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第37話 運命の女神…時に性急である

酒場は突如、騒然となる。

「さあ、抜けよ!」

男は床に座り込んだアンドラスに怒鳴りつけた。女冒険者が男を諫める。周囲の冒険者は、皆成り行きを見つめている。

「アンドラス様!」

エレノアが駆け寄って、アンドラスの前に立ちふさがり、木剣を構える。

「よせ!エレノア!どくんだ!」

アンドラスは宝剣の鞘を掴むと、よろよろと体を起こす。まともに蹴り上げられた胸が痛む。

「コイツ、女を盾にしやがって!見下げた野郎だ!」

「やっちまえ!ソロン!」

「よしなよ!ソロン!」

ソロンは逆手に構えた短剣に、右手を添え、腰を落とした。この優男の腕に、同じ傷をつけてやる!

「待ってくれ!」

アンドラスは敵意のないことを示そうと、膝立ちのまま鞘を両手で持つと、柄を相手の方に向ける。すると、剣に異変が起きた。カチャカチャと、音を立てて震え始めたのだ。アンドラスははじめ、自分が緊張のあまり、震えているのだと思った。しかし、違う。剣それ自体が震えている。

そして…剣がひとりでに鞘から走り抜ける。バネで弾かれたかのように、刀身が飛び出す。くるりと空中で回転し、ソロンの喉元に突き刺さった!すべてが一瞬の出来事であった。

「えっ」

アンドラスとソロンの目が合う。ソロンの瞳は心からの驚きに見開かれていた。慌てて歩み寄り、剣の柄に手をかけるアンドラス。剣を引き抜いてしまった。血液があふれ出し、ソロンの膝が震える。虚脱感。もう立っていられない。彼は膝をつくと、うつむき、動かなくなった。

アンドラスは茫然と刀身を見つめた。こびりついた血が、薄くなって消えていく。幻覚?無意識の動きで、鞘に納める。我に返ったアンドラスは、剣を放り投げると、店の外に駆け出した。

表は雨が激しくなっていた。アンドラスは恐怖に震えていた。何故だ、何故?なぜ僕の身にはいつも、恐ろしいことが。呪われている。モンテス家の血脈は、やはり、呪われている。気づくと集会所にいた。若い日焼けした男が、中央のテーブルで書き物をしながら、酒を飲んでいる。航海士のマッサンだ。

「やあ、マッサン。機嫌はいかがかな」

マッサンは、アンドラスのずぶ濡れの足元から頭のてっぺんまで見渡すと、笑った。

「本当に、おかしな方だ。どうしたんです?」

「すまないが、すぐに出航してくれないか?まずいことになった」

「出航?今すぐには無理ですよ。この天気だ。しかし、まずい事とは、なんです?」

「人を死なせてしまった」

マッサンはニヤニヤ笑った。

「なるほどね、で、相手の女はまだ、ベッドでのびているんですね?」

「マッサン、すまないが、マジにヤバイ状況なんだ。すぐに出航できるように、船長に伝えてくれないか?頼む!」

アンドラスはひざまずいた。慌てるマッサン。

「やめてくださいよ、アンドラスさん、みんな見てるじゃないですか。マジのマジなんですね?」

「ああ、マジのマジさ」

貴族の馬鹿息子めが…酒場で喧嘩にでもなったのだろうか?しかし、アンドラスからはその様な粗暴な印象は受けない。人が死んだって?マッサンは半信半疑であったが、あまりに真剣なアンドラスの態度に、マントを羽織るとハッスス船長の下に急いだ。入れ替わりに、パットとエレノアが入ってくる。

「アンドラス様!」

「やあ、すまない。ちょっと、気が動転してしまって」

「一体、何が起きたんです!?」

「…わからない。剣がひとりでに動き出したんだ。本当だ。誓って本当なんだ!力を入れても、全然抜けなかった剣が、勝手に…」

「すぐにモンテスにお戻りになった方がよいでしょう。御身おんみが危険だ」

パットはアンドラスに告げた。

「うん。船をメディナの港に付ける。そこから戻るよ。…お笑い草だ。そう、僕は負け犬なんだ。生まれたときからね」

アンドラスは笑った。しかし、不意に涙があふれた。

「なんでなんだろう。僕はいつも、人を不幸にするんだ。たまらないよ…」

それ以上は、声にならなかった。エレノアは驚いた。男が泣いている姿を、初めて見たのだ。それ以上に、アンドラスという若者を、血も涙もない、不愉快な人物だとみなしていた。パットは優しく、アンドラスの手を取った。

