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第29話 総督事務所の一日

さて、ここはグザール領第一管区、総督事務所。時はバスチオン裁判の審理開始から数日、さかのぼる。バスチオンが逮捕され、ローリーが後を追う。頼りのメーヤーは帰省中…そのため、事務所は混乱を極めていた。


正午。4人の騎士が庭の木陰に集まっている。副分団長である老コモドー、皮肉屋ブレーナー、精悍なるサンダーに、見習いのレイザーである。

「で、おめえ、会費と祝い金合わせて10万シュケルも行くめえが。王様のパーティーじゃあるまいによ」

臨時で事務所の長を務めることになったコモドーは、ブレーナーからの経費の申請をつっぱねたのだった。ブレーナーは苦笑いを浮かべる。このじじい、ボケかかってると思ったが、ちゃんと書類を見てやがった。

「支払いの証文はあるだか?」

「いや、無いです。やっぱ落ちませんかねぇ。まいったなぁ。ここのところ負けが込んでるんですよ」

「使い道による。おめえ、どこで遊んできた?」

「いや、商工会の親玉と、カノッサで」

「カノッサ!?」

それはブレイク王国、東西の美女が酌婦しゃくふとして稼働しているという、貴族御用達ごようたしの高級クラブである。

「おめえには十年早い場所だて」

「しかし、これは仕事ですぜ。外交の酒席ってやつですよ」

そのとき突然、隣で草を食んでいた馬が放屁ほうひした。渋面のコモドーが言う。

「馬の屁みてえな理屈だて」

すると、いつも無口なサンダーが狂ったように笑った。コモドーはぎょっとして振り返る。レイザーはかがみこんで、身を震わせた。笑いをこらえているらしい。ブレーナーは唾を吐いた。

「ちぇっ、じいさまは山賊みたいな口をききやがる」

「なんじゃと!?なんちゅう口の利き方だ!」

コモドーが木に立てかけてあったほうきを取って構える。ブレーナーはそれを冷淡に眺めている。

「コモドーさん!?何してるんです?私の箒で!」

騎士4名の視線の先に、腕組みしたフリージアが立っていた。

「私を手伝ってくれるんじゃ、無かったんですか?飛蝶騎士団の精鋭たちは?」

「いや、すまねえ、ちょっと仕事の話をしてただけだ」

コモドーが愛想笑いを浮かべ、フリージアに箒を手渡す。

「今、喧嘩してましたよね?ローリー様に告げ口しちゃいますよ」

「悪かったよ、お嬢さん、まじめにお掃除頑張るからよ」

去ろうとするブレーナーは、フリージアに呼び止められた。

「お手伝いはもう結構です。そんなことより、どうするんです?待合室にどんどんお客さんが来てしまっていますよ?」

騎士4名は顔を見合わせた。

「お昼休憩が終わったら、すぐに業務を再開しますと、私が伝えてあります。このままでは暴動が起きるわ」

「へっ、そんときゃ、わしらで制圧してやるだけだて」

「コモドーさん!?」

この冗談はフリージアを怒らせてしまったらしい。4名は慌てて事務所の受付に向かった。待合室にはすでに10人ほどが腰かけている。


最初に待っていた丸い帽子の中年男が立ち上がって、コモドーに訴えかけた。

「お願いします!騎士様!時間がねえですよ!お早く」

「どうしただね?」

「保険金支払いの、事故の証明を下せえ!早く酒業ギルドに行かねえと閉まっちまう!借金取りが来ちまいますだよ!」

「わかったわかった、なんとかしてやるだから」

コモドーは慌てて、男と一緒に執務室に向かった。

「おめえさん、何が入用だかね?」

「火事が起きたっちゅう、総督様の証明ですよ!」

「ああ、こないだの火事だね?お前さんが死なずに済んでよかっただよ。ありがてえことだて」

執務室の両脇に天井まで届く棚が並んでおり、バスチオンが丁寧な文字でラベリングし、書類が収められている。もちろん、コモドーにはどこに何があるかわからない。コモドーは咄嗟に机上の白紙をひっつかむと、ペンを探す。

