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第41話 小さな恋

老コモドー、皮肉屋ブレーナー、精悍なるサンダー、そして、見習いレイザー。

彼ら飛蝶騎士団のメンバーはグザール領第一管区、総督事務所で働いていたが、ローリーに竜退治の命が下ったことで、状況が変わった。

事務所はグザール近衛騎士ハインスが責任者となって引き継ぎ、飛蝶騎士団は竜の討伐隊に加われとの指示が、モンテス騎士団本団より伝達された。

身支度を整える4名の騎士達。そんなメンバーを、寂しそうに見ていたのが、メイドのフリージアである。

彼女はローリーの側仕えとしてグザールに同行していたが、この度の遠征には参加せず、この事務所で待機するように執事のパットより命じられたのである。


フリージアは、グザール領に皆でやってきてから、今までの事を思い返していた。

ローリー様は突然、総督になられて、本当に忙しかった。ここはお城と違って全然人手もないし。

ローリー様は幾度も恐ろしい目に合われて…そして、あのお優しい、メーヤーさんが死んでしまうなんて。

フリージアは驚き、悲しみもしたが、メーヤーが死んだという実感が、どうしてもわかない。バスチオンは詳細を語らなかった。ただ、彼は戦死したと。

フリージアはバスチオンが逮捕されて以来、ローリーには会っていない。

ローリー様、きっと、泣いただろうな…。

フリージアの心に、ローリーの元気だが、どこか控えめな笑顔が浮かぶ。

ひどいじゃないですか…。ローリー様。私だって、あなたの側仕え。貴方の仲間の一人だと思っていたのに。私を連れて行ってくださらないなんて。

危険な旅なのだろう。それに、規律を乱すから、女性は遠征に加われないのだろう。でも。

フリージアは、もう誰も使っていない、執務室の机を見つめた。この木椅子にローリー様がちょこんと座って、一生懸命、文書を読み、サインをし、ハンコを押していた。ガラス瓶に生花が咲いている。黄色い、フリージアの花。私と同じ名前の、どこにでも咲いている、花。

私はあなたに手折られた、路傍ろぼうの花…この命枯れるまで、お側にいたかったのに。

ノックの音。フリージアが我に返る。そっと扉が開いて、レイザーが入ってくる。

「ここにいたんですね、フリージアさん」

「あら、レイザーさん。何かご入用いりようですか」

レイザーは目を伏せて、扉を閉める。フリージアはいつもと違うレイザーのしぐさに、どこか危うい空気を感じる。

「残念です。しばらく、フリージアさんのシチューを食べられそうにありません」

「…そうですね。長くなるのでしょう?」

「ええ、多分」

レイザーが右手を差し出す。てのひらに、銀の髪留かみどめがのっていた。

「これをあげたかったんです。いつものお礼に」

「そんな…私のいつもの仕事です」

「受け取ってもらえますか?」

フリージアはすぐに気づいた。これは愛の告白なのだと。レイザー。よい青年である。歳はフリージアより一歳若い。あどけなさが残るが、明るく、誠実だ。

「嬉しいです」

フリージアはやっと、言う。しかし、真心の贈り物を受け取ろうとしなかった。目を伏せるフリージア。

「いいんです。受け取ってください。それだけで、僕は嬉しい」

レイザーが手を突き出す。ためらうフリージア。

「フリージアさんは、心に決めた方がいるんですね?」

俯いたまま、首を横に振る。

「僕の実家のある、ステフォンでは、騎士は出立前に、貴婦人の祝福を受けるんです」

レイザーは寂しく笑った。冷たく光る物体を、ポケットにしまう。

「別に、好きとか、結婚したいとか、そういうのではないんです。ただ、あこがれの貴婦人の祝福を受けて、武勲をたてる」

レイザーは、フリージアから視線を外すと、語った。

「心にそういう方がいれば、男は、奮い立つことができる。僕のような弱い男でも、騎士になれるかもしれない」

フリージアは顔を上げると、言った。

「あなたは弱くなんかない。ここで一生懸命に、働いてくれたじゃないですか」

「僕はもっと、強くなる。そうしたら、僕の贈り物、受け取ってもらえますか?」

レイザーはまっすぐにフリージアを見つめた。

フリージアの中からどうしても、ローリーの面影が消えない。

私は、どうかしている…。私とローリー様とでは、身分が違いすぎる。それなのに…私は、いつかのヤグリス様のご冗談にすがって、ローリー様に恋をしてしまったんだわ。なんという愚か者だろう。

レイザーはくるりと背を向けてしまった。扉に手をかける。

「ありがとう。僕は必ず帰ってきます。強い男になって、帰ってきます」

再び、フリージアは執務室に独りとなった。


同じ頃、総督事務所から離れた夕焼け亭。陽が落ちると、労働者や旅人でにぎわう街道筋の酒場である。

独りの女が壁際で静かに酒を飲んでいる。これは少々奇妙な光景であった。というのも、酒場で一人で飲んでいる女には大抵、周囲の男が声をかけて同席し、酒をおごろうとするからである。その手荷物、壁を背にするような姿勢、女は冒険者であるように思われた。

