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第26話 バスチオン裁判、中編

裁判前日、図書館にて。ローリーはハインスの書簡をもとに、パルンと攻撃防御方法について打ち合わせした。

ローリーはハインスの書簡の一部を、自作の覚書と言って、パルンに提供した。もちろん、ハインスにるいが及ばぬようにとの配慮からである。ハインスはその的確な予測に驚き、スパイ罪を念頭に置いた準備を進めた。

「ローリー様、お父上のおっしゃったとおり、敵は偽造証拠を提出してくるでしょう。また、証人も事前にシナリオを渡された虚偽の目撃者である可能性が高い」

ローリーは頷いた。

「そこで、ローリー様が反対尋問じんもんにより、それらが全くの虚偽であることを、明らかにしなければならない」

「わかりました、しかし、どのように行えばいいのか、イメージがわかないのです。何しろ、裁判を見たこともありませんので」

「ごもっともです。例えばなのですが」

パルンは分厚い手続書、その反対尋問のテクニックの部分を開くと、語り始めた。

「証人が嘘をついている場合、嘘を事前に考えている部分は非常に詳細に、よどみなく語ることが出来ます。しかし、その周辺部や、細部、いきさつなど、その場で考えて発言しなければならない部分は、前後で食い違いが出たり、矛盾が生じてきます。沈黙してしまう事もあるでしょう」

ローリーは相槌を打つ。

「反対尋問はそのような矛盾を突き、証人の発言が全く信用できないこと、つまり、証拠としてその虚偽発言を採用できないことを、裁判官に示すのです」

ローリーは、パルンの発言を完全に理解した。しかし、これは難題である。証人が当日何を語るかはわからないし、即興でその矛盾を突くように尋問していくことは、練習が必要であると思われた。

しかし、ローリーは反復訓練を可能にする、秘密のツールを有している。

「ありがとうございます。パルン先生。」

「心苦しいですが、私は法廷に参加することが許されません。しかし、関係書類はローリー様の名義でわたくしが整え、バックアップさせていただきますので」

ローリーとパルンは握手を交わした。


それから、ローリーが訴訟資料をまとめたのが午後9時。夕食をとる暇もなく、彼は空腹を覚えた。テーブルにメイドが置いていってくれた干し魚や、パンが置いてある。ローリーはそれらをかじりながら、眼前にシステムを展開する。ぼうっとした青い光を通して見るローリーの顔には、疲れが出ている。

システムの画面上に、考えうる無数の証言が並べられる。ローリーはその一つ一つに対して、理由などを質問し、得られた回答をつなぎ合わせて矛盾を探す。心底ぞっとするような作業である。今日はしっかり睡眠をとらねば、勝機はない。焦る気持ちを抑えて、リラックスし、淡々と作業を続ける。そうだ、これはゲームだ。言葉のパズルさ。

頭の片隅で、昨日、迎賓館で追及者に受けた侮辱を思い出す。やり返してやる。決闘などではなく、相手のフィールドで、やっつけてやる。ローリーは我知らず微笑んだ。深夜まで、言葉のパズルが続く。


そして、10月23日。裁判当日。朝から小雨が降る、ぐずついた天気となった。今、歴史に残る裁判が始まろうとしている。後にバスチオン裁判と呼ばれるこの手続きは、八歳少年が弁護人となった、ブレイク王国の歴史上、最初で最後の裁判である。

その結末とは…。


神聖なるモンテス宗教裁判所、大法廷。ドーム構造の高い天井に、白い漆喰しっくい塗り。華美なフレスコ画に彩られた、モンテス領でも特に格式高い建造物である。

廷吏が起立の号令をかけると、向かって右に座する追及者、左に座する被告人と弁護人、そして傍聴席の観衆が一斉に立ち上がる。

裁判官3名が入室した。モンテスのファルドン司祭と、グザール領、ステフォン領それぞれの聖職者である。

相互に礼。着席。裁判の注目度はすさまじく、傍聴希望者は宗教裁判所の収容量の二十倍。法廷からは傍聴人があふれ、通路や控え室、会議室にも傍聴希望者が集まっていた。

モンテス八世の前執事長が、ブレイク王国に起訴されたという衝撃のニュースは、情報統制もままならず、モンテス領内に瞬時に拡散した。モンテス八世とヤグリス夫人はその影響力に鑑みて欠席。トレッサはメイドの控室で、裁判の状況報告を待っていた。

「時刻となりましたので、事件番号三〇三六の審理を開始いたします。被告人は前に」

バスチオンが起立し、自ら証言台に立った。

「被告人、バスチオン。グザール領第一管区総督代理。年齢不詳、出生地不詳…」

その経歴が読み上げられ、バスチオンが答える。

「間違いございません」

「では、追及者は前に。起訴状朗読を」

裁判官に促され、追及者バルカスが立ち上がる。彼は自信たっぷりに周囲を見渡すと、芝居がかって起訴状を読み始めた。

「王国追及者は、被告人バスチオンに対し、スパイ罪による死刑を求めます」

傍聴人席がざわつく。ローリーはどきりとした。ハインスの予想が的中していた。

「被告人バスチオンは、グザールに赴いた三ヶ月の間、いずれかの日時において、自由港湾都市に立ち寄ったインスール帝国の船乗りに、文章によって、ブレイク王国の軍事情報、内情などを漏らしたものであります」