「ではわしが証明とやらを書いてやるだから、おめえさんはそれ持って借金取りを追い返してやればいいだよ」

「えっ」

中年男は明らかに当惑していた。

「おめえさん、名は何というだね?」

だが突然、コモドーが奇声を発した。男は腰を抜かし、床にへたり込む。

「すまねえ、わしは字が書けねえ。ちょっとそこで座って待っててくれ!」

コモドーはブレーナーを連れて部屋に戻ってきた。

「そういう訳なんだ。すまねえが、おめえ、代筆してくれ」

「わかりましたよ。さあ、お前さんのお名前は?」

ブレーナーは男から詳細を聞き、それを白紙に記していく。ブレーナーはコモドーに耳打ちする。

「副分団長、ほんとに、これでいいんですかね?俺は違う気がしますよ」

「なに、署名しときゃ問題なかろうて」

「なんと書きますか?」

「総督代理の代理、コモドーと書いといてくれ」

ブレーナーと中年男は、顔を見合わせ、笑った。

「じゃあ俺は総督代理代理の代理だ。こいつぁ大した肩書だぜ」

その時だった。コモドーが素早く、短刀を抜いた。ブレーナーが真顔に戻る。

「ああ…」

哀れな中年男は、再び腰を抜かしてへたり込んだ。コモドーは自身の指に小さく傷をつけて、ブレーナーに命じた。

「さあ、早く書くだよ。ふざけたことぬかしやがる」

「はい、はい、総督代理代理のお命じの通りに」

ブレーナーがその通りに代筆すると、コモドーは血判を押した。

「さあ、さっさと行って、借金取りの野郎をぶちのめしてやるだよ!」

コモドーはしゃがみこんで、中年男に笑いかけた。


階下では、新米団員のレイザーが受付で奮闘していた。

「で、こいつの期限はいつまでなんです?明後日?もう少し伸びますか?ええ、でしたら、この受付票をお渡しするから、三日後いらしてください。総督代理がお戻りになるはずです。悪いけど、今、責任者が不在で。そうです、僕たちじゃ、公証ってのは無理だと思います。すみませんね」

レイザーは貴族の血を引く商家の次男。的確に相談者をさばいていく。

「サンダー先輩」

その斜め後ろ、彫像のように立ち尽くすサンダーをかえりみて、レイザーが声をかける。サンダーはびくりと体を震わせた。

「申し訳ありませんが、グザール城に応援を要請してください」

サンダーは考え込む。サンダーはハインスとセレストの兄弟が、苦手であった。どちらも弁が立ち、サンダーとは対照的である。

「書記官を寄こすように言ってください。僕だけでは、とてもじゃないが記録しきれない。あと、紙はどこにありますか?悪いけど、探してください」

「わかった」

サンダーは駆け出すが、どこに行ってよいかわからない。気づくと庭に出ていた。俺にはとてもじゃないが、ローリー様の代わりは無理だ。剣をふるっていない時の俺など、何の価値もない…。サンダーは自己嫌悪した。

「サンダー様」

ふいに、通りから声を掛けられる。一人の貴婦人が、サンダーに歩んでくる。彼はほうけたように、それを見つめていた。

「御久しゅうございます。お仕事着も、素敵ね」

「はっ」

グザール奉仕の水がめ基金を運営する、ヘザーであった。ローリーのお伴であったサンダーをちゃんと、覚えていたらしい。しかし、サンダーはヘザー夫人の名が思い出せない。肩でそろえた赤い髪と、童顔に浮かべる笑顔がチャーミングな小柄な中年女性。それだけは、あの華やかな宴席で印象に残っていた。

