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第40話 竜退治の布告

マヌーサの祝祭を間近に控えた、12月。灰色の空の下、モンテス城を出発する騎士の一団があった。

ヤグリス団長率いる、モンテス騎士団、本団である。戦場に赴くかの如き、物々しい騎士のいでたち。その目的地は、同盟関係にあるグザール領。

そう、ヤグリスの出生地であり、ローリーが管区総督を任された地である。

年に一度行われる、グザール公による騎士団の総点検の式典に、ヤグリスは招かれた。モンテス八世の容体は、極秘とされている。

ローリーも馬車に乗り込み、随行する。だがローリーには独自の要件があった。

すでにモンテス城内はローリーの諸侯身分承継に向けて、動き始めていた。その最後の仕上げとして、少年は竜討伐に旅立つ。

第一管区で築き上げた人間関係と、一時的に距離を置かねばならないことは、とても心苦しかった。

ローリーが小さな聖騎士として、第一管区の人々に愛されていたように、少年もまた、管区の人々を愛していたから。

だからこそ、けじめをつけなければならなかった。

死神団のグィン、奉仕の水がめの貴婦人たち、そして孤児院のアムリータ。ともに管区のために働いた、仲間と言っていい。

もしかしたら、生きて戻れないかもしれない。ローリーは自己の総督という地位を引き継ぐ決意を固めていた。

そしてもう一つ…ローリーはある計画を、胸に秘めていた。

馬車に揺られるローリーは突然、肩を抱かれて驚く。隣にはアンドラスが腰かけていた。

「何を考えているんだい?ローリー。お前の横顔は、美しいな。思いつめた、乙女のようだ」

「やめてください。お兄さまに、美しいなんて言われたって、お世辞にしか聞こえません」

アンドラスは微笑む。ローリーを抱き寄せる。

「君は本当に、フランシスと会ったのかい?」

「ええ、会いました。すぐにわかったんです。この方は、僕の、兄だと」

ローリーはまっすぐにアンドラスを見返した。だがアンドラスは一面に広がる、寂しげな畑を見ていた。

「フランシスは、その見た目ゆえに、忌み嫌われていた。誰もが彼は育たないと、確信していたんだ」

アンドラスはまるで懺悔するかのような口調で、話し始めた。

「誰もが呪われた子だと、思っていた。もちろん、僕もさ…」

アンドラスはフランシスを心から愛していた…訳ではない。痛快だったのだ。だから世話を焼き、連れまわした。取り澄まし、気取ったモンテスの貴族共が、そして、父が…フランシスを見ては慌てふためく姿が。アンドラスは傍らのローリーを見下ろす。まともに視線が合った。

