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第43話 竜退治へ

ステフォン領の境に近い、モンテス城北門前広場。正午。風のない曇天どんてん。多数の軍馬のいななき、指揮官の怒鳴り声、雑談する騎士達。喧騒は奇妙な秩序を保っていた。この遠征軍を組織したのは、たった一枚の命令書。つまり、モンテス公の竜討伐の指令書である。

指令書はまず騎士団にて会議にかけられた。もちろん、ローリー分団長も参加している。

誰一人として、見たことも、襲われたこともない、存在するかも判然としない、竜。それを探し出して、討伐せよとの命である。

モンテス騎士団としては、一定の目標を立ててそれを達成することが求められる。

つまり、命令を解釈して成果を上げる事。これが主君に対する任務なのである。

ヤグリスはまず、確定した事実からこの命令の趣旨を再構築した。

かつてモンテス四世が北方山脈の巨大洞窟に竜退治に赴き、消息をたったとの記録が、モンテスには残されている。

そこで、ヤグリスは指示書にこの様に記した。モンテス四世の痕跡を発見し持ち帰る事、竜の存在を裏付ける資料があれば持ち帰る事、以上の二点である。もちろん、この指示はローリーによって達成されることが前提である。此度の遠征は、ローリーが諸侯となるための実績づくりが主たる目的であったから。

ローリーはそれを理解している。しかし、腑に落ちない点もある。

つまり、竜とは想像上の生物にすぎない。竜に関する情報を、モンテス家は公表しておらず、領民はおとぎ話であると考えているのだ。

その様に考えた場合、ローリーは存在しない竜を倒し、その証拠を持ち帰らねばならない。それは皆を欺瞞する結果となるのではないか。

自身の立身出世のため、領民を騙す行いは、罪であるとも思われた。


ローリーは遠く、雲にけぶる北方山脈を見やった。天気の良い日は、その頂に白い雪が美しく輝く。傍らにはいつの間にか、飛蝶騎士団のメンバー、コモドー、サンダー、レイザーが参集していた。

フード付きマントを頭からすっぽりとかぶった、奇妙な少年がメイドに手を引かれてやってくる。フランシスである。ローリーはこの遠征に、フランシスを同行させたのだった。その目的は、フランシスに様々な動植物を筆写させることにあった。

遠征には、莫大な費用が掛かる。それを少しでも賄うため、ローリーはフランシスの描いた絵をもとに図鑑を作成し、売り出すつもりであった。

遠征には、ローリー配下の第十三分団、そして第四、五分団が参加することとなっている。

騎士団とその騎馬、荷引馬車、事務員、世話係、など、総勢90名の竜討伐隊は、ひとまず山脈に接する北のステフォン領目指して、歩み始めたのであった。

モンテス領からステフォン領までの街道は整備され、交通量も多い。もともと、馬の飼育に長けたステフォン家は、その広大な領地に多数の厩舎や、騎馬の訓練場を有している。馬の飼育に適した安定した気候と、良好な牧草地がステフォン領を特色づけている。

モンテス家はグザール家と強い同盟関係を築いたことにより、同時にグザールとつながりの深いステフォン家とも、交流を深めたのである。


竜討伐隊はひとまずステフォン領南端の街道町に駐留し、装備を整えた。

真っ先にステフォン家の諸侯、ムールに謁見したローリーは、竜討伐隊の目的を説明し協力を仰いだ。事前に書面で連絡してあるとはいえ、モンテスの騎士が大挙して他領に駐屯するという事態は、一種の示威行為ととられかねないためである。

ステフォン公ムールは五十代の中年男性であり、グザール公とは旧知の間柄であるから、ローリーの申し出を快諾してくれた。何より、竜討伐という言葉に強い興味を抱いている様子である。

「山間に牧畜を生業とする一族の集落がありましてな」

ムールは乗馬が得意との事であったが、見た目はでっぷりと太り、身のこなしはあまり軽やかとは言えなかった。しかし、柔和な顔つきであり、小さな眼がキョロキョロとせわしないが賢そうで、様々な情報をローリーに与えてくれた。