「これをお渡ししたくて」

ヘザー夫人は白い封筒をサンダーに手渡す。

これを、俺に!?サンダーの心臓が跳ね上がり、鼓動が早まる。女性からの手紙など、彼は二十余年の生涯で一度たりとも受け取ったことがない。彼は押し黙ってしまった。

「ふふっ、そんな怖い顔をして」

ヘザー夫人が微笑みかける。その瞬間、サンダーは恋に落ちた。黙ってうつむく。

「どうなさったの?」

「…いえ、何でもありません。私は…」

「サンダー様、この手紙を、ローリー総督に」

はっとサンダーが顔を上げる。ヘザーはなおも微笑んでいた。

「あの、私、なにか失礼なことを?」

「いえいえいえ!まったくもって、そんなことはありません。この手紙、一命に代えましても、ローリー様にお渡しいたします!」

サンダーは手紙を素早く内ポケットに収納すると、ヘザーに向かって敬礼する。

「ふふっ、やっぱり、サンダー様にお願いして正解だったわね」

サンダーは敬礼の姿勢のまま微動だにしない。

「あなたが一番、誠実な騎士ですもの」

会釈えしゃくをして、馬車に乗り込むヘザー。サンダーの恋は十秒ほどで砕け散ったが、別れしなの言葉が、暖かな余韻よいんとなっていつまでも、その心にとどまっていた。


事務所を訪れる相談者たちを、なだめ、すかし…脅したりして、何とか捌ききって、時刻はすでに夕食時を過ぎて午後七時。4名の騎士はへとへとになって受付のソファに沈み込んだ。

「これは、えらい事だて。おい、サンダーよ。ローリー様とバスチオンは、いつ戻るだね?」

「わかりません。心配するな、とは言っていましたが…数日はかかるかもしれません」

「しかし、あのなんとかとかいう、王国の、あの青尻野郎、いけすかねえ奴だて」

「なに、心配無用。ローリー様とバスチオンの二人組に勝てる奴は、ブレイクにはいませんぜ」

ブレーナーがいつもの皮肉っぽい笑みを浮かべる。その時、フリージアとアムリータが入室してきた。事務所に寄ったアムリータが、食事の支度を手伝ってくれたのだ。

「あなたのおかげで本当に助かったわ!」

「どういたしまして、わたしも料理の勉強になったわ」

「これはありがてえ、さあ、いっぱい食うだよ。今日は何かね?」

皆が談笑しながら食堂に歩いていく。

その時、ブレーナーは表に人影を認めて、一人、入口に歩んでいった。誰かが内部をうかがっている。

それは灰色のフード付きマントをまとった女だった。

「あら、こんばんわ。総督さんがこんな色男とは、知らなかったわ」

女がフードを取り去ると、栗色のウェーブヘアがあらわになる。

「あんた、ローリー様を知らないのか。俺よりずっと色男だぜ?もっとも、女性の扱いにかけちゃ俺の方が上だがな」

色白の女は目を細めて微笑む。

「ねえ、お名前聞かせて、騎士様」

「俺はブレーナー。そういうあんたは、どこの冒険者様かな」

「…」

一瞬、女の顔から笑顔が剥がれ落ちた、気がした。

「ブレーナー。いい名前ね。好きになっちゃいそう。でも私は冒険者なんかじゃないわ。旅芸人なの」

「ご用事は?」

「お仕事もらえないか、と思って」

「悪いな。今、ちょいと立て込んでいてな」

ブレーナーはポケットから500シュケル取り出すと、女に渡した。女は礼を言って、きびすを返す。

「待ちなよ。此処にはしばらくいるのかい?俺はよくカモメ亭に顔出してるぜ」

「あら、そう。じゃ、いつか逢えるかもね」

「君の名は?」

「…バルトリス」

「いい名前だ。今日は名前だけもらっとく」

女はウィンクを返すと、フードをかぶって夜の闇に溶けて行った。


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