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第23話 孤児院の少女、アムリータ、後編

マザー・グレースの慰労会が終わると、教会の広い庭に寂しさが漂い始めた。

「アムリータお姉ちゃんは、これからどうするの」

孤児の何人かは、貴族の屋敷に引き取られることになっていた。引き取り手のない子どもたちはしばらくのあいだ、宿泊棟に起居することが許されてはいるが、もはや大人たちの経済援助を受けることは望めない。この孤児院は、真にマザー・グレース個人が切り盛りしていたのである。

「どうするって…」

アムリータは俯いた。

「これから冬になるわ。放っておいたら、たくさんの子どもが寒さと飢えに耐えきれず死んでしまう」

「僕、知り合いの貴族の館で孤児を引き取ってもらえないかどうか、聞いてみます!」

ローリーは精一杯、アムリータの気持ちに寄り添った発言をしたつもりであった。しかし、その心遣いは裏目に出た。

「引き取るって…飼い犬みたいに!」

アムリータがローリーに向かって声を荒げた。ローリーはたじろいだ。

「たしかに容姿のいい子たちは、貴族が喜んで飼ってくれるでしょうね。囲い者としてね」

アムリータだって、自分より幼いローリーに気持ちをぶつけても、無駄なことくらいはわかっている。しかし、彼女は誰にも相談できぬまま、追い詰められていた。幾人かの貴族が、彼女を下女中しもじょちゅうとして欲していた。

「私だってそう。あいつらに、おもちゃにされたってかまわない…貴族の奴隷になってでも、生きていく。それがマザーの心からの願いだから!」

ローリーはアムリータにかける言葉が見つけられず、ただ黙って彼女の目を見ていた。アムリータの瞳は悲しみを隠すために、怒りで覆われていた。

「ごめんね、ローリー。でも、あなたと私たちでは、住む世界が違いすぎるわ。私の気持ちを伝える事なんて、できない。友達にも、なれない」

言葉を発した瞬間から、激しい悔悟かいごの情がアムリータに湧き上がっていく。ローリーは悲しげな表情で一礼すると、歩き去っていった。

なんてことを言ってしまったんだろう…私はあの立派な少年を、いたずらに傷つけてしまった。アムリータは自身の行いを神に懺悔ざんげした。アムリータは心の奥底で、ローリーに助けを求めていたのかもしれない。しかし、発した言葉は真逆であった。

宿泊棟や庭で、すでに不要となった孤児院の備品の片づけが始まっていた。アムリータはそこに一人、ぽつんと残された。


翌日。アムリータは夜明けとともに起きだして宿泊棟の清掃を済ませ、市場で支援物資を受け取ると朝食の準備に取り掛かった。

子どもたちに水汲みなどを指示し、全員が朝食のテーブルに着いたのは7時。祈りをささげて食事が始まると、アムリータは一人、教会の礼拝堂に向かった。食料品の支給は今日で最後という事になっている。アムリータは神に祈る事しかできない。

誰もいない、薄暗い礼拝堂の中。祭壇を仰ぐ信者席に、昨日と同じように、ローリーがひざまずいているような気がした。アムリータは同じ場所に行って祈りをささげる。マヌーサ様。どうか、私の心をもっと、強くしてください。

突然、背後から名を呼ばれる。振り向くとそこに、自分と同じ色の髪の少年が立っている。

「ローリー…」

「アムリータさん。昨日はあなたの心を傷つけて、ごめんなさい」

ローリーは微笑んだ。アムリータはローリーに再会したらまず謝罪するつもりであったが、予期せぬ再会に戸惑ってしまっていた。

「どうしてここに?」

「アムリータさん、僭越せんえつなんですが。もし、あなたが良ければなんですが、アムリータさんが責任者となって、孤児院を経営してみませんか」

「えっ?」

暗がりから姿を現したローリーは、刺しゅう入りの立派な制服に身を包んでいた。少女であれば一度は夢に見るような、騎士のいでたちで。

「突然でごめんなさい。でも、時間がないので。私なら宿泊棟を買って土地を借り上げることが出来ます。そして、聖職者でなくとも、総督事務所の職員が孤児院の経営者となる事が出来るんです」

