーフが、真っ赤な血に染まっていた。血は止まっているようだが、ローリーはズキズキと痛み始めた腕を押さえながら、先頭を歩き始める。
冬の低い太陽が、沈み始めていた。