「アンドラス様。私は存じておりますよ。貴方は強い方だから、そんなそぶりは見せない。しかし、傷つきやすいお心の持ち主であると」

アンドラスは笑って、涙を拭いた。

「フランシス様の事は、ご心配なさらず」

はっと、アンドラスはパットを見つめた。眼鏡の奥、優しげな瞳が輝いている。

「本意ではありませんが、こう伝えたのです。フランシス様は、モンテスの秘密の宝であると。大切にしまっておけば、グザールにとって、いつか必ず役立つと」

「…パット。君に一生の借りが出来たな」

「私は従者にございます。礼ならばヤグリス様に」

集会所に2名の女が入ってきた。全く、慌ただしいことこの上ない。先ほど、アンドラスとソロンの間に入った、女冒険者である。アンドラスは身構えた。

「あんた、まだいたのかい?すぐに馬車で出た方がいいよ」

「あの男は、死んだのかい?」

女は頷いた。マントを脱ぐと、褐色の、鍛え上げられた上半身があらわになる。健康的な魅力を放つ女性であった。

「あんた…いや、あの剣は、一体、何なんだい?」

「わからない。グザール領の古い宝剣なんだ」

「宝剣?あれは魔剣だよ。呪われている」

呪い、という言葉に、アンドラスの胸がチクリと痛む。彼は悲し気に目を伏せた。

「見ていたよ。隣でね。あんたのせいじゃない。だろう?でも、話が大きくなっている」

さらに集会所に、人物が現れた。金山羊号の船長のハッススである。

「ああ、オルガナ。戻ったのか。どうだ?稼いでるか?」

女冒険者はハッススと知り合いらしい。笑って首を横に振った。

「いや、ひどいもんだよ。海賊でもやるしかないね」

ハッススは笑った。そして真顔に戻り、アンドラスに向き合った。

「追われているんですか?」

「いや、まあ…しかし、危険な状況なんだ。金は後で何とかするから、とりあえず、メディナの港に付けてくれないか?」

「急ぎですか」

「ああ、急ぎなんだ」

船長は渋い顔をした。

「メディナに立ち寄るにしろ、どのみち、船を外海に出さなければなりません」

窓の外を見やる。雨がやまない。

「雨が止んだら、ひとまず出航します。それでよろしいですか?」

「ありがとう。すまない」

「ところで、冒険団は手配できましたか?」

アンドラスは首を横に振る。ハッススは、傍らの女冒険者2名を見やった。

「オルガナ、リッサンドラ。金山羊号に乗ってくれ」

「これからかい?」

「そうだ。海のごろつきに襲われたら、頼むぞ」

リッサンドラと呼ばれた女が、マントを脱ぐ。黒い長髪に、青白い肌をした女だった。体格の良いオルガナと、目を見合わせる。

「でも、2人じゃねえ…」

「お前たちは1人で10人分じゃないか。金なら、こちらのアンドラス様がご用立ててくださる」

運命の女神…時に性急である。雨が止んだ。ならば、出航するのみ。

一行は縄梯子で甲板に上がっていく。巨大な帆柱の下、すでに船員たちが慌ただしく動き始めている。甲板長の男と船長が敬礼を交わす。甲板に突き出るように建造された詰所から、マッサンが現れた。

「ちょうど、山からの吹きおろしが来ていますね。甲板長には話してあります」

ハッススは頷く。号令をかけると、総員が船長の前に集結する。

「皆、休んでいたところ、招集に応じてくれて、礼を言う。予定が早まり、さらに若干変更があった。これより、金山羊号はメディナ領、パルスール港に寄港する」

甲板長が続いて発言する。

「積み荷は、良いな?体調不安があるもの、挙手せよ」

背丈は不ぞろいであるが、船乗りたちは皆一様に日焼けし、精悍な体つきである。彼らは不動のまま、船長を見つめた。

「では、わかれとする。各自持ち場に付け。海神の加護は、我らが金山羊号とともにあり!」

「我ら船乗り、よき骨折りに、順風の報い、あらん!」

帆が大きく張られた。滑るように、巨大な金山羊号が桟橋を離れる。アンドラスは、陸のパットに手を振る。よく見ると、パットの隣にエレノアがいない。周囲を見渡すと、甲板でエレノアが女冒険者たちと会話している。驚くアンドラス。