不意に、一人の男が近寄ってきて、正面に腰かける。女の顔は酒で少し染まっていた。女は男を睨みつける。しかし。

「あら、あなた…」

「やあ、また会ったね」

騎士ブレーナーであった。

女はバルトリス。影の冒険団のメンバーで、メーヤーを襲撃した本人である。この二人は何度か、顔を合わせている。

「…つけてたの?」

バルトリスは殺気を隠さずにつぶやいた。ブレーナーは笑った。

「まさか。君を尾行できるほど、俺は優秀ではない」

バルトリスの行動を監視していたのは、死神団。ローリーら総督事務所と、協力関係にあるグザール最大のギャング組織である。ブレーナーは秘密裏に、影の冒険団の調査を、ギャングのリーダーに依頼していたのだ。

「再会を祝して」

ブレーナーがグラスを掲げる。バルトリスは笑顔を作って、それに倣った。グラスが音を立てる。

「お仕事くれるの?このままじゃあたし、干上がってしまうわ」

バルトリスは媚びた表情で語りかける。背をそらし、女らしさを強調する。

「あいにく、誰かを殺す予定はないんだ」

ブレーナーは笑いかけるが、女は笑わなかった。

「調べたの?私の事」

「いいや。君の仕事とやらに、俺は興味はない」

「私をどうにかするつもり?」

「俺には無理だね。それに」

ブレーナーはうまそうにグラスを空けた。手を挙げてウェイターを呼ぶ。

「そのつもりなら、とっくにしているさ」

バルトリスはブレーナーを観察した。丸腰だ。騎士としての訓練は受けているはずだが、体捌きに秀でているようにも見えない。その真意が読めない。

「あなたのせいで、酔いがさめてしまったわ」

バルトリスはいら立ちを隠さなかった。腕を組んで、壁に寄りかかる。

「いい男だって言ってくれたじゃないか。俺を。あれは、お世辞だったのかい?」

バルトリスは黙ってブレーナーを見つめた。

「君は決まった男がいるのかい?こんな美女を独りにさせておくなんて。どうかしてるよ。ここの客は」

ウェイターが酒を持ってきた。2人分の。

「私を口説くつもりなの?」

「それ以外に何が?」

「知りたいんでしょ?私のことが」

「ああ」

バルトリスは運ばれてきた酒に、口を付ける。甘みのある、強い果実酒。それは彼女の口に合った。

「…弱い男は嫌いなの」

「俺もさ。試してみるかい?」

バルトリスは吹き出した。

「気取ってる男も、大嫌いよ」

「君のお仲間は、どうなんだい?」

「嫌いよ」

女が、吐き捨てた。

「ガキのころから気取り屋でね。深刻屋なの。この世の不幸を全部背負ったような顔しててね。陰では男同士で、いちゃついちゃってさ!」

「信じられんな。君は本当に、決まった相手がいないのか」

「ええ、男なんか、大嫌いよ。全員、地獄に送ってやるわ!」

「シーッ!まったく、周りを見なよ。ここは男ばかりなんだぜ?」

「ここにいる全員、私がやっつけてやるわ。冗談なんかじゃないのよ」

バルトリスは笑った。酔いが回っている様だった。

「ああ、わかってる。君にはそれができる」

ブレーナーは立ち上がり、勘定を済ませた。意外にも、バルトリスは席で男を待っていた。

「宿はとってあるのか?送るよ」

「そんな金ないわ。外で寝るから、ほっといて」

「おいおいおい。君みたいな美女が表で寝るのは危険だぞ」

「危険で結構。私は危険が好きなの。たまんないわ」

「凍えちまうって、言ってんのさ」

ブレーナーはバルトリスの荷物を肩に負うと、バルトリスの左の二の腕を優しくつかんだ。バルトリスは、不気味なほど、おとなしく従った。

「行く当てはないのか?」

頷くバルトリス。ブレーナーは三軒離れた宿に案内してやる。

「金はあるのか?」

バルトリスは首を横に振った。

「チッ…こっちは物入りで懐が寂しいってのによ」

ブレーナーは金を払って、鍵のない一番安い部屋にバルトリスの荷物を運んでやる。

粗末なシングルベッドにバルトリスは腰かける。

「虫がいたらいやだわ」

「フン、贅沢言うなよ。世間知らずのお姫様だぜ」

「恩を着せるつもり?」

「可愛くない女だ」

出て行こうとするブレーナーを、バルトリスが引き留めた。

「騎士なんぞに、施しを受けるつもりはないわ」

「ふん、文無しのくせに!」

「…身体で返すわ。どう?」

ブレーナーはドキリとした。罠か?バルトリスをまじまじと見つめる。美しい女だった。

「…それなら…まあ…帳消しってやつさ」

バルトリスが微笑む。まるで少女のように。


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