「君はそのまっすぐな心で、フランシスの本質を見抜いたんだ。君だけが」

「そんな風に言わないでください。僕だって…告白しますが…醜いと思いました。兄の顔を」

ローリーは目を伏せた。

「偶然なんです。僕は兄の描いた鳥の絵を見つけました。その素晴らしい技術に、感動を覚えました」

アンドラスに、見せたかった。まるで紙の中に封じられた本物の、鳥。そんなフランシスの、作品を。

その人間離れした腕前に、ローリーは同時に、哀しみも覚えたのだった。

フランシスとマイアは、二人だけで、塔の上で、ずっと…。

羽を休めにやってくる鳥たち。それを描きながら、兄は、どんな気分だったのだろう?マイアは、どんな思いで、兄をわが子のように愛したのだろう。

人間など気にも留めずに、自由気ままに、空へと羽ばたいていく、鳥。それはまるきり、兄と正反対ではないか…。

「僕の計画は、哀れみや同情から生じたわけではありません。僕の兄には、確かな価値がある。それだけです」

ローリーがアンドラスを見やると、彼は背をもたれて目を閉じていた。その顔には、微笑みの跡が残っている。

やがて一行は、グザール城へと到着した。


グザール公は謁見の間で座したまま、一同を迎えた。顔色は悪くないものの、体が冷えるのか、足元まで毛布で覆われている。

傍らにハインスと、セレストが。そしてパットが、アンドラスへと近づいてくる。

「パット!」

握手を交わす二人。

「変わらないな、君は。驚いた」

「アンドラス様、いえ、ベスチノ総督閣下。美丈夫とは、まさにあなた様のためにある言葉だ」

「パット、アンドラスはね、何でも真に受けてしまうから、やめて頂戴」

ヤグリスが笑って言う。ローリーはグザール公に跪き、敬礼する。

「おじい様。親類のよしみとはいえ、寄る辺なき私を重用していただいたご恩、終生忘れません」

グザール公はあごひげをさすりながら、何度もうなずいた。

「ローリー。さあ、顔を上げておくれ。実を言えば、城内にはお前の実力をいぶかるものもあったがね、一年たたずして、どうだ。なあ、ハインス」

ハインスが頷き、前に出る。

「ローリー様の監督手腕には驚くばかりです。問題抽出、状況判断、みな的確だ」

ハインスからまともに賛辞され、ローリーは照れ笑いを隠せない。ハインスはおよそ世辞など言わぬ、実を重んじる男である。

「おじい様、ハインスさん、嬉しく思います。ですが…」

グザール公が頷く。

「わかっているよ、ローリー。わかっているとも。ヤグリスから聞いている。お前は、管区の総督などに納まっていられる器ではないわ」

「もし事務所をご心配なら、ご安心を。セレストが後を引き継ぎます」

ハインスの後ろから、弟の近衛騎士セレストが歩み出る。

「ローリー様のお仕事ぶりを、間近で見ていましたからね」

「セレストさん!」

立ち上がり、握手するローリーとセレスト。

「アムリータを。いえ、学校を、どうか」

「わかっています。ローリー様」

その時、あることに気付いて、ローリーはハインスを見やると、告げた。

「ハインスさん、その…裁判で。貴方には本当に、助けられました」

目を閉じ、薄く笑うハインス。

「さて、何のことやら」

ローリーは再びグザール公に向き合うと、言った。

「おじい様、私にモンテス公より、竜退治の命が下っているのです」

「…竜!?」

その場の全員が、グザール公へと視線を送った。この場の誰よりも歴史を知る男へと。

「竜、か。幾世代か前のモンテス領主が、竜の討伐隊を率いて北方山脈に入り…そして何の沙汰もなかったとか」

「おじい様、竜というのは実在するのですか?」

わからぬ、とグザール公は即答した。

「しかし、大平原より北の水源地、北方山脈が裾野に竜の巣穴という巨大な洞窟があるのは確かだ。そして、領主が消息を絶ったというのは、事実なのであろう」

「竜の巣穴…」

「ステフォン領には竜についての文献があるかもしれんな。あるいは、実在せぬ怪物なのかもしれん。だが、一つ言えるのは、この数世紀、竜を目撃したものは皆無であり、それは今のところ無害な存在であるという事だ」

「おじい様の博識ぶりに、畏敬の念を禁じえません」

「わしの可愛いひ孫を、そのような危険な地に見送らねばならんとはな…老いた身に堪えるわ」

「陛下、お願いがあります」

「どうした?改まって。さあ、顔を上げて」

グザール公はにこにことローリーを見やる。その平素とかけ離れた表情、声色に、ハインスとセレストは顔を見合わせた。

「恐れ多くも、餞別を頂戴したく…」

「おお、もちろんだとも。言ってみなさい。馬か?馬車かね?」

「いえ、それはお預けしていた、モンテス家の宝にございます」

「モンテスの…宝?」

「私の母違いの兄、フランシスにございます。どうか、かの者を連れ出す御許可を」

グザール公は、驚きを隠さなかった。

「知っているのか!?ローリー」

ローリーは跪いたまま、顔を上げ、グザール公を見つめると、頷いた。

「何卒…」

グザール公は、玉座に深々ともたれ、目を細めた。思案している。

「それは、ヤグリスの願いか?」

「いえ、私自身の、願いにございます」

グザール公はローリーを見つめた。

破戒卿アンドラス、呪われたフランシス、そして…神童ローリー。モンテス家の過去と未来が、交錯した。いや、光と影、といった方がよいか。

不意にヤグリスと目が合う。祖父と孫娘、二人は目で伝え合う。

「不思議な子だ。お前は。だがわしの自慢のひ孫よ」

グザール公は笑った。

「お前の生きざまに、さび付いていたわしの血が滾るわ。よかろう。ローリー、連れて行きなさい。フランシスを。次期諸侯殿に、モンテスの秘密の宝、お返ししようではないか」

グザール公は意味深にアンドラスへと笑みを送った。肩をすくめるアンドラス。

「あ、ありがとうございます!おじい様!」

跪くローリーに、グザール公はよろよろと立ち上がって、その小さな肩に優しく手をかけた。


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