アムリータにはローリーの言葉の意味すべてが捉えられなかったが、ローリーが新たな孤児院の庇護者となるつもりだという事は、はっきりと伝わった。

「あなた次第です。アムリータ。あなたがその気になれば、私はあなたをサポートしてあげられます」

「ローリー、あなたは、一体…?」

「僕は第一管区総督事務所で働いています。お返事を早急にください。僕たちなら、できそうな気がします」

ローリーは紙片をアムリータに手渡すと、礼拝堂を退出した。紙片には、彼の名前と肩書が付してあり、アムリータは驚いた。

「総督…じゃあ、まさか、ローリーがあの、小さな聖騎士様…?」


ローリーはマザーの慰労会の後、ずっと、孤児院の経営について何か手がないか、考えていた。彼はバスチオンと相談し、自身の考えをまとめていった。

ローリーの提案を聞いて、フリージアは驚いた様子であった。

「それはもちろん、ローリー様の提案は素晴らしいけれど、学校を作ることと、治安の維持に、どういう関係があるんですか」

部屋にはバスチオンと、グザール城から書類を持ってきた近衛騎士のセレストがいた。

「よい質問です。フリージアさん」

バスチオンが受けた。

「まず第一管区は停戦となった後でも多数の孤児がおり、その存在は第一管区において、かつては黙殺されてきた。その一方で、孤児による窃盗、強盗などの犯罪、そして犯罪の手先として孤児を利用した事件が多数、報告されてきた。さらに、実数は明らかにはなっていませんが、冬を越せずに路上で死亡する人間のほとんどが、孤児であるという証言もある」

バスチオンは第一管区が抱える問題点を述べていく。

「これはある学者の受け売りなのですがね。小さな犯罪を見過ごすと、それはやがて大きな犯罪の温床になる、という考え方がある。とすれば、路上生活者や、孤児にしかるべき生存の道筋を立ててやる事。これは将来の犯罪を減少させる方策の一つです」

「そうなんですね、よくわかりました。バスチオン様」

バスチオンは微笑んだ。

「さらに進んで、孤児たちに教育を施すことにより、信仰を根付かせて、将来の領民に遵法じゅんぽう意識を定着させる狙いもあります。彼らも時間がたてば納税者だ」

セレストもまた無言で首肯した。第一管区の予算には孤児院運営のための費目が存在しないが、それを治安対策費として計上する、という事か。老執事の話は、そのための筋立った説明であるように思われた。

僭越ながら、と断ってバスチオンは語り始めた。

「ローリー様はモンテスにて第一級の教育環境を享受されてきた。しかし、ローリー様は同世代の少年少女にほとんど触れることなく、人生を過ごされてきた」

ローリーは頷いた。

「そうです。僕はここに来て、大勢の同い年の子どもたちと出会った。そして、みんな僕とはずいぶんと違うと、感じました」

ローリーはフリージアに向かって話した。

「教育は、自分を守るための武器になります。そのように考えれば、彼らは武器を全く持っていない、と言えるでしょう」

フリージアは納得したように首を縦に振る。

「貴族に引き取られた孤児が、どのような人生を送るのか。それは僕にはわかりませんが、学校があれば、彼らは教育を受けることが出来る。自身を守る武器を手にすることになる。新たな孤児院の、いえ、学校の建設が、きっと、第一管区の未来のいしずえとなるはずです」

フリージアはローリーの大人びた話しぶりに驚いた。もっとも、大部分がバスチオンの入れ知恵によるものではあったが。しかし、ローリーが同世代の子どもたちに接して得た感情は、まぎれもなく彼自身のものなのである。

「そうとなれば、動くのみです。幸い、当座の施設運営資金は残されている。問題は、人材ですが…」

そのとき、事務所のドアを開けて、呼び鈴を鳴らすものがあった。受付業務はすでに終了している。

「こんにちは!ローリー様を訪ねてきました」

元気のよい少女の声。アムリータであった。ローリーが階下へと降りていく。アムリータの顔に驚きが広がっていく。

「来てくれると信じていました。アムリータさん」

「ローリー…様。本当のことだったのね。貴方が、総督だなんて。私、ずいぶん失礼な事を」

俯くアムリータ。ローリーはその手を、そっと取った。少女の鼓動が速くなっていく。それは驚きのためではなかった。

「お姉ちゃんが本当の気持ちを語ってくれたからこそ、私の目が覚めました。アムリータさん、一緒に孤児院を経営するために、力を貸してくれますね?」

ローリーにまっすぐに見つめられて、アムリータは恥じらいながらも、その青い瞳を見返した。

「ええ、どうか力を貸してください。ローリー…」

バスチオンとフリージアがそんな二人の様子を見ていた。

「ローリー様ったら、誰にでもああして優しいんだから。あれじゃあ女の子が勘違いしちゃうじゃないですか」

「確かに、可愛らしい少女ですな。フリージアさんに負けないくらいの美少女です」

「何が言いたいんです?バスチオン様」

「いえ、見た目に麗しい、悪くないペアであると」

「あら、気障きざな言い方。いいんですよ、私は、別に」

フリージアはすました顔を作って、くるりと背を向けた。

「さあ、ローリー様の下着は乾いているかしらね」

大きな独り言を発し、すたすたと歩いていく。バスチオンが微笑みながら、ローリーとアムリータを執務室に招き入れた。


どんなに素晴らしい業績であっても、始めの一歩があったはずである。マザー・グレースでさえも、何もない場所から、勇気をもってまず一歩を踏み出したのだ。

大切なのは、一歩踏み出すこと。

けれど、もし、その時、隣にだれか一人でも道連れがいるならば、仲間がいるならば、それはどんなに幸せなことだろう。

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