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第24話 捕らわれたバスチオン

10月になるとグザールの街道では、焼き栗の屋台が並び始める。ローリーが総督となって、半年もたっていないが、第一管区にすでに吉兆が表れていた。

粗暴犯はいまだ少なくないものの、治安状況は劇的に改善し、商取引が活性化。さらに、ローリーらが発行した街頭美化公債を商人ギルドが買い付けたために、ローリーらは街の衛生状況改善にも乗り出していた。

孤児院の少女、アムリータを総督事務所の職員に迎え入れたローリーは、本格的な学校運営も進めていた。支出が膨らみ、借金も増えたが、ローリーに投資する個人や団体は後を絶たない状況である。

それは管区の領民たちが、ローリーを「小さな聖騎士」という二つ名で呼び、敬愛し、信頼していたからに他ならない。


さて、順風満帆ともいえる領地経営に、青天の霹靂へきれきというべき出来事が起きる。

なんとローリーの右腕、バスチオンが逮捕、拘束されてモンテス領に連行されてしまったのである。

バスチオンの逮捕手続きは、ローリー不在の間に執行された。事務所に戻り、事情を知ったローリーは慌てて、着の身着のまま馬にまたがるとモンテス領へと出発してしまった。ローリー、バスチオンという2つの頭脳を失った総督事務所を、代わりにコモドーが取り仕切ることとなった。

ローリーは馬を乗り継ぎながら一秒でも早くと、先を急いだ。冷静沈着な少年は、今、完全に自分を見失っていた。

彼にとって、老執事は親であり、師であり、そして優秀な部下であり、かけがえのない友人だったから。


ローリーはモンテス城に戻ると、真っ先に父の執務室に向かった。

「お父様!」

中にはモンテス八世と執事、数名の官僚が在室していた。

「ローリー。戻ったか」

父はローリーを見ると立ち上がったが、力なく、再び着席した。

「バスチオンが…」

頷くモンテス八世。

「ローリーよ。まずいことになってしまった。バスチオンを拘束したのは、ブレイク王国の追及者、バルカスだ」

追及者とは、犯罪者を拘束し裁判にかける権限を持った官僚である。本来、追及者は各諸侯が任命するが、重大犯罪は王室が任命する追及者が担当する。ブレイク王室の追及者が動いたという事は、バスチオンにかけられた犯罪嫌疑は重大であって、モンテス八世の権力を及ぼすには限界がある、という事を意味していた。

「裁判は明後日、モンテス宗教裁判所にて行わせる。ともかく、私にできるのはそれが精いっぱいだ」

「明後日…」

本来であれば、グザール領で身柄拘束されたバスチオンは、ひとまずモンテス城に連行され、取り調べを受けながらブレイク王室領に運ばれる予定であった。

そのような場合、被告人には長期間、様々な拷問によって苛烈な取り調べが行われ、裁判中に死亡することも多い。これを恐れたモンテス八世は、半ば強引に、モンテス領にある裁判所での審理を求め、これを認めさせたのである。

モンテス八世は被告人を待ち受ける恐ろしい運命について、よく承知している。犯罪者として告訴された場合、罪を犯したか否かに関係なく、苛烈な取り調べによって、死亡するか重大な障害を負って再起不能となってしまうのだ。モンテス八世はそうやって、政敵を幾人も葬ってきたのだから…。

「ローリー、紹介しよう。私の法律顧問、パルンだ」

パルンは四十代前半の聖職者で、モンテス領で公布されるほとんどの法律の草案は彼によるものである。バスチオンが離れた今、彼はモンテス八世の懐刀というべき存在である。

「ローリー様、何度かお目にかかっております」

「よろしくお願いいたします、パルン先生!」

二人は握手を交わすが、パルンは目を背けてしまった。

「申し訳ございません、ローリー様、モンテスの法曹ほうそうはほとんど、今回の裁判に協力できないのです」

「ええっ…なぜです。どういうことですか」

「今回、ファルドン様が裁判長を担当されますので。身びいき防止のための、決まりなのです」

「そんな…」

ファルドンはローリーの叔父にあたる聖職者であるが、裁判官3名の内の一人として任命されている。裁判を公平に行うという建前のために、同僚の聖職者は裁判に参加できないのだ。

