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第25話 バスチオン裁判、前編

部屋の前でローリーが出会ったのは、メイド長のカマラという女性である。彼女は墨を流したような美しい黒髪に、豊満な体つきの中年女性。男性に人気で、カマラに言い寄る騎士も少なくなかったが、その居住まいはどこか陰があり、ローリーは親しく言葉を交わしたことがなかった。

「カマラさん?」

「よろしいかしら」

「え、ええ」

カマラはローリーを部屋に押し戻すように入室してきた。強引な態度にローリーはどきりとした。

「ローリー様はバスチオンのメイドという組織をご存じですね」

「え、ええ、メイドさんたちの互助組織ですよね」

「はい、しかし、別の役割もあります」

カマラの切れ長の瞳がきらりと光った。バスチオンのメイド、とは、表向きはメイドたちの社会保障組織であるが、実体はモンテス城内の諜報組織である。

言われてみればおかしな話ではあるのだが、実は城内での秘密の会話は、メイドたちには筒抜けなのである。なぜならば、メイドたちが給仕するその前で、内密の会話を交わす者が多いからである。つまり権力者階級にとって、メイドはとるに足りない、ある意味、存在しない人間なのである。当然、会話中にメイドがじっとそばで聞き耳を立てていたら、そしりを免れないであろう。しかし、食事中は入れ代わり立ち代わり、異なるメイドが部屋に出入りしているのである。よほど用心深い者でない限り、メイドの存在には注意を払わない。そして、そのようにメイド一人一人が収集した断片的な会話を組み合わせ、分析し、城内の動きを捉えることが、バスチオンのメイドの隠された役割であった。その名の通り、この諜報組織を統括するものは、バスチオンなのである。

「ローリー様、手短に申し上げます。二つございまして、まず一つ」

ローリーは頷いた。

「バスチオン様は迎賓館二階の大会議室に囚われておいでです。おそらく面会は許されませんが、バスチオン様を捕らえた追及者と会うことが出来ます」

「わかりました。もう一つは」

「ブレイクから追及者を手配したのは、ファルドン司祭です。ファルドン司祭はヤグリス団長の指示で動いているとの事です」

「なんだって!?」

カマラはそっと、人差し指でローリーの唇を塞いだ。

「ローリー様。私と交わした言葉、私とお会いした事実、全てお忘れください。では失礼」

くるりと背を向けると、カマラは去っていった。その言葉がローリーの脳内で残響する。事態は彼の想像よりも、ずっと入り組んでいる様だ。


陰謀の泥沼にはまるのはもうたくさんだ。ローリーは正面突破をもくろんで、迎賓館の二階に向かった。大会議室。ノックして入ろうとするが、施錠されている。通路から騎士がやってきた。

「これは、ローリー様。お戻りになられていたのですね」

「ええ、そうです。お疲れ様です。中のバルカス卿にお話があります。通していただけますか」

「ええ、ほかならぬローリー様のことですから」

騎士が規則的に六度、ノックするとカチャリと開錠されて扉が薄く開いた。

「ローリー・モンテスです。明後日の裁判手続きについてお話が」

「どうぞ、お入りください」

部屋の中の騎士に通される。大机を囲むように4人の男が座っており、軽食を取っていた。その右手、ソファにはバスチオンがかけている。その腰には縄がかけられていた。

「失礼します。モンテスの第十三分団の長、ローリー・モンテスと申します。バルカス卿はこちらに?」

長身で、茶色い髪をオールバックに整えたスーツ姿の若い男が席を立って向かってきた。

「おい、こんな子どもを中に入れるな!」

「子どもとは非礼な。聞こえませんでしたか?私はローリー。騎士の分団長を務めている」

ローリーは精一杯、胸を張ったが、見栄えが変わるものでもない。騎士が駆け寄って間に入った。

「バルカス卿、ローリー様はモンテス八世の御子息で騎士にございます。物言いにはお気を付けいただきたい」

長身の男は騎士を睨みつけ、ローリーに向かって小ばかにした笑いを浮かべた。

「君が噂に聞くモンテスの神童かね。悪いが取り調べ中だ。退室してもらおう」

ローリーも負けじと長身の男を睨みつける。

「バスチオンに腰縄を付けるなど…非礼が過ぎませんか。彼は私の補佐。総督代理ですよ。いかに嫌疑有と言えど、身分相応の礼は尽くしていただきたい!」

興奮したローリーの声は上ずっていた。しかし、長身の男の態度からは余裕が全く消えない。

「聴こえなかったかね?ローリー少年。私の権限はブレイク王室から授けられたものだ。その権力の源泉は元をたどれば聖典にある。君が何者の息子であろうと、私にあれこれ命令する資格はないのだよ」

ローリーは怒りに身を震わせている。が、男は全く動じない。

「さあ、すぐに出ていきたまえ!さもなくば捜査妨害で君を拘束しなければならん。私は子どもには優しいがね、この神聖な仕事を邪魔するものには容赦はせん」

ローリーはバスチオンを見やるが、バスチオンは目を伏せてしまった。ローリーの身体から力が抜けていく。ローリーは覇気なく扉に向かった。去り際に振り返って、男を睨みつける。