「なあ、ワーニャ、何と言ったか、あの者らは」

「ホピンの一族ですね?陛下」

「さようさよう。ホピンの一族は、竜の穴を畏れ、崇拝し、そこに死者を葬るのだというぞ」

隣に控える執事のワーニャが答えると、ムールはそれを受けてローリーに告げる。

「竜の穴、やはり、実在するのですね」

「実在するとも。春になると、雪解け水やなんかが、竜の穴からたくさん出てくるのだよ。大きな流れになってな」

「竜の穴に、私の先祖が探検に行ったというようなお話を、ムール陛下はお聞きになっておりますか?」

「…聞いたような気はするのだが、そのような記録はあったかな?ワーニャ」

「申し訳ございません。今、すぐには…」

「うむ。とにかく、水の枯れた今の季節ならば竜の穴への探検も可能であろう。ホピンの奴らは、竜の鳴き声がするのだと言っておってな。無知な臆病者どもは」

「竜の鳴き声!?で、ございますか!」

「うむ。おそらく、地下水脈の音であろうと思う」

ムールはニッコリと笑った。

「胸が躍るよ。ローリー殿。もし、竜が実在するというのならば、わしもこの目で見てみたい!」

ローリーは跪き、礼をする。

「もし、竜を見つけましたならば、一番に陛下にご報告させていただきます!この度はご厚意ご温情、誠にありがとうございました」

ローリーとムールは固く握手を交わす。


案内に導かれ、ステフォン領より二日かけて、一行はホピン一族の集落にたどり着く。ローリーは討伐隊の責任者として、ホピンの族長に面会を許された。ホピンの族長は高齢の老婆であり、名をホヌアと言った。

ホピンの一族は独特の言語を用いており、コミュニケーションには通訳を介する必要があった。

ローリーは自己の先祖が竜の穴で行方不明になったこと、その遺物を探しに来たことを伝えた。

そして、竜の穴がホピン一族の霊的象徴であって死者の埋葬場所にもなっていることに鑑みて、調査には礼儀を尽くすことなどを説明した。

ホピンの礼式に倣って、足を組み、両手を地について、深くお辞儀するローリー。ホピンの若者たちはローリーらの来訪に一時、騒然となったが、贈り物を持参し、族長にホピン式の礼を尽くすローリーを見て、ひとまずは安心した様子であった。

族長ホヌアは、ローリーの手を取ると、しわだらけの顔に笑みを浮かべる。

「ローリー様。今夜、竜が災いをなさぬよう、ホピンの一族が宴を開き、祈りをささげてくれるそうです」

通訳が告げると、ローリーは満面の笑顔で、感謝の意を表す。


早朝、霧が晴れぬうちから、竜討伐隊は竜の穴に向けて出発した。北方山脈の足元、勾配のある悪路を馬は懸命に登っていく。

清流を横目にローリーらは林を登っていく。水によって浸食された巨岩が、今や苔むしてローリーらの行く手を阻んだ。

正午、道が開けた。大きな水たまりを中心として木々が立ち並び、山頂方面に切り立った崖。その崖に、まるで光を吸い込んで捉えるかの如き大きな穴が口を開けている。

「ここが…!?」

一先ず、休憩とする。周囲に石で造った塚が散見される。ローリーはここに拠点を置くよう、指示する。雨除けのテントが組み立てられる。

「ここはホピンの聖地です。注意を払ってください」

ローリーは恐ろしく巨大な空洞を目の当たりにし、寒気を覚える。想像よりも、かなり巨大な洞窟である。モンテスの図書館別棟がそのまますっぽりと入る大きさだ。その奥底には光が全く届いていない。不用意に入り込めば、竜に会うどころではなく、命を落とすことになるだろう。

「コモドー、食事の準備を。リーダーを参集させてください。会議をします」

コモドーは頷き、号令をかける。

ローリーは考える。糧食はもって三日間ほど。探検は慎重に、けが人を出すことなく行いたいが、のんびりしてもいられない。

まずは数名で、中継地点となるような場所を確保するべきだろう。しかし、そんなことが可能なのか、ローリーは自身の想像力の無さを悔やんだ。

というのも、竜の穴は真に暗闇であり、用意していたランタン程度では、ほんの手前までしか照らせないからである。もっと大掛かりな照明器具が必要だった。

もし、仮に、本当にこの中に竜が存在するとしたら…?それは想像するだに苦痛であったが、恐ろしい事態を引き起こすに違いなかった。

その時だった。洞窟の入り口に向かって、内部から冷たい風が吹き付け、テントを揺らした。すべての者が、恐ろしい暗闇を見つめる。

ウォオオオオオォォォォ…

大きな音が洞窟内でこだました。…水の音?しかし、これは…あまりに、生き物の声じみている。討伐隊の全員が、押し黙った。

生命の原初の記憶…恐怖の記憶を引き出すような、恐ろしい音に、その場の全員が、凍り付いた。

竜は、実在する。誰もがそう思ったが、口を開くものは誰一人として、いなかった。


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