白く輝く、柔らかな雲に包まれたように。
ローリーは不思議な空間に静かに横たわっていた。その可愛らしい目は閉じられている。少年に与えられた、久しぶりの安らぎ。
周囲の期待に応えるべく、必死に己を磨いた日々。居城を追われ、新たな環境で仲間とともに奔走した日々。多くの人たちと言葉をかわし、そして多くの人たちと戦い、時に命を奪う事もあった。
そうか…僕は、負けたんだ…。死んだ。
当然の報いだ、と少年は思った。僕を恨んでいる人間は、きっといっぱいいるに違いない。僕は天国に行けるだろうか?
自身の命の終わりを惜しむ、その一方で、ローリーの心は不思議な解放感に浸っていた。
もう、戦わなくていい…頑張らなくていいんだ…。
目を閉じ、体を伸ばし、深く呼吸してみる。
微笑むローリー。その体が、揺れる。揺れが大きくなっていく。自分を呼ぶ声がする。
もういい、もう少し、寝かせておいてください…。
「ローリー、ローリー、さあ、目を開けるんだ。ローリー」
少年の瞳が薄く開いて、瞳がゆっくりと輝きを取り戻した。ローリーは、軍服姿の金髪
灰色マントの冒険団、二度目の襲撃を受け、消えかかっていたローリーの命のあかりは、今ここに再び灯った。
「あなたは…?」
夢見心地の少年は、青年をまるで宗教画の天使のようだと思った。しかし、ローリーはすぐに現実に引き戻された。
「メーヤー、バスチオン…!」
その小さな体を虚脱感が襲う。ローリーの周囲に、バスチオンとモルスがやってきて少年を不安そうに見つめた。
「バスチオン!モルスさん!?ここは、お館ですか…」
「ええ、ローリー様、よくぞご無事で」
バスチオンが答える。
「メーヤーはどうなりましたか!?」
バスチオンは悲し気に首を横に振った。
「薬を与えていますが…」
「会わせて…ください!今…」
金髪の青年が頷き、ローリーを抱き上げると、椅子に座らせてやった。しかし、姿勢を保持できず、ローリーは再びベッドに寝かされる。
「ぼっちゃま、いま少し、辛抱なさいませ」
モルスが泣きはらした顔をのぞかせる。ローリーは優しく微笑んだ。
「ローリー。もう少し、休むんだ」
「あなたが助けてくださったんですね。どうか、お名前をお聞かせください」
青年は微笑んだ。
「僕はアンドラス。君の兄だよ、ローリー」
ローリーの顔に驚きが広がり、それはやがて心からの喜びと涙に代わった。
「あなたが、僕の、お兄さま…」
運命は二人を引き合わせた。ローリーはついに、異母兄と出会った。
ローリーはその時、物心ついた時から作用しているシステムが働いていないことに気が付いた。いつもの様に、心に念じる。しかし、空間には何も生じない。ローリーは何度も、システムに呼び掛け、現出を試みる。しかし、システムのディスプレイは、全く生じなくなっていた。
ローリーは目を閉じた。最早、自分は神童ではない。もはや自分を、挫折の淵に踏みとどまらせていた最後の武器が、失われてしまったのだ。
僕はもう、ただの子どもだ。お父さん、お母さん、ごめんなさい。僕はもう、役立たずです。
失望と、諦観。そしてゆっくりと、その心に安堵が沁み込んでいき、ローリーは再び眠りに落ちた。
「眠ったか、ローリー」
アンドラスは優しく、薄手のかけ布で、下着姿のローリーを覆ってやった。
ここで場面は再び、その数刻前に遡る。
バルトリスは、殺りくの場に接近する、数頭の馬の蹄の音を聴いた。
「ジェンス!ゲインズ!何か来るよ!」
ジェンスは肩に背負ったローリーを投げ出すと、地面に刺してあった小剣を掴んだ。直後、暗がりから空気を裂いて騎馬がジェンスに突撃した!紙一重で躱すジェンス。
「ローリー!遅かったか!」
巧みに馬を駆る、金髪の青年将校が素早く下馬し、地面に降り立った。重さから解き放たれたかのような、優雅な着地。次々に騎馬が到着し、3名の冒険者風の女性たちが、青年将校の前に参集する。
「影の冒険団…!?」
「知っているのか。エレノア」
「ええ、しかし暗殺集団に身を堕としていたとは!」
影の冒険団の3名は背を見せないようにゆっくりと、自身の馬に近づいていく。
「目的は達した。いつもの場所で落ち合おう。いけ」
「リーダーは?」
「すぐに追いつくさ」
「いやだ。僕も一緒にいさせてくれ」
青年将校、アンドラスが敵との距離をじりじりと詰めていく。左手は腰に下げた剣に添えるようにしているものの、抜剣していない。彼はそれほどまでに剣技に自信があるというのか。それは一見、無造作な立ち姿であるが、冒険者ジェンスは警戒を解いていない。
アンドラスが従えている女性たち。皆、冒険者の身なりである。3名の女性たちは剣や鞭など、各々の武器を構えて影の冒険団ににじり寄る。
「一刻も早く去れ。お前たちとかかわっている暇はない」
アンドラスが言い放つ。ジェンスらは踵を返すと素早く馬に乗って、駆け出した。
「厄介な相手よ、アンドラス」
「そのようだな。エレノア、あそこの二人を見てきてくれ」
エレノアは頷き、しゃがみこむバスチオンとメーヤーに近づいていった。
アンドラスは倒れているローリーに駆け寄る。抱きかかえ、呼吸を確認する。喉元に指をあてると、脈拍が確認できた。しかし、少年の意識が戻らない。
「死ぬなよ、ローリー!」
