主人公ローリーが、貴族社会の光を体現しているとしよう。そのように考えると、アンドラスやフランシスは、貴族社会の闇をその人生に内包している、と言う他ない。彼ら異母兄の過去へと筆が
時計の針は、未だ過去を指し続けている。ローリーが出生する一年前、アンドラス十五歳の夏。この時アンドラスは
当然、ファルドンにアンドラスの素行を
「おはよう、愛しい人」
呼びかけられ、アンドラスが目を覚ますと、可愛らしい娘が自分をのぞき込んでいる。
「あ、おはよう」
娘は小ぶりだが形の良い乳房を強調するように背をそらし、金髪を払うと伸びをした。アンドラスは昨晩の娘とのひと時を反芻していた。
「楽しめたかしら?」
「うん…。君は、とっても綺麗だ」
娘はテーブルに置いた水差しから一杯注ぐと、一口飲んでからアンドラスに差し出した。
「アンドラス様と、私の相性って最高みたい。ねえ、お願い。これからも一緒にいさせて」
「もちろんさ」
娘はベッドを這っていき、裸のアンドラスに覆いかぶさった。その時、ノックもなしに扉が開いた。
「失礼します」
「きゃっ!何!?」
ファルドンが足早に寄ってきて、娘の腕をつかんだ。
「時間だ。仕事は終わりだ」
「お、お待ちください」
「服を着ろ。急げ」
ファルドンは周囲を見渡すと笑顔を浮かべた。
「よくやった。値相応の働きをしたようだ。礼は、はずんでおくぞ」
娘は慌てて服を着ると、ファルドンから金をもらって退室した。
「いかがでしたか?あの女は?」
「いかがって…」
アンドラスは慌てて下着を身に付ける。彼は昨夜、初めて女性と
「あの娘にまた会えるかい?」
ファルドンは笑った。
「なりません。情が移っては大変だ。私がお叱りを受けます」
「でも、会う約束をしてしまった」
「そんなものは、お気になさらずともよい。あれは商売女です。もっとも、そこらの安物ではございませんがね」
アンドラスは素肌にシャツを羽織ると、そのまま刀帯を付けて部屋を出ようとする。あまりのだらしなさにファルドンが目を細める。コイツは人目など気にもかけない。ゆえに制御不能の破戒卿。女にでも溺れさせて、手綱を取るしかあるまい。
「ファルドン、今日の予定は」
「午後一時より、グザール公との会食がございますが。お出になるも、なられぬも、アンドラス様のご自由になさればよろしい」
廊下を歩いてゆくアンドラスの背に、ファルドンの声が追い付いた。
「ただし!弟君を連れまわすことだけは、なりませぬ!」
アンドラスは騎士の訓練場に向かって行った。まるでアンドラスを避けるかの如く、城内の人々は彼の道を空ける。アンドラスはそんな状況を苦々しく思う。もう、誰も自分を諫める者はいない。自分を叱ってくれる存在は皆無だ。だから、アンドラスは一度たりとて、全力で何かに打ち込むという事がなかった。それに応じる者が存在しなかったから。
訓練場に騎士たちの輪が出来ている。アンドラスはそこに、見慣れぬ者たちの姿を認めた。
乗馬服を着た女性。その侍従らしき少女と、執事の3名だ。
アンドラスは、そのようないで立ちの女性を初めて見た。モンテスでは決して許されぬことである。さらに彼を驚愕させたのは、女性が訓練用の木剣を手にしていた事実である。彼の足は自然と人の輪へと向かって行く。
騎士達が近づくアンドラスに気付き、静まり返る。女性はアンドラスに向き直って、笑みを見せた、が、その格好に眉をひそめた。
「ごめん、ごめん、さあ、続けて。面白い格好だね。君は」
アンドラスが笑顔を作った。女性にはその表情が侮辱と映った。
「私はヤグリス。グザール領より参りました。女がズボンを履くのは、面白いでしょうか」
「まあね」
へらへらと笑うアンドラス。風でその胸元が大きく開いた。騎士たちは、この珍妙な状況に好奇の目を注いでいる。
「では、私が剣をふるうのも、ここでは
ヤグリスはアンドラスの正面を避けて木剣を構えた。腰がぐっと落ちている。剣を担ぐような、独特の構である。
ヤグリスが気合とともに一歩踏み出すと、次の瞬間には剣が振り上げられている。斬り落とす動作がフェイントで入ったようだが、アンドラスには目で追う事が出来なかった。木剣とはいえ、並みのスピードではない。
「グザールではよくある事なんです。女も剣を使う。だって、殺されるよりは、笑われる方がいいでしょう?」
もちろん笑うものなど皆無である。場が静まり返った。ヤグリスが乱れた前髪を整える。アンドラスと目が合った。挑発されている。アンドラスはそう感じた。しかし、彼はただヤグリスを見つめることしかできなかった。昨晩の娘などもう頭から消え去っていた。今まで出会ったすべての女性の存在が、彼の頭から抜け落ちた…そう、ヤグリスを除いて。
「君は人を斬ったことがあるのかい?」
我に返ったアンドラスは、体面を取り繕おうと笑みを浮かべて、ヤグリスに尋ねる。
「いえ、幸い、そのような事態に立ち会っておりません」
「僕と勝負してくれないか?君に興味がわいた」
アンドラスは刀帯を投げ捨てると、傍らの騎士から木剣を取り上げた。
「お断りします」
ヤグリスが即答する。
「女性から名乗らせておいて、返礼しないなんて。その様な殿方にお会いするのは初めてです」
アンドラスは激しい
「
「えっ?」
ヤグリスが微笑んだ。
「お出になられますよね?会食には。私共も出席いたします。グザール公とともに」
ヤグリスは騎士式に敬礼し、木剣を騎士に返すと2名の侍従とともに去っていった。去り際の微笑が、アンドラスの心に、生涯消えない傷跡として残った。