「被告人バスチオン、罪状認否について、いかがですか」

「そのような事実は全くございません」

「よろしい、では証拠調べ手続きに移りたいと思います」

追及者が立ち上がり、高らかに一通の手紙を掲げると、裁判官に手渡した。

「これが証拠となる、ブレイク王国の状況について詳細に記載された文章になります。どうぞ、検めてください」

ステフォン家の裁判官が、眼鏡をかけると、手紙を矯めつ眇めつし始めた。

「またご参考に、被告人が作成した業務文章も提出いたします。内容は本件とは関係ありませんが、筆跡鑑定者によれば、同一人物による文章との結果が出ています」

追及者は鑑定人が作成した報告書とともに、バスチオンの作成した業務文書を裁判官に手渡す。ファルドンは手紙の文字と、業務文書の文字を見比べた。

「確かに、同一人物の文字だ。この文字。どうです?」

隣席のステフォン家の裁判官と相談する。ローリーが挙手する。

「弁護人は、証拠として提出された手紙の真正につき争います」

「わかりました。どうぞ」

追及者が目を細める。ローリーは渡された手紙を虫眼鏡を使い、検査していく。

「裁判長!この手紙は偽造されたものです」

ローリーが静かに告げると、法廷の視線が彼に集中した。

「その理由は」

ローリーは立ち上がった。

「まず、バスチオンと、この手紙の作成者では、利き手が異なります」

傍聴者が騒めく。裁判官が手で制した。

「静粛に!弁護人、それを立証できますか」

ローリーは頷き、バスチオンを呼びつける。そして、持参した白紙に文章をその場で書かせた。バスチオンは実は両利きであるが、左手を使って文章を書き始める。

ローリーはその一枚紙と手紙を、裁判官らに見比べさせた。

「手紙の文章は文字にかすれがありません。しかし、たった今、被告人に書かせた文章をご覧ください。微小ですが、右に向かってかすれているのがわかります。このことから、バスチオンは左利き、文書を偽造したものは右利きとわかります」

「裁判長、異議ありです!」

挙手する追及者を、ステフォンの裁判官が手で制した。ファルドンはなおも、書き文字を見比べている。ローリーは続けた。

「それに、書き屋、代筆屋が、文字を似せて手紙を書くことくらい、ブレイクでは周知の事実となっております。このような薄弱な根拠をもって、この手紙を被告人のものと断じることはできません」

法廷は静まり返った。ローリーは微笑む。

「仮に、バスチオンが犯人であるとしてみましょうか。彼は職務上、毎日、大量の文章を作成している。ならば秘密文書が明らかになってしまった場合、筆跡鑑定のリスクくらい承知していたはずだ。もし、彼が秘密文章を書いたならば、どうして自身の筆跡を隠さずに作成したのでしょうか。スパイである狡猾な人物が、八歳の子どもにもわかるような手がかりを残すとは思えませんが」

これには法廷の全員が沈黙してしまった。追及者がローリーを睨みつける。モンテスの小倅こせがれめ、味な真似を…。

「なるほど、よくわかりました。では追及者バルカス、次の証拠を」

「わかりました、裁判官。追及者からは犯行目撃者を証人として申請いたします」

「認めます。証人は前に。まず神に宣誓を行いなさい」

赤い髪、やせた長身の男が証言台に立って、嘘偽りのないこと、宣誓を述べる。ローリーはこの証人の嘘を、この場で暴かねばならない。彼は一言も聞き漏らすまいと集中した。

男はグザールの商人であると述べ、バスチオンと、インスールの船乗りが、第一管区の酒場で落ち合い、秘密の手紙を交換した現場を目撃したと、証言した。その話しぶりは、はっきりとしてよどみなく、表情からは嘘をついている様には見えない。

「では、弁護人、反対尋問をどうぞ」

「はい。では証人の方、こちらを向いてください」

ローリーは立ち上がり、自身が作成しておいた覚書を書類ケースから取り出す。しかし、無い。準備しておいたメモ束が、見当たらないのだ。焦るローリー。そんなローリーの様子を見ながら、バルカスは意味深な笑みを浮かべた。

「弁護人、反対尋問はどうしますか」

ファルドンがローリーに問う。ローリーは探すのをやめて思い切って、書類ケースをわきに置くと、前を向いた。

「では、弁護人より反対尋問を開始します」

ローリーは果たして、証人の嘘を切り崩すことが出来るのであろうか。


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