こうして、ローリーの命は辛うじて救われ、一行はモルスの館にたどり着いたのであった。
しかし、メーヤーは致命傷を負い、ローリーも二日間、眠りから覚めることが無かった。
目覚めたローリーは、よろよろと、病人のように起き上がり、ふらつく足元に力を入れて懸命に歩き始めた。
原因のわからぬ体の奥からの虚脱感。そして、システムの力も完全に失われていた。食堂でぬるま湯を飲むローリー。床に伏してから、飲まず食わずであった。バスチオンがそっと姿を現す。
「バスチオン…」
「ローリー様、辛いお話が」
ローリーは目を伏せた。わかっている。バスチオンの瞳に、すべて映っていた。
「メーヤーだね」
「ええ、ローリー様に、面会したいと」
バスチオンに脇を支えられ、メーヤーに与えられた部屋に入っていく。ベッドにはメーヤーが寝かされていた。下着姿であり、胸には包帯がまかれていた。
「ローリー様」
「メーヤー…」
ローリーはメーヤーの手を取ろうとして、愕然とした。メーヤーの手が、いや、足先まで赤黒く変色し、腫れあがっている。
「痛みますか?メーヤー」
馬鹿な質問をしてしまったと、ローリーは悔いた。メーヤーは、頷く。
「ローリー様。お願いがあるのです」
その先は聞きたくなかった。俯くローリー。
「ローリー様、私にどうか、情けの剣を…」
「メーヤー…」
ローリーの瞳から涙があふれ、止めることができない。
「ローリー。あなたを守ることが出来て、良かった。あなたを守ることが、私の誇り。騎士の誇り」
メーヤーが顔をしかめる。ひどく痛むのだ。矢傷は深く、また、悪化して手の施しようがなかった。もはやメーヤーに施せる治療とは、その苦痛を一時的に取り去ってやる事のみである。
「ローリー。すまない。痛みには、僕は弱いんだ。遺書は作ってある。どうか、誇り高く、死なせてくれ」
固く目を閉じるローリー。言葉にならない。
「ローリー。君の戦いぶりを見ていた。今でも信じられないよ。君こそが間違いなくブレイク王国最強の騎士だ。あなたの手にかかるのであれば、僕は本望だ」
うなだれたままのローリー。右手で乱暴に涙をぬぐった。
「頼む、ローリー。僕の顔が綺麗なうちに、子どもたちに見せてやってくれ。妻にも見せてやってくれ。父は、騎士の使命を果たして、戦場で討ち死にしたと、伝えてくれ!」
その一言が、ローリーを強く打ったのだった。涙が流れるままに、ローリーは背筋を伸ばす。
「…バスチオン。薬が必要です。手に入れられますか」
「冒険者のリッサンドラ様が携行しておりました。準備は出来ております」
「モルスさんに伝えてください。庭をお借りしなければならない。可能かと」
バスチオンは頷くと、退室した。
交代するように、アンドラスが入室してくる。
「ローリー。君の部下は立派な奴だよ。泣き言一つ発しない」
ローリーは頷いた。そうさ。メーヤーほどの人物には、そうそう巡り合えるものではない。
「お兄様、お願いがあります」
モルスの館の裏手にあたる、栗の木の下に、メーヤーは運ばれた。アンドラスがメーヤーの肩を支えて上体を起こしてやる。
メーヤーは恐怖と痛みとに襲われ、精神的にも消耗しきっていたが、耐えた。静かに、誇り高く、微笑みながら耐えていた。
彼は与えられた粉薬をどうにか、飲み込む。それは毒キノコから作られた神経に作用する薬であり、大量に服用すれば麻痺症状などが出て死に至る。
ローリーは短剣を抜いて、胸に掲げた。
「騎士、メーヤー。かの者は栄光あるモンテス騎士団、第十三分団にて己の職責を果たし、勇気と、知恵と、優しさを以って主に仕え、友と交わりては誠。家族に接しては孝。その生涯は当に弱きの盾となる、マヌーサの騎士の模範であった」
ローリーが震える声で告げる。メーヤーの身体も、小さく震えている。彼は目を閉じて、安らかな顔をしている。薬が効いてきたのだ。
「主、ローリー・モンテスはその武勲に報い、苦痛を取り除き、気高き魂が穢されないよう、天上のマヌーサに騎士の命運を預ける」
ローリーは短剣を持って跪いた。その時、メーヤーがかすかに目を開けた。彼と過ごした三年余、そのすべてが、剣の重みに変わってズシリとローリーの腕に伝わる。
「メーヤー。あなたこそ、僕の誇りだ」
ローリーはメーヤーの命を奪った。敬愛する部下の、命を…。
死の儀式は終わった。メーヤーの遺体は丁寧に布にくるまれ、運ばれていく。
アンドラスとバスチオンだけが、庭に残っていた。
「君が教育係か。おかげでローリーは、素晴らしい騎士となったようだ」
「アンドラス様も、精悍になられて」
バスチオンがほほ笑む。アンドラスは、眉をひそめた。
突然バスチオンの眼前に、青白く発光する一文字が表れ、それは下方に面積を広げていき、長方形のディスプレイ状となって現出した。青白い光が強くなっていく。
システム…ローリーにしか用いることが出来ず、知覚出来ない謎の存在。なぜバスチオンが操作しているのか!?
周囲をシステムの光が、包み込んでいく…!
システムが時間をさかのぼる。過去の情報が奔流となって、バスチオン眼前に展開される。アンドラス、その半生とは…。真っ白なシステムの光の中で、バスチオンは腕を組み、興味深く、歴史を見つめた。
ローリー・グローリーストーリー、ここからしばし、焦点は兄、アンドラスへと移る。