「ちょっと!エレノア!何をやっている?なぜ君が船に乗り込んでいる!?」

「アンドラス様にお仕えせよと、ヤグリス様に命じられましたので」

ニコリともせずに、言う。

「エレノア。見ていただろう?僕と一緒にいると、危険だぞ」

船はどんどん港から離れていく。アンドラスは肩を落として、ため息をついた。

「エレノア、君を守っている余裕はないんだ。どういうつもりなんだ!?」

「なんだい、優男だと思っていたら、まるで騎士のような物言いじゃないか」

オルガナが笑った。

「こんな男だらけの船に、年頃の女の子が乗り込んで、どういうつもりなんだと、僕は言っているんだ!」

アンドラスがオルガナを睨んだ。オルガナは微笑んだ。

「アンドラス様。私も一応、女なんだがね。やっぱり、一緒の部屋で寝るのは危険かね?」

「危険さ」

「へえ?」

「僕は君みたいな、威勢の良い女性が好きなんだよ」

アンドラスに直視され、オルガナはたじろいだ。

「よしなよ。そんな目で見られたら、気が変になるじゃないか」

オルガナはその時、はっと思い出したように、荷袋から黒い宝剣を取り出す。アンドラスは驚いた。

「コイツを、持ってきたのか!?」

アンドラスの背筋を、冷たいものが伝った。オルガナも、真剣な表情である。

「けどさ、大事なものなんだろう?どうする?それとも、どこかで売り払うかい?」

「いや…」

アンドラスは宝剣を掴んだ。つかつかと、船の縁に歩み、振り返る。

「捨てるよ。海に捨てちまおう。コイツは魔剣だ。君の言うとおりね」

「…それがいいかもしれないね」

その時、船長がアンドラスの下に駆け寄り、告げた。

「アンドラス様。悪い知らせです。海賊がつけてきています」

望遠鏡を手渡される。金山羊号よりずっと小さい船だが、並走している。

「振り切れるか?」

「無理です。やつらの方が足は速い」

「敵の員数は?」

「わかりませんが、おそらく、20名程度の戦闘員を抱えていると思われます」

「戦いになるという事か?」

船長は頷いた。

「なんとか、お引き取り願えないかな」

「奴らの狙いは、この船ですよ?見ていたんですよ。港で。ずっとね」

甲板に、矢が飛んできた。矢じりがなく、布が巻いてあり、火がつけてある。

「甲板員は盾を持って参集せよ!」

船長が叫んだ。アンドラスがオルガナと目を合わせ、頷く。

「船長。すまなかったな。僕のせいだ。もし、僕が死んだら、当然だが航海は中止しろ。だが約束の金はモンテスが払う」

「どういう意味です!?アンドラス様」

「エレノア。船室に入っていろ。命令だ」

エレノアは黙ってアンドラスを見つめていた。

「聞こえないのか!いいか、僕に仕えよと、ヤグリスに言われたんだろう?命令だ!船室に下がれ!」

その時だった。アンドラスの持った宝剣が、震え始めたのである…。それはカチャカチャと音を立てていた。アンドラスは剣を見つめる。

「お前…やる気なのか?」

当然、答えはない。だが剣の震えが収まらない。オルガナはこの現象を、驚きをもって見つめた。

「いいか、勝手な真似をすれば、お前を海に沈める。そこでゆっくり頭を冷やすがいいや」

剣の震えが収まる。アンドラスは柄に手をかけて、ゆっくりと抜剣する。刀身が青白く、光っているかのような奇妙な感覚。アンドラスが微笑む。

「…いい子だ」

矢が次々と放たれ、甲板に届く。盾に隠れながら、甲板員が火のついた矢を海に捨てていく。

オルガナとリッサンドラがそれぞれ、円形の盾を取り出して、アンドラスを見つめている。そう、冒険者たちが雇い主の命令を待っているのだ。

「女性に武器を取らせ、あまつさえ戦わせるなど…本来、僕の趣味ではない」

アンドラスは二人の冒険者に言う。

「でも、死ぬよりはましだろう?」

オルガナが言いつつ豪快に笑った。苦笑するアンドラス。すでに海賊が縄をかけて、乗り込もうとしている。戦場の3名は、盾を構えて駆け出した!


…破戒卿、アンドラス。彼の冒険はこうして始まった。だが、その半生については、ここで筆をおく。この物語は、ローリーとアンドラス、二人の出会いによって大きく動き出すからである。

情景は、時間の流れとともに彩度を失う。在りし日のアンドラスを映すシステムの光が、薄れていき、消失すると、そこにはバスチオンの微笑のみが残されていた。

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