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第48話 相克、兄と弟

ローリーは馬車に揺られながら、自身の体験した驚くべき出来事を書き記していた。

その傍らでは、メイドの少女マイアの膝に顔をうずめるように、異母兄フランシスが眠っている。年齢不相応に小さなフランシスは、慣れぬ環境で疲れが出てしまったのだろう。ローリーは障がいを抱えた兄に無理をさせたことを、悔いた。しかし、フランシスがこの遠征で完成させた大量のスケッチは緻密で正確であり、モンテス領に有益な地質や、動植物の知識をもたらすに違いない。


不意に、ローリーの馬車がとまる。何かあったのであろうか。顔を出すと、伝令が走り寄ってくる。

「ファルドン司祭の宗教警備隊より、ローリー様にお伝えしたいことがあると」

「ファルドン司祭の?」

ローリーは馬車を降りた。

まさか…ローリーの脳裏に、父の姿が浮かぶ。父の容体が急変したというのか。それを伝えるために、ステフォン領を介して、早馬が…!?

しかし、その予想は覆される。馬に乗ったファルドンの盾のメンバーが、行く手に立ち塞がり竜討伐隊の進行を阻止していたのだ。

先頭に立つ、馬に負けぬほどの巨躯の審問官。ファルドンの盾を率いる、サガンがローリーを待ち受けていた。

ファルドンは権力者とはいえ、宗教界に影響力を有する人物である。軍部が立案し、実行する、竜討伐に関しては何の権限も持たないはずである。当然、その部下であるサガンにも、竜討伐隊の進行を阻止する権限などない。

「ローリー様に召喚状が発せられております」

サガンは威圧するように、ローリーを見下ろした。ローリーはサガンに向かって微笑む。

「それは父からの?」

「いえ、ファルドン様よりの」

「ファルドン先生が?いいでしょう、参りましょう。貴方たちが一緒ならば、心強い」

ローリーは背を向ける。しかし、サガンは動かなかった。振り返り、眉をひそめる、ローリー。

「サガン殿、さあ…」

「なりませぬ!」

サガンの怒声が響く。びくりと身を震わせるローリー。周囲の騎士たちは押し黙った。

「ローリー様!竜退治の布告、その目的は竜の発見と、討伐。貴方様は、その任を全うなされたか!?」

はっとするローリー。慌てて反論する。

「サガン殿。此度の遠征の目的は、竜という存在の調査と、モンテス四世の痕跡の発見にあります」

「それは正しい布告の解釈ではない!」

唇をかむ、ローリー。サガン。激しやすいが、本来は忠実な騎士なのだ。この遠征の実体はローリーの功績作りである。存在しない竜を探し出し、存在しない証拠を持ち帰らねばならない。それはある種の欺瞞ぎまんである。ローリーはその良心に再び、負い目を感じる。

「竜は、存在したのです!私は、それを見た!」

ローリーの周囲に、騎士達が集まっていた。ただならぬ雰囲気に皆、静まり返る。

「竜の討伐が、此度の討伐隊に与えられた、命令のはず」

「私は、竜を見ました。本当です。あれは、無害な存在です!討伐の必要などない!」

ローリーは助けを求めるように、傍らの分団長たちに目をやる。しかし、予想外のことが起こった。彼らは目を背けるように、俯いてしまったのだ。

「スタインさん、ライノスさん!見たでしょう!?あの恐ろしい竜を!」

指揮下の分団長らは無言であった。驚きとともに、ローリーは察した。何か、大きな罠が仕掛けられていると。意を決して、サガンに向かって行くローリー。眼前にそびえる審問官を見上げると、告げる。

「私はモンテスに帰還するまで、布告の正しい解釈の下、討伐隊を指揮している。ファルドン司祭の配下である、あなたの指示には従いません」

「ファルドン司祭の召喚命令に従えないとするならば、実力行使に出るしかありませんな!」

サガンの周囲にファルドンの盾のメンバーが参集した。白装束の屈強な戦士たちである。鉄製のこん棒などで武装している。

「サガン隊長。遠征隊はモンテス騎士団の命じで動いている。貴方には、その進行を止める権限はない!」

ローリーは震える声で告げる。腰の剣、その柄に手をかけた。騒然となる騎士達。しかし、討伐隊のメンバーは、動かず、ローリーに加勢しようとしない。

その時であった。

「サガン殿。あんたの忠誠はまことにあっぱれ!」

なんと槍を構えた老コモドーがローリーの前に躍り出た。

「しかし!ローリー様に手向かうものは、たとえ審問官様とて、わしの敵でがす!」

続いて、静かにローリーの背後にたった人物がいる。ローリーの忠実なる部下、精悍なるサンダーだ。無言で抜剣すると、前に進み出でて、コモドーと並んだ。

「貴様ら…審問官に向かって、剣を抜くとは!」

サガンの怒声が響き、周囲が静まり返る。うなだれる分団長。

このままでは同士討ちである。焦るローリーは、コモドーに声を掛けようとしたが、やめた。

コモドーは命より大切なものを守るために、前に出たのだ。ローリーに彼を諫めることはできない。代わりに、ローリーは嘆願するように叫ぶ。

「サガン殿!もう一度言う。遠征隊の進行を妨害することは、越権行為…いえ、モンテス公への造反となりますよ!」

どこからか、騎馬の近づいてくる蹄の音がする。

サガンはニヤリと笑うと、後方を顧みた。

良いタイミングだ。下賤な殺し屋ども。ローリー様、いや、悪魔バスチオンの傀儡を、手早く始末するのだ。これこそが、ファルドン猊下のお計らいである!

しかし、様子がおかしい。騎馬は一騎のみであって、予定と異なる。やがて馬上の人物が認められるほどに、近づく。

果たしてそれは、サガンの期待する人物ではなかった…アンドラス!目を見開く、サガン。影の冒険団の姿が見えない。アンドラスはサガンの神経に障る、あの笑みを顔に浮かべて近づいてきた。

「これはこれは、警備隊長殿。面白いところで出会うな。君も竜を見にやってきたのか?」

アンドラスを睨みつける、サガン。

「…待ち人来ず」

アンドラスがつぶやく。言葉の意味に気づいて、サガンが応えた。

「アンドラス、貴様…!ファルドン様の邪魔だてをすれば、許さぬぞ」

馬から降り立つ、アンドラス。ローリーらとサガンの間に立った。その顔はどちらでもなく、果て無く続く平原に向けられている。

「ファルドンには念押ししたんだけどね。ローリーには指一本、触れるなと」

「…では貴様が始末をつけるんだな」

ローリーのほうを向く、アンドラス。槍を構えるコモドーと目が合った。老騎士は腰を落として、今にも槍を突き出さんとする格好である。対峙するローリーとアンドラスを、武装審問官らが包囲した。ローリーの配下、第四、五分団は全く動かない。

アンドラスの剣が、カチャカチャと音を立てている。青年は震えているのだろうか。しかし彼が剣の柄に左手を添えると、それもおさまって静かになった。

「お兄様…」

「ローリー。僕を軽蔑するか?」

ローリーは笑った。

「いいえ。あなたは、私の命の恩人ですから」

「いや…僕は…」

アンドラスはローリーを見つめた。

「…知っています。ファルドン先生から色々、聞きました」

「…」

「僕が死ねば、お兄様が次の諸侯になる。そうでしょう?」

「…」

言葉を失う、アンドラス。ローリーはそんな兄の姿を見ていられず、目を伏せた。

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