「バスチオンに拷問なんかしたら許さないからな!モンテス八世がお前を許さないぞ!」

長身の男は笑った。

「はっはっはっ…パパに言いつけるか。よろしい、だが次に親子で訪問するのは勘弁してくれよな」

仲間内で失笑が漏れる。ローリーは黙って退室した。やり取りを聞いていた部屋の外の騎士が、気の毒そうにローリーを見やる。

「ありがとう、お勤めご苦労様です」

騎士に礼を述べ、肩を落とし自室に戻るローリー。完敗である。結局、何の情報も引き出せなかったし、自分が弁護人であると告げる事すら忘れてしまった。あの男と法廷でやりあうなんて…。ローリーがここまで打ちのめされたのは初めてのことである。そうだ、今まで僕は、周りの仲間に助けられていたにすぎない。神童などと呼ばれて、内心、誇らしかった。けれど、結局、僕一人の力では、大人に、その知識や権力に立ち向かう事は出来ないんだ。


意気消沈し、自室に戻ろうとするローリーは、背後から何者かにいきなり、抱き着かれた。

「わああああっ!」

「きゃあああっ!」

「っ!!トレッサ!こら!びっくりしたじゃないか!こうしてやる!」

ローリーはトレッサを抱きしめ、その頬にキスを何度もしてやった。喜びとくすぐったさで笑いだすトレッサ。

「おにいさまがこっそり帰ってくるからだわ。私に内緒で帰ってくるからだわ」

「ごめんね、トレッサ。僕は今、忙しいんだ」

ローリーはトレッサに現在の状況を語ってやることは止めた。深刻であるし、難しい話でもあるから。

「お母様が言っていたわ。おにいちゃんを元気にしてあげてって。おにいさま、元気ないの?」

「…うん」

「じゃあ抱いてあげるわ。きつく抱いてあげるわ!ねえ、お祈りしてあげるわ!」

「ありがとう、トレッサ」

ぼんやりと、されるがままのローリーの心に、ある考えが浮かんだ。そうか、モンテス城は僕の故郷だ。たしかに、総督事務所の仲間はいない。でも、僕には家族や、お世話してくれた先生や騎士や、メイドたちがいるじゃないか。僕は一人じゃない。

「まったく、お2人の仲の良いことと言ったら。見ている私が恥ずかしくなりますよ!」

「マギー!」

太った中年のメイドが身体をゆすりながら、二人の後ろからやってきた。

「お嬢ちゃんじゃありませんよ。ローリー様にご用事ですよ。お客さんですよ。大慌てで。一階にいらっしゃいますよ」

「僕にですか?」

「ええ、大慌てで。騎士さんですよ」

「騎士!?」

ローリーはトレッサにキスをし、走り出した。

「トレッサ、ごめんね、忙しいんだ。また今度ね!マギー、ありがとう!」

「まったく、あんなに慌てることがありますかね」

トレッサとマギーは顔を見合わせた。


一階でローリーを待っていたのは、グザールの近衛騎士、セレストであった。

「セレストさん!?」

「ローリー様、良かった。これを」

セレストが手渡したのは、真っ白な封筒である。中身が厚い。

「ローリー様、物事の順序というものを、お考え下さい。挨拶もなしに、モンテス城に発たれるなど」

セレストは憤慨している。ローリーは詫びた。

「申し訳ありません。一応、サンダーに言づけたのですが…」

「そういう問題ではありません!いいですか、あなたがバスチオン殿を追って、すぐに発たれたとしても、それで事態が大きく変わることはありません」

2人はローリーの部屋に入ると、鍵をかけて小声で話し始めた。

「あなたがグザール城に寄ってさえ下されば、私が馬を乗り継いで急ぐこともなかったのです!」

「本当に申し訳ございません…」

「まあ、久しぶりの乗馬の訓練になりました。ですからこの件は、もう結構」

セレストはため息を一つつくと、いつものような落ち着きを見せ、手紙を開封する。

「予想される訴因と、こちらの攻撃防御の方針です。あくまで予想です。しかし、兄のこういった勘は、外れたことがない」

「これを、ハインスさんが?」

セレストは頷いた。手紙には追及者側の考えられる訴因として、スパイ罪が記載されている。スパイ罪は文字通り、自国の利益を損なう情報を、他国と通じて漏らす罪であり、死刑も科される重罪である。

あくまで予想と断ってはいたが、追及者側が出してくる証拠、弁論などが詳細に記されている。まるで試験の山あてのような内容。しかし、ローリーとしてはこれにすがるほかない。

「さすがですね、ハインスさんは。なぜこれほどまでに具体的な予測を?」

セレストは頷いた。

「まずグザールが自由港湾都市に近いこと。インスールと目と鼻の先ですからね。そして、王国追及者が動いた、という事は重罪であるという事です。裁判所が総督事務所の官僚の身柄拘束を認めるほどですから。そういった前提に立つと、スパイ罪が最も立件しやすい。身柄拘束時にサンダー氏が立ち会っています。彼は裁判所の拘束令状を提示されたそうです。罪状は秘密漏洩関係と告げられている。兄の予測はおそらく、正しい」

ローリーは頷いた。

「ありがとうございます。これでなんとか対策を立てられそうです。しかし驚きです」

「と言いますと」

「ハインスさんが、私たちを案じて、このように手を尽くしてくれるなんて」

「兄は、バスチオン殿を高く買っていますから。それに第一管区の責任者が、また不在という事になっては、兄も困惑する」

一礼し、ハインスは部屋を出る。

やれやれ、あわてんぼうのローリーめ。帰りはゆっくりと馬車に揺られるか。ローリー達が裁判に勝つか、負けるか、それはわからない。しかし、どちらに転んでも兄上が利益を得る。これは負けのない賭け。後は高みの見物を決めさせてもらおう。

「ローリー坊や、頑張ってくれよな」

セレストは整った顔に笑みを浮かべると、駅馬車の発着場に向かって歩いた。西日が、その行く先へと長い影を伸ばした。


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