「ご安心を。文書作成などでご協力できます、しかし…」

パルンは腕を組み、考え込んだ。

「今回の罪状が追及者から明かされていないために、対策が立てられないのです」

「お言葉ですが、パルン先生、追及者は裁判では、必ず罪状を明かして告訴するはずですが!?これでは弁護人が準備を行うことができません!」

ローリーは職務上、刑事、民事、ともにある程度の法律知識を持ち、手続きについても知っていた。

「その通りです。しかし、告訴状には信書開封の罪その他としかありません。あえて、些末さまつな罪のみを記載して体裁を整え、本題を隠しているのです」

「バルカスは法曹の風上にも置けん、下衆げすだ。出世欲だけは人一倍でな。ありとあらゆる手を使ってくる」

モンテス八世は吐き捨てるように言った。

「あの青二才が動くという事は、つまり、勝算があるという事なのだ」

部屋は静まり返った。ローリーはだんだんと、バスチオンが命の危機にさらされている状況を、理解し始めていた。

「しかし、犯してもいないような罪で、本当に有罪になるのですか?無罪のものが、有罪になるようなことが?」

モンテス八世はローリー、パルンのみ残して、人払いをした。執務机の隣、応接席が設けてあり、三人はそこにかけた。

「ローリーよ。裁判手続きというのは、戦と変わらぬ。剣の代わりに、ペンと、口を用いる、殺し合いにすぎない」

モンテス八世の深刻な表情は、これが言葉遊びなどではない事を物語っている。

「確かに神託裁判の時代は終わった。明後日、開かれるのは、魔女裁判などではない。しかしな」

父は息子に顔を向けると、ゆっくりと語った。

「証拠裁判とは言っても、証拠はいくらでも偽造されるものだ。さらに金で雇われた証人は嘘をつく。そして、被告人は苛烈な拷問を受けて、やっていない犯罪を私がやりましたと、そのような自白調書にサインをしてしまう。そういった証拠がそろえば、裁判長はそれによって有罪判決を出さねばならないのだ。それが我が国の裁判の実態だ」

パルンがその発言を受ける。

「被告人には弁護人が必ず付かねばなりません。弁護人こそが、追及者による嘘を暴き出すことが出来るのです」

「さもなくば、冤罪えんざいによってバスチオンは殺されることになる」

「お父さん!僕はどうすればいいんでしょうか!バスチオンのいない僕など、何の役にも…」

ローリーは絶望して、頭を抱えてしまった。今までの出来事が思い起こされる。僕はバスチオンの指示通りに動いていただけにすぎない。僕は神童などではない。僕は単に、記憶力に優れているだけの子どもなんだ。

パルンは黙って俯いている。父はそんな子をじっと見つめていた。

「諸侯はその影響力がゆえに、弁護人となる資格を奪われている。私とて、このブレイクの布告を覆す妙案を持ち合わせていない」

ややあって、モンテス八世は再び口を開いた。

「ローリー、お前がやるんだ。弁護人を引き受けろ、ローリー」

ローリーはハッと父を見返す。父は微笑んでいた。その表情がどこか、バスチオンを思い起こさせる。

「お前ならできる。自慢の息子だ。モンテスの神童、そう呼ばれているのだろう?」

父が冗談めかしていう。

「…陛下のご命令とあれば」

ローリーは苦笑いで応じる。

「うむ、ローリー・モンテスよ。バスチオン裁判の弁護人を任ずる。裁判は明後日午後1時、宗教裁判所第一法廷で開廷する」

ローリーは立ち上がった。パルンも続く。

「私は図書館で関係法令や、律法書をあたってみます。また、自室に弁護人の基本的な攻撃防御についての参考書がございますから」

パルンは一礼して退出した。ローリーも父に敬礼して部屋を出る。もう時間がないが、僕がやるしかない。

ローリーは自室に戻ろうと一階広間に出る。

そこで、母、ヤグリスと出会った。

「ローリー!」

鋭く呼び止められるローリー。紺のドレスをまとった母は、息をのむほど、美しかった。そしてヤグリスの美が冴えるほどに、ローリーは疎外感を強くした。

「お母様、今、忙しいので」

顔を背け、冷たく言い放つローリー。その拒絶的態度には、ローリー自身も驚いていた。

「待って、ローリー!バスチオンが」

「知っています。僕が今、弁護人を引き受けました。準備がありますので」

ヤグリスは心の底から息子を案じていた、そしてなるべく、その気持ちが伝わるように、表情を作った。

「ローリー、大丈夫なの?大変なことに…」

「わかっています!一番、事態の深刻さを感じているのは僕だ!あなたではない!」

ローリーがヤグリスに顔を向け、声を荒げる。今までにないことだった。かつて、一度たりとも、なかった。

「バスチオンは、僕にとって、親のように大切な人だ!」

ローリーの挑むような目つきには、今までヤグリスが見たこともないような、不思議な光が宿っている。

「…ローリー、私は、何かあなたの力になれたらと」

ヤグリスは、狼狽ろうばいしていた。騎士団長としての毅然きぜんとした態度も、母としての余裕も、失ってしまった。

「お母様。法廷闘争においては、剣の腕など何の役にも立ちません」

ローリーは自分の言葉の一つ一つが愛する母を傷付けていくのを承知していた。しかし、言葉を止めることは出来なかった。

「失礼します、お身体に気を付けて、お母さん」

ローリーは踵を返すと自室に戻っていった。

ローリーは心の奥底で、わかっていた。母に甘えたい気持ち、それをこんな乱暴なやり方で示すことは、もう許されない立場なのだと。お母さん、抱きしめてと、なぜ僕は素直に言えなかったんだろう。こんなにも恐ろしくて、苦しくて、不安で、お母さんに抱きしめてほしいのに、なぜ僕のお母さんは、それがわからない?それが出来ないんだ!そんな簡単なことが!

しかしここで、ローリーは素早く思考を切り替えた。感傷に浸るのは後でいい。裁判に勝って、バスチオンと食事をしながら、この薄っぺらな僕の感傷をあざ笑ってやろう。母さんは、忙しい。母さんも、様々な重圧と戦っている。僕がそれを和らげてあげなきゃ。でも、それは後でいい。そんなことは後だ。どうでもいいことなんだ。はっきりいってどうでもいい、甘ったるい感傷にすぎない。

ローリーはひとまず眼前にシステムを展開したが、新たな情報もなく、何か出来るわけでもない。くそっ…どうすればいいんだ。机を叩いて椅子から飛び起きたローリーが、パルンに会いに出かけようとしたとき、扉の外で、意外な人